反権力の意志について
続 原発震災日誌56
反権力の意志について~
カミュの反抗的人間と労働者、被抑圧階級の意識との関係は、私はどうなのか、どこが反権力なのか、青年の日の政治行動は、どこまで反権力たりえたのか~養護施設、夜学が、政治活動はしていたが、書いていた詩や短歌は反権力とは言いがたいものだった、何より自由、幸福への欲求が、
政治と絶望について~
政治とは絶望しないもの、たとえ原発事故、核戦争を起こしても、政治とはインパラの死のように、非日常とは傍のこととして、いつもの日常を営んでいく、絶望とは私において、個人において捉えられるもの、
続 原発震災日誌56
反権力の意志について~
カミュの反抗的人間と労働者、被抑圧階級の意識との関係は、私はどうなのか、どこが反権力なのか、青年の日の政治行動は、どこまで反権力たりえたのか~養護施設、夜学が、政治活動はしていたが、書いていた詩や短歌は反権力とは言いがたいものだった、何より自由、幸福への欲求が、
政治と絶望について~
政治とは絶望しないもの、たとえ原発事故、核戦争を起こしても、政治とはインパラの死のように、非日常とは傍のこととして、いつもの日常を営んでいく、絶望とは私において、個人において捉えられるもの、
国家、社会の意識について~
人は狼にも、聖人にもなるということ
信仰について~
絶望に対して絶対が存在する、すなわち神といわれるもの、それを肯定することによって、すべて神の思し召しとし、委ねる心の状態、それを権力が利用するのではあるが、人間の知恵ではある、死に対して神の思し召し、摂理であるとするように、信仰とは絶望に対し身を委ねるということ、
グルニエの絶望への答えは、絶対というものが世界にはあるのだという確信、キリストとは指定しないが、絶対というものが、人知を超えてあるのだという、カントのアプリオリなものへのように、
クラインの曲の中にも、そうした絶対を戴いたものが流れている、
ニーチェの中に、現代の絶望に立ち向かう力があるのか、絶望の中にこそ誕生する、生の燭光は、
個人の絶望と世界の絶望
人の脳は不安に対して、アドレナリン、セロトニン、ドーパミンと様々にホルモンを分泌し対応しようとする、しかし睡眠不足はそれらの機能を弱め、不全にさせていく、よく眠るとは、不安の要因をコントロール下に置くと言う事、
記憶の成長
人のトラウマになる記憶と、旅の思い出となる記憶、私の記憶は旅の思い出である、一人の感情の、心地よい寂しさ、
バリ、ヒンドゥーの考え
世界はすべて神のもの、したがって人間も神のもの、この存在、世界観は教義ではなく、自然観
目覚めの時
十六歳の春、あの日、実存は私において誕生し、私において感じられ、人生の諸課題は私でもって、解決していくものであり、それが実存というものであると、畑中を一人歩いていたとき突然、私という実存に目覚めたのだった、
芸術が、哲学、思想が、どのような未来を描いたとしても、科学の現実への影響力の前には、多くの人間にとっては空言となる、この現実の持つ実在に人間は魂を奪われる、高々2000年の歴史で暴いてきた秘密、いやほんの2.3百年の出来事の科学、その科学によって人類の最後期を迎え、核の不可侵性の前に、自然回帰が起き、持続可能社会、共生へと、これが自然裡というもの、核にとどまらず、さまざまな汚染、障害の中で、絶滅種と同じように、細々と生きる時代へ、これを絶望と捉えるのではなく、自然と捉えること、その上で過去の人類が求めたような文化というものを、その自然の上に築くこととなる、絶望を経験した人類が、絶望を見据え未来を生きる時代へと、
未来を示すことが、絶望を見据えた、その先にある、絶望の中の未来を、これが絶望の越え方であろう、個人において、癌との共生のような、消滅までの時の重みのような、人間の未来を想定、思考することが、芸術、哲学の課題となる、いずれ思想、文化も不要となるだろう、時の中の実在、生身だけとなるだろう、時の味わいが過去に依存しない、現在的なものとなるだろう、自然、実在、生身、今、時へとなるだろう、
渋谷、明治通り、ラトリエ行き
何年振りだろう、ジャズを、サラボーンを喫茶店で聴くのは、上島コーヒーの店内に、サウンドの良いスピーカーから流れ、若き日の倦怠の気分が懐かしく蘇り、日常が果てしなく続くようで、その日常に退屈し、何かを求め街を彷徨していた青年の日、今3.11を経、年老い、そんな倦怠の日常が失われた時にあって、人の心に、青年の心に、日常はかけがえのない時としてあり、ノスタルジーさえも、今の時としてあり、客たちは静かに耳をすましているのだった、今やノスタルジーは、続く今の中ににはないのだった、過去も未来もすべて現在となってしまった今、リルケのマルテにあっても、死はノスタルジーのように語られていたと今は思うのだった、生がたとえマルテが死ぬとしても、日常が続くという前提で語られた死であったと、死は日常の自然な風景としてのものだった、今人の死は、日常や自然なものとしては語ることは叶わず、無理死、生きたことのない死であるのだと、東京のこの汚染地で、いつ症状が現れるかと、恐れ、あきらめて生きる生命に、生きた日常は最早なく、倦怠の時、ノスタルジーの時はなく、ただ今があるばかりの、10年、20年後のこの地を思うとき、人に日常はなく、非日常ばかりの、死を待つ時だけがそこにはあり、流れるジャズの音が優しく死へと誘うように流れているのだった、かつて音を聴きたくて、白樺へ、ちぐさへと足を運び、音に浸った、秋葉原の電器街でオーディオ機器にこだわり巡った、その音が今や葬送曲になり、流れる倦怠は、退廃、死臭を帯び、身震いを催すのだった、実際は若者たち、スマホで耳を塞ぎ、誰も店内の曲など聴いてはいなかった、
無とは
絶望と無と題しながら、無の考察がない、絶望の果ては無であるとはするが、無に至るまでは有、無とは無であって有ではない、私亡き後、人類亡き後、意識消滅後の意識とは何かの考察が、無を考えるとき、本当に一人で絶望しなければならなくなる、一人を意識する、私対世界とは、この一人を無の上に置いた世界であったはず、あの癌体験の上に誕生した、再びは騙されまいと、覚悟した日からの私対世界であったはず、それでも、世界は輝き、見納めの天国であったはず、一度死んでいること、間違っていたらあの時、無であったはず、癌と同じように、私で向き合い、私で解決する、世界の絶望も、絶望と認識する私が居るからであり、絶望する私で解決する問題であるのだった、世界がかつて理想をめざし、現在も多くは絶望しないで、しかし科学に於いて、私に於いて、希望が私の認識の及ばないところにあるとしても、科学に未来があるとしても、私の癌、私の死のように、世界を絶望と定義、認識する私が在るなら、私で解決する他ないのだった、哲学も、文学も、私で、私の答えを作るしかないのだった、
そんな無の考察をしている所へ、潤が友人のAちゃんが今日自殺したと言ってきた、十年ほど前から鬱病で、二年前にうちの会社に来たのだが、ずっと薬を飲んでいて、子供も一人いて、でも家庭が上手くいかず、最近離婚したのだと、そして奥さんが実家に帰る日が迫った矢先の自殺だったと、実は先日、そのAちゃんに「死にたい」とこぼされたのだが、どうしてやることも出来ず、一緒に呑んで、スケボーしてやるしかなかった、と、人の自殺、それは家族、友人に、否、生き残る全世界の人間にとって、それは痛ましく、絶望なこと、それを止められないことの、私の絶望であるのだった、何故なら、生きようとしている者にとって、それは否定であり、無を表現しているのだから、年間三万人が、いや実際にはその何倍もの数の自殺、それを止められないで、生き残っている人間の問題、政治や、社会、生い立ちと遠因は様々あるが、止められないことの、
愛というものへの信頼、愛というものの確証、それらが文化として、また宗教として成立していない東洋の日本において、決定的であると思えるのだった、愛とは何かを、形において、現実において、示し得ていない社会にあって、人の自殺は自明であり、死に至らなくとも、愛を生きるという生き方とはなっていないのだった、愛の形とは、民主主義と同じで、言葉ではなく、実際の、社会、文化、人間関係の中に表されているものを言うのだった、民主主義を現実生活において知らないように、愛に於いても知らないのだった、辛うじて翻訳文化を通して知っているばかり、
かつてOが自殺未遂したとき、助かったOに私は一緒に生きることを誓った、数年は必死だった、やがて立ち直り、再婚もした彼だった、そこにあった、私と彼との関係は、私が知った、私の愛の形だった、彼という人間と一体を求めた、人は一人しか助けられない、もう一人の自分があればそれで十分という、男女の愛の形に表れた姿と同じ、一人対一人の関係、この単位が全人類へと向かうとき、愛と言うものが、社会文化、世界の形となるのだった、
私は無の考察をこの一人において、絶望しても死なない人間とはを、考える基盤として、再度固めねばとしていたのだった、絶望に対して、無に対して、愛が果たして有効かと問うても、生きる限りは、死ぬまでは、愛という形が必要不可欠であるのだった、絶望‐愛=希望の等式は、絶望しても死なないために必要であるのだった、現実に生きて希望を求めるなら、愛の考察をこそやらねばならないのだった、




