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続・原発震災日誌  作者: 山口和朗
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《死者のためのミサ曲》

続 原発震災日誌⑤


《死者のためのミサ曲》


書いたからといって何になる

書かないではいられないから

死に逝くその時も人の生の一部

むしろ、集約

世界に向かって

意味に向かって

多くの音楽家たちが作曲したように

君にレクィエムを

続 原発震災日誌⑤


《死者のためのミサ曲》


書いたからといって何になる

書かないではいられないから

死に逝くその時も人の生の一部

むしろ、集約

世界に向かって

意味に向かって

多くの音楽家たちが作曲したように

君にレクィエムを


死ぬときは少し苦しいけれど

死とは身体が要求してくるもの

覚醒と昏睡

死ぬときの、生きものたちのあのもの悲しさ


死に逝く君と交わす言葉は

死という君の世界への

静かな微笑であってほしい


《Hとの対話》


胃癌の末期、何も食べられない、点滴で生きている、糖尿があって手術は出来ない、不思議と落ち着いている、覚悟なんてしたって仕方がない、自覚症状はなかった、突然食べられなくなった、離婚していてよかった、六十歳で死んだ親父の歳まで生きられたから、まだ一、二年は生きられるだろう、やり残した事はない、行ってない県は一県あるが、再婚後、やりたいようにやらせてもらった、


《希望における現象学》


次々と死んでいく友に対して、何ら有効性をもち得ず、結局、希望が主観を超えて存在するとしても、主観そのものが消滅することにおいて、なんら希望とはならず、なぜ私が病んだ日、マルセルの希望が希望となり得たかは、98パーセント転移は無いとの確証があったからに他ならず、それが100パーセント転移しているのであったなら、なんら希望とはなりえなかった、

希望ではなく、意味が、喜びが、受容が、永遠が、今が、在ることが、在ったことが


私は未だ死を知らない

死を見たことはない

太古、人は、生きものは、

どのように死を、

どのような死を、

レヴィナスの死の免責性、他者性のような受容は可能なのか、

未来へ、永遠へ帰っていくでいいのか

子どもになって、

別れを告げて、

感謝を述べて、

野の花診療所、徳永医師の「人間笑って死んでいける」でいいのか、

「私対世界」でいいのだが、

そこにある私性、孤塁、

どこから来て、どこへの意味性は、

つい2000年前、狩をして暮らしていた私、

私という感情さえ乏しかった私、

繋いできた、人DNA、

生きものたちの、夢、希望であった、

希望とは、この地球の、生きものたちの希望であるのなら、

死に希望と意味が、


《再び友へ》


手術は出来ない

余命3ケ月

桜までもつかどうか

一日一日が一生となり

時間を割り振って

やっておきたい10のことを

いや、陽だまりに坐って

何もしないで

生きてきた、この世で出会った、様々な思い出へ、

君が言う、何も咽を通らないのなら、

即身仏のように、

枯れるように、

静寂のうちに逝きたい、

良い選択に思う

子どものように

時空に抱かれるように、

有機物から無機物への

あの森の樹たちのように

後を生きる者たちの養分となって

永遠への

自然裡の

君の旅立ち


断 章


《意識》


死に逝かんとする者が回りには、Mに、Tに、Hにと今も3人いる、逝った者も十数人、今に私の順番も来る、死んだ者の意識、この意識という奴、一体何んだろう、どこから来て、どこへは分かるが、この意識という奴、考え考え、この地上にいくばくかの変形を加えては来たが、何も成してはいない、原子の一つも創ってはいない、文化、芸術、科学、そこで語られる意識、意識を持つ者にしか解らない、意識するものがいなくなれば、ただの記号に過ぎず、意識など持たない、石や物たちと同じもの、もともと意識など人間になかったのだから、猿から人への、この意識が死ぬ、亡くなると言って、うろたえ、嘆いている、かつて何千億の意識が死んで、残された文物の中に軽うじて、これらの意識の断片が残され、現在に受け継がれて来た意識ではあるが、タルコフスキーの意識、モラル的なものではあった、苦悩+意味=絶望のフランクル、哲学とは、動じない心、人間とは、幸福、喜怒哀楽、etcの感情をもつ動物ということなだけ、この喜怒哀楽というもの、変化、進化する、このバリエーションが人の意識というもの、思考、経験、日々の体調において、この変化する意識というもの、健康だから問える意識、まだ在る私の力、ただ感謝、喜びだけとなるのだが、


《死後の世界》


私は自爆により自殺をしようとしていた、光まぶしい昼日中、どこか人気のない道端に面した、店のような所に座って、五分後には爆破するタイマーを入れて、この世界の「在る」ことを見ている、あと三分、二分、一分、予定通りに爆破は起きた、どこも痛くはなかった、目も眩む閃光が一瞬走って、私の身体は消えた、その時だった、やり残していたことを思い出した、私は別れの挨拶をしっかりしてこなかった、妻にも、友人にも、曖昧であった事を悔やんだ、特に妻にははっきりと告げていなかったから、きっとどうしてと、疑問を残し怒っている事だろうと、ところでなぜこのような意識が在るのか、たしかに私は今少し前に自爆し肉体は消滅しているはずなのに、何か臨死体験のようで、先ほどの光の中の街を私は見ている、そして意識を持っている、死後とは、生者と交流は出来ないが、死者としてこの世界に「在る」事はできるということなのか、と私は不思議に思っている、見ることは出来るが、伝える事が出来ない、声が出ない、音が消えている、自分の手、身体を見ても見えない、自分というものに形がないから誰も気づかない、風になって空を飛んでいるような、これが死後の世界であったのか、天国も地獄もない、ただ意識としてこの世界に「在る」、これが死後の世界であったのか、私は死んで見えた、この世界を喜びの内に見ていた、


人が国境やら、壁やらを作り、世界を遮断している現実を、私が自由に出入りし、彼らの愚行を悟らせ、


●内田百閒の『冥途』ではなくリアリズムで

●存在が奇跡であることの証明を、実存、重さなどの抽象ではなく、


子どもたちは見た、

私は笑わない

けっして

パレスチナ、ガザの悲劇


再びHへ


アテネに死す(1957)マックス・フリッシュ


二十四時

ワタシハマダ一分間モ眠ッテイナイシ、コレカラモ眠リタクナイ、ワタシハスベテヲ知ッテイルノダ、明日カレラハ、スデニカレラガ知ッテイルコトヲ、スナワチモハヤ救イヨウハナイコトヲ、確認スルタメニ、ワタシノ身体ヲ開クダロウ、カレラハワタシヲフタタビ縫イ合ワセルダロウシ、ワタシガフタタビ意識ヲトリモドセバ、ソレデワタシノ手術ハスンダトイウワケダ、ソシテワタシハスベテヲ知ッテイルニモカカワラズ、ソレヲ信ジルダロウ、ワタシハ苦痛ガフタタビヤッテクルコト、ヨリ強クヤッテクルコトヲ、決シテ認メナイダロウ、何シロカレラハ思イコンデイルノダカラ、モシワタシガ胃癌デアルコトヲ知ッタラ、ワタシハキット自分ノ頭ニ弾丸ヲウチコムダロウト!ワタシハイマダカッテコレホド人生ニ執着シタコトハナイ、ソシテタトエアト、一年、ミジメナ一年シカ命ガナカロウトモ、イヤ四分ノ一年、イヤ二カ月(スナワチ九月カ十月マデ)シカナカロウトモ、ワタシハ希望シツヅケルダロウ、自分ガダメニナッテシマッタコトヲ、ワタシハヨク知ッテイルニモカカワラズ、トモカクワタシハ一人デハナイ、ハンナガワタシノ友人ダ、ワタシハ一人デハナイ、


二時四十分

ハンナニ手紙ヲ書イタ、


四時

死亡シタトキノタメノ処置、報告トカ、手紙、ノート等ノ書類ハ全部、破棄サルベキコト、ソレラハ真実デハナイ、コノ世ニ在ルトハ、光ノ中ニ在ルコトダ、ドコカデ(例エバ最近コリントデ出会ッタアノ老人ノヨウニ)ロバヲ追ウコト、コレガワレワレノ天職ダ!―――シカシ何ヨリモマズ、光ニ固執スルコト、光ト喜ビニ(歌ッタトキノワレワレノ子供ノヨウニ)、ワタシワエニシダヤアスファルトヤ海ニ注グソノ光ノ中デ消滅スルノダトイウコトヲ知リナガラ、ソレニ固執スルコト、時間ニ、ナカンズク瞬間ノ中ノ永遠ニ固執スルコト、永遠デアルトハ、存在シタトイウコトナノダカラ、

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