福島の子のドキュメント
続 原発震災日誌49
サルトルの存在と無を何度目か読み、死はただの事実に過ぎない、人間は投企する存在とに、本来的に自由であるのだとに、サルトルの決意、覚悟ではあるのだが、この世界の破滅に対して、これは私の戦争だのように、私の破滅、私の核だと言い切れるのか、絶望に対して、これは私の責任だと、カフカのように絶望は絶望なだけと、投企も自由も、この絶望は、人類全体なのだから、成立し得ようがないのだから、むしろハイデガーの現存在の方が、破滅絶望において成立するのだった、
癌に対して死ぬまでにやっておきたい10のことのように、地球の破滅に対して10の見納めをしておくことしかないのだと、
続 原発震災日誌49
サルトルの存在と無を何度目か読み、死はただの事実に過ぎない、人間は投企する存在とに、本来的に自由であるのだとに、サルトルの決意、覚悟ではあるのだが、この世界の破滅に対して、これは私の戦争だのように、私の破滅、私の核だと言い切れるのか、絶望に対して、これは私の責任だと、カフカのように絶望は絶望なだけと、投企も自由も、この絶望は、人類全体なのだから、成立し得ようがないのだから、むしろハイデガーの現存在の方が、破滅絶望において成立するのだった、
癌に対して死ぬまでにやっておきたい10のことのように、地球の破滅に対して10の見納めをしておくことしかないのだと、私は絶望を通して所有から自由になった、理想やアイデンティティー、信じること、愛や希望、人類が求めてきたものから、文化から、人間から自由に、否定はしない、所有したい人、絶望しない人は、執着し続ければいいだけのこと、君たちのものだからと、サルトルの自由からの、自由への投企も、すべてきみたちのものだと、哲学というものも、この絶望の前には役立たずなのだからと、が、絶望しても死にはしない、今こそキルケゴールの絶望しても死なない人間が誕生しているのだった、新たな意味、価値、創造のもとに、
福島の子のドキュメント
「失くしてはじめてわかったことがある」と、親を失くした子の言葉、誰もが口にするこの感情が、子供の口から、3.11で失って初めて思い知ったそれまでの世界と、命というものの再生、失くしても得るものがあるということの、ここに命の鍵がある、絶滅までの人の希望、損なわれた自然、死にゆく大地を、いつの時代よりもいとおしく、見納めの感情で、謝罪の、さようなら、さようなら、さようならの、絶望の後、人として再生した眼が、心が、死すまでの希望、喜びに、
最後に戻った心境が、ショペンハウエルであるのは、16歳の日「自殺について」を書いたあの自殺への心境が、今世界と私亡きあとの絶望から、最後は人間への、理想への、存在への不信で終わるのだった、
経済を自分の頭で考えるなら
先ず消費税とは、国家の公然詐欺であるということ、その国家の背後には、資本家、支配階層があり、その背後には世界金融資本があるということ、消費が落ち込み、経済の停滞が懸念されるが、資本家は世界を又に掛け、自国や、経済全体のことなど考えてはいない、利益のあるところ、あるところと動き回っているだけ、それが戦争であったり、政府転覆であったりするだけ、経済は「おじいさんのランプ」のように、ランプから電気へのように、TPPも、IMFも世界のグローバル化は自然裡のことではあるのだった、国境を越えた世界帝国主義化が進行していく中での経済、そこでの人間の営みとは、核問題だけがジレンマとなり、取り返しの付かない、不可逆の予感となり、すべての野望を打ち砕き、人の意識、行動に変更を迫るはずだと、
ファーブルのように虫の世界から、堀辰雄のように死の世界から、タルコフスキーのように実存への世界から、ヘレンケラーのように言葉の意味の世界からと、世界を再構成することが絶望への私の突破口となるような、カミュの反抗的人間のように、人生に意味がないからこそ明晰であり続けねばと、が、様々な感情も、体調によって作用され、ブラブラ病の核の世界には、明晰それ自体が損なわれ、実存も何も存在しないのだった、核というものは、肉体も精神も打ち砕くのであった、
過去作品を絶望と無の視点から、テキスト化、解説を試みてみること、やはり絶望を考察し続けること、
シシュフォスの神話はなんと原発事故と似ていることか、不遜な原発行為によって、神に罰せられ、永遠に除染を続けなければならない人間という現実、表土をいくら剥がしても、再び汚染され、大気に、地下水にと、汚染水の露呈は心を入れかえるか、白を切るか迫ってくる、放射能は強い、真実と誠実があるだけ、どちらにしても人はどうすることも出来ないのだが、核、原発、絶望を観念ではない、目の前の実存として語る者はいないのか、多く人間が忘却と、隠蔽に終始することへ、絶望の実存を説く者が、
カフカは世界の不条理を描いたが、カフカの世界以上の不条理に満ちた現代、核を抱いて生きる人間、遺伝子組み換え食品、etc、世界をしっかりと絶望の上に見据えること、そして、それでも私を見失わず生きていること、
この世界の絶望を知りつつ、私を生きられるのか、この引き裂かれた実存、私と世界が引き裂かれた3.11以降の、
私があらゆるデーターを出して、世界の指導者を説得したとしよう、しかし、「月と六ペンス」の娼婦のように、その時は懺悔するのだが、しばらくすれば利権構造の前に、また核にしがみ付くのだった、核という麻薬に、そして絶望に戻るのだった、
2年半経ち、やっとこの星に諦めがついてきた、この星の絶望状況を仕方のないこととして、私は死までの時の中、この星で私の実存を、意味を生きねば、世界がたとえ絶望であっても、私は絶望しないで、たとえ私が絶望しても、もう一人の私は絶望しない、これが私の私対世界であったはず、
絶望主義の上に立って、私と世界を見たとき、結局人も他の生きものとなんら変わらず、食って、寝て、繁殖してであるのだったと、文化的喜びや、意味は、本来不要なものであったのだと、しかし、人間には人間の、他とは違った、家族や社会の喜びをもって、生きるものであったのだと、それが原始共産制であり、それで人は十分であったのだと、
政治、宗教の暗部とその利権構造、それらが作っている経済、それに加担、作用されている文化芸術等のアカデミズム、ただ在野、無冠、無名の知の人によってしか見られないこの世界の状況、今ネットによって少なからず知られては来ているが、人が生活において解決することの必要、意味を、私は絶望において解決を、絶望を尺度に、宗教や文化や哲学やらと、けっして絶望主義には至らない人の価値、意味、意識へ、否定を根底にもって、私において解決していくことであった、
死ぬときも一人、生きるのも一人、それが私対世界であった、私一人を生きることが私を生きること、私の喜びは私の喜び、あの青空のもとで寝る人のように、
マルセルのニーチェ批判、すべて理解できるが、神を殺したのはペシミズムからだと、神への背信、弱者のペシミズムと強者のペシミズム、弱者のペシミズムが権力の意思へと、
現代は、人類がみなこぞってペシミストになってしまったのだと、それは哲学や宗教が故ではなく、神を殺した科学を信仰してきたが故、その科学によって人類が殺されそうになって、その科学の背信、不信が故であるのだと、再び人類は神を生き返らせ、神にすがることによって、このペシミズムを克服するのだと、が、たとえ神を生き返えらせたとしても放射能は消せないのだった、パンドラの箱とはまさにこのことであるのだった、邪悪とはこの科学のことであり、邪悪が邪悪でもって、眼には眼をと終末への足掻きを科学はしているのだったが、邪悪とは存在であり、科学そのものであるのだった、科学の否定とは自己を否定することとなり、どちらにしても死を意味するのだった、邪悪を受け入れ、自己を肯定して生き永らえる道を、希望論を、懺悔をめざす人類になるしか、道はないのだった、
神の視点から人間を見るなら、21Cの人類、これは嫌だ嫌だといいながら、邪悪のまま生き、死の行進をすすめているのだった、一度知った自由、一度知った知恵は、知らないことより、たとえ死が伴うとしても喜びであったのだろう、それが知恵の実というものであった、そのことによって人間は誕生し、彼らは人間として生きられたのだと、犬で生きたとしても喜びではなかったのだろうと、この人間の歴史のように、人で生きるということは死を覚悟して生きる、絶滅を覚悟して生きる道であったのだ、安らかに死を、絶滅を肯定し、滅び行く人類を哀悼し、共有し、助け合って、許しあい、未来共産制を生きていくのだろうと、こうした希望を描いても、現在において神へのような、かつての科学へのような信頼、信仰、希望を持ち得ない限り、人間には夢や希望はも早やないのだった、私に於いても、癌の転移のような、3.11以降がおつりの人生とはならないのだった、転移とは終末であるのだが、生身の余命の問題であった、人類のことなど考えに入れないで、私一人の私で残りを生きていく、それしかないのだった、私対世界であるのだと、私の生であり、私の死であるのだと、けして人類への、思想などではないのだと、哲学でも文学でもないのだと、動物や植物がどのように生き、死んだかを問わないように、人間も只世界を生き死んでいるだけなのだった、世界はそうした無数の人間の、動物や植物のような生と死とによって存在しているのだった、人間もなんら動植物と変わりはないのだった、核も絶滅も、隕石も、地殻変動も、気候変動も、ウイルスとなんら変わりはしないのだった、彼らにとって、核とは何ら自然災害と変わるものではないのだと、動植物が捉える世界のように、人間においてもそのようなものであるのだと、
夢を見た
夕闇迫るどこか地方都市の、野原の中の散歩道を、瀬戸内、大江、鎌田、そこに山田洋二が加わっていた、あっ落合も他何人か若い取り巻きも一緒に散歩をしていた、私はなぜかビンに肥料を詰めて、道々草木にその肥料を播いて歩いていた、
夢分析
可笑しな夢だった、寓意的な、私の振る舞い、
反原発運動が二年を過ぎ、福島は更にに酷い状態と成り、政治状況はそれに輪をかけたように悪くなり、多くの反原発著名人達も疲弊感を漂わせていると思え、見た夢であったのか、が、この二年という間に反原発活動家たちは、しっかりと人生観、思想となって、闘う人となっていたのだが、さすがに寄る年には辛そうで、若い人が気遣いサポートしていた、私の知る著名人たち100人程度だが、しっかり運動の核となって、人々を結集させていた、千人、万人のリーダーがそれぞれ100人を束ね、100万人の大運動が、キング、ガンジーのような流れとなって、いつの日か起こり、福島を閉じ込め、政治を希望へとつなぐ日がきっとやってくることを願っているのだった、




