Tへの手紙
続 原発震災日誌48
Tへの手紙――エッセイ感想
『日本ルネサンス志向』
美術史としての概観とその把握~そこにはTの芸術とはどうあらねばの思いが在る、全人間的飛躍への
柳瀬正夢~二葉亭の肖像画 前衛的芸術集団の「MAVOの会」村山知義らと、治安維持法で検挙
雪舟~「天橋立図」~
常盤光長~伴大納言絵詞応天門の変を題材にした平安時代末期の絵巻物、
マサッチオ~ルネサンス初期のイタリア人画家、27才~『楽園追放』
ジョン・コンスタブル~19世紀のイギリスの画家~風景画
古典的手法の衰退への憂い~全人間的を標榜するには古典的手法を含んだ写実の持つ意味への問い
日本的絵画の歴史、現代の状況~技法も古典的習得もなく、表面的な形式習得と成り、
全人間的芸術、ルネサンス芸術への~表現というものを芸術運動として捉えようとの、美術史の概観であるが、果たして芸術が過去の巨人たちがそのような考えで描いていたのかの問題において
近代的精神を高め、文化遺産の批判的血肉化をする中で、油彩技術の総合的練磨によって、日本ルネッサンスへと、
続 原発震災日誌48
Tへの手紙――エッセイ感想
『日本ルネサンス志向』
美術史としての概観とその把握~そこにはTの芸術とはどうあらねばの思いが在る、全人間的飛躍への
柳瀬正夢~二葉亭の肖像画 前衛的芸術集団の「MAVOの会」村山知義らと、治安維持法で検挙
雪舟~「天橋立図」~
常盤光長~伴大納言絵詞応天門の変を題材にした平安時代末期の絵巻物、
マサッチオ~ルネサンス初期のイタリア人画家、27才~『楽園追放』
ジョン・コンスタブル~19世紀のイギリスの画家~風景画
古典的手法の衰退への憂い~全人間的を標榜するには古典的手法を含んだ写実の持つ意味への問い
日本的絵画の歴史、現代の状況~技法も古典的習得もなく、表面的な形式習得と成り、
全人間的芸術、ルネサンス芸術への~表現というものを芸術運動として捉えようとの、美術史の概観であるが、果たして芸術が過去の巨人たちがそのような考えで描いていたのかの問題において
近代的精神を高め、文化遺産の批判的血肉化をする中で、油彩技術の総合的練磨によって、日本ルネッサンスへと、
文学運動による文学史の捉え方も似たような形をとって、過去の文学を裁断していたが、芸術文化を運動的観点から、文化の進化、志向性の面から見ることが、果たして良いのか、悪いのか、意味が在るのか、無いのか、芸術を必要性と志向性とによって捉える時、一面的な誤りと狭さの危険がある、資本論を経済学と見ることと、革命の原理と見ることの、宗教を宗教として見ることと、政治、歴史と見ることの、唯物論を哲学と見ることと、運動論として見ることの、芸術も、哲学、文化も、何故、史実として見、運動として見たくないのか、革命が、政治が、所得の再分配で良しとするなら、芸術文化が、その時々の人間の喜怒哀楽で良しとするから、革命も芸術も、個において追求されればそれで良いとの思いがあり、近代ヨーロッパがニヒリズムとの闘いに至るのは、産業革命以降の、人間の神からの離脱があってのこと、摂理として至った人為であること、人に世界の変革が可能であると知ったときニヒリズムが生まれ、それとの闘いの結果として様々な思想、哲学が誕生した、
太宰文学をどう捉えるかに似る、地主のチンピラ文学、女殺し油地獄、含羞の文学、復讐の文学、下降思考の文学、無頼、反俗の文学、と、どのように捉えようが、文学運動的、文学史的に捉えようが、太宰が自らの方法で、書くことを生きたということなだけ、結果として読者は、太宰の書いたものを通して彼を知ることになったということなだけ、表現したいものがあり、太宰はその表現で生きたい、食いたいとしただけ、私が太宰を捉えるなら、太宰の悲しみに共感するだけ、人とは、家族とは、人生とは、富や、地位、名声ではない、健やかな、疑うことのない、家族の愛が意味であるとの思いが、太宰にはその欠落感からくる悲しみが、それが現代をして読者の共感を呼ぶのだった、私はその悲しみからの脱却をめざし、生き、書いてきたのであった、人に悲しみの押し売りはしない、私一人で幸福の追求をしてきたのだった、幸福とは、私の幸福であり、人に共通するものとは限らない、文学はその結果なだけ、
谷川義美『創作の多様化論のための試論』
日本美術会の運動目的と意味~理論化が出来ないものかと、作家の内的必然性によって多様化は試みられ、運動も意味をもってくるとの考えは頷けるが、未だ絶望を見ていない70年代の運動への希望、理想があってのこと、現在はマルチ芸術家と称して、音楽、彫刻にと様々やっているよう、1947年生まれの私と同年の、作品は落ち着いて見える、彫刻など、売るための水準をもっている、幸福な家庭の時が在るのだろうと、2013年、恵子美術館へ自作絵の寄贈、土俗、民族性へと、
彼の沖縄の意味は、出身は佐賀県、
『オホーツク賛歌案内』
「地球上の根源的生命存在に背信の斧を投げつけることだ」、「帰るべき惑星を失った宇宙船にしてはならない」、「永遠の廃棄物になってしまうだろう」と警告、
「人類と自然の対話を追想する」、「畏敬を感じる」、「落日の大交響曲」、「真に地球が息づいている」と、これらの感動を、自責において、絶望において描画し続けて行って欲しい、
大町桂月~層雲峡の名付け、大雪山、計月岳、黒岳、詩と旅を愛した、
『始原の響き、オホーツク知床賛歌』
「自然循環のドラマを見る」、「自然と共に労働する漁師の姿は崇高」、「落日の、この世に在ることを一瞬忘れさせる程の」、「宇宙の無限の包容力その神秘」と、
『三原山噴火に思う』
人は火山の噴火に神を見、思うのだろうか
神とは何であったのかを、
宇宙的というものをどのように捉えるか、
自然循環、太陽~ランボウの文明批判
「核状況を踏み砕き、平和を鷲掴みに、創造の火種を構築する」
『融陽塔』
大雪山行きの春夏秋冬のスケッチ
『知床原生自然は復興のシンボル』
アイヌ民族の自然哲学
『岡本太郎美術館建設構想提案』
幸福な宇宙観の時代、アポロ、etcの、「縄文土器論」、花田らと「夜の会」
『海明けのころ』
冬の荒れるオホーツクは凄絶である~津波のように襲い来る波音、
宇宙の限りない包容力とその神秘~ただ蹲拝の念
茜色の空が氷の海に輝き、その荘厳な風景~太古の人の透明な心を見る思い~
探る心、眼によって、眼が見る朝日と、様々ないきもの達との、見てきた人間との、人は見ることを通して見てきた、見ようとする心だけが見ることが出来る、核汚染の人類絶滅後にも、朝日は同じように知床に昇るだろうことの、私も乗鞍岳で、谷川岳で、様々な場所で朝日を見てきたが、あの手術前の朝日に寄せた程の思いはない、存在への信仰とは、道端の石に、草木に寄せる思いと同じであった、
絶望してもなお死なないで何とか生きる道はないものかと、考え行動し続けている多くの人間はいる、反核運動を進め、核を民主的管理のもとに置き、再生可能エネルギー、持続可能社会への構築と、無数の行動する人々はいる、これこそが現代の革命であるのだと、そこに新しい人間関係や、喜びの時は誕生しているとは思われるのだが、私は開けられたパンドラの箱は、その邪悪の量は、隔離しようが何をしようが、人間には無理であるとの絶望に至るのだった、
人間の最大欠陥を定義するなら、この最後まで何事かを信じようとすることにあるのではと、虚無も、絶望も、この理想や人間を信じるという心がもたらしているもの、3.11をあの時日本は終わっていたのだが、いま少し延命しているのだとの覚悟した日々が今という時であること、22Cを待たず現れるだろう、世界の絶滅への不可逆な自明、成すすべもなく佇む人間を想い描く、
そこにどのような芸術、哲学があるのかと書き続けているのが私の「絶望と無」であるのだった、絶望を知ること、絶望を持続させること、癌の転移に、しっかりと向き合って生きることだけが、癌を生きることであったように、地球は癌に罹っていることをしっかりと捉えること、そして芸術、文学は一人断崖に立ち、自らでこの絶望を引き受けること、理想主義から絶望主義への認識の革命は、病んで知った、時の長さではない、生きることの意味であったように、今人間の絶望を、自然、宇宙の存在への信仰のように、今少し楽しませてほしいと願うように、人間を見る視点、世界は絶望しても私は絶望しない、何故なら絶望主義の上に、存在の信仰の上に私を据えているからと、
2013 12 06
Yとの日本人論
世界と比較して、日本人の特性の違いについて、さまざまに日本人論は言われ書かれてきたが、今日新たに頷づけたのは、日本人の遺伝子には、セロトニンのリサイクルのための遺伝子が欧米人より極端に少ないということであった、セロトニンは人の不安を沈めたり安定を調整する物質、しかしこれが少ないと人は不安にかられるという、このセロトニントランスポーターの遺伝子がSS型、SL型、LL型とあって、日本人はSS型が97パーセントでLL型は3パーセントだと、これが日本人の性格、文化を創ってきているという、風土論、島国根性、村社会、その中で空気を読むのも、ことわざの考えも、仏教というものも、政治に対する、思想、哲学も、これらの表れであるとの、3.11以降の日本人の行動、選挙もこのSS型が故に自民党を選び、おとなしい抗議行動、または忘却、無関心の意識、空威張り、etcの非合理、非科学もと、




