山口泉の位置
続 原発震災日誌45
週刊金曜日~『惨憺たる原子野、人類の宝バッハ』を寄稿
全情浩~韓国の画家
関村直人~1958、爆破弁の爆発だと
有宮正憲~1947
特攻隊と3.11~自滅、自虐、集団自殺、神風
ジョイス『ユリシーズ』~痛切な恋愛小説
『旅する人々の国』~1984
『蜚語』~径こみち書房~遠藤京子、雑誌
堤愛子~NPOマツダヒューマンネット、1954生
続 原発震災日誌45
週刊金曜日~『惨憺たる原子野、人類の宝バッハ』を寄稿
全情浩~韓国の画家
関村直人~1958、爆破弁の爆発だと
有宮正憲~1947
特攻隊と3.11~自滅、自虐、集団自殺、神風
ジョイス『ユリシーズ』~痛切な恋愛小説
『旅する人々の国』~1984
『蜚語』~径こみち書房~遠藤京子、雑誌
堤愛子~NPOマツダヒューマンネット、1954生
甘藷恵子~『まだまにあうのなら』、ミュータント
オーロラ自由テレビ~中根秀樹
姜尚中~使いやすい在日
囚人の女たち~山代巴~日本文学が変わると
32才のエッセイ~死の共同体から生の共同体へ他7本のエッセイ、反原発
日本原爆詩集~正田篠江~みんな死ねばいい
エンリコ・マイナルティ・チェリスト(1897-1976)鳥のうた
李相和~民族詩人、韓国植民地時代の、34才死亡
長谷川千穂~医師、朗読者、18回目
安達伸幸~作画、音楽、ピアノ
金敏基~朝霞の作者
安藤鉄雄~名古屋『エイズを語ることの救い』
青魚の糖尿病効果の嘘~アメリカでの間逆、玉ねぎしかり、
弦楽八重奏作品20~メンデルスゾーン16才
無償性と絶望の共有~
黒田喜夫~『除名』詩人
青山裕子~大越のサブキャスター、セクハラ
権海考~韓国の冬ソナ次長、反靖国デモ
石川啄木~『一握の砂』一隊の兵を見送り手かなしかり何ぞ彼等の うれい無げなる
エリック・シブリン~無伴奏チェロ組曲、1890年、カザルス発見
カザルスEMI録音~1936年 アービーロードで
エイブラ・ボリエル・ジュニア~ポールのドラマー、黒人
安斉育朗~NHKあさイチで、食べて安心のキャンペーン
文学報告会~小林秀雄他、誰も反省することなく、戦後復権
IRAメンバー10人の死~ハンガーストライキで、サッチャー政権
山口泉~図書館員の息子、56才
笠木透~『私の子どもたちへ』作詞、作曲
宇野重吉~中野重治への弔辞、政治というものへ
長谷川沼田居~足利の日本画家、孤高盲目の画家
江尻潔~美術評論『逆本』漉林書房、足利美術館
関根正二~福島美術館~子供の肖像画
反省する権力者などいない、この国は終わっているの視点、宇野も滝沢も、紫綬褒章をもらっている、
四方田草炎~節子は姪
鄭榮昌~在独韓国人美術家、光州事件、週刊金曜日寄稿
山口泉~長野生まれ、山のあなたの空とおくの村社会、10代の終わりに離れる
塚本邦雄~歌人、反日本歌人
太宰『右大臣実朝』~明るさは滅びの姿
魯迅『狂人日記』~子どもを救え
宮沢賢治批判~
山口の死生観~
宗教観~
日本を、絶望しない日本人を、絶望的国家、絶望的人間の視点で捉えようとしているが、世界を絶望しているのではない、反権力であっても、実存には至っていないのだつた、不条理、存在というものには、絶望が、破滅が明証性をもった時代に、何事が成立するか否かの、破滅までは成立するが、想像できる人間に、果たして希望や未来は成立するかの視点、それはマルセルについても言える、ニーチェ批判を論証しても、形而上学も成立しない現在にあって、やはり、シュティルナーの無の上に、絶望の上に、人類の未来はブッシュマンの世界にしか想像できないのだった、
夢を見た
2100年の世界、次々と核汚染が広がり、人類は、民族、文化、人間自身に絶望した者らが、山深く住みかを移し、自給する者らの子孫によって、何とか種を保存している状態であった、だが私は廃墟の町に住んでいた、毎日誰か人に会えないかと町を徘徊していた、で、その日は少し遠くの町を探してみようと、町の大通りを歩いた、人が居ればきっとこちらを見つけるはずだと、みなが住んでいる公園を通って帰ることにした、本当に良い風景があり、橋から池を眺めたり、坂を登ったりと、そして家に着いたのだが、犬が心配だったが、犬は生きていた、このところエサをやることを忘れていたのに、ちゃんと生きていた、飛び上がって喜び元気だった、混ぜご飯にフリカケをかけ、肉も盛ってやったのだった、
2つの感情、1つは忘れていた
犬と暮らした感情
犬の生き方の感情
市民がいて、犯罪者を捕まえる警察官がいて、それを裁く裁判官がいて、それらを見張る市民の代表と言う議員がいて、しかし、その多くは先ずもって喰わねばならない生活者の生活を支配している資本家に飼われた議員の、生活に支配された、死刑も仕事のうちの、戦争も仕事のうちの軍隊のように、世界は喰うための生活で成立しているのであった、それは資本家といえど、同じ競争者としての生活、革命とは富の再分配であるだけでいいと思える、分配がうまくいけば、徳川のように300年もうまくいくのだと、やはり残る問題は実存の問題、全て人間には実存だけが問題となるのだった、宗教ではない、生活を超えた実存だけが、
私で自己完結する以外に、私対世界が成立し得ないとするなら、世界や存在は私のものではないと、人間の文化も歴史も私のものではないということ、幻想を持たず放棄すること、絶望とは何ら理想を持たず、利己、私に徹すること、その私から世界を私自身を生ること、それが世界がどのようであっても、私がどのようであっても私であること、それが私の信仰であろう、存在の喜び、人間の感情の喜び、それは私において感じられることの肯定、私を肯定、絶対視すること、NHKがプロジェクトXやら、かつての技術大国日本を吹聴するように再放送していた、アポロの月面着陸を見ていた、誰もがアポロの月面着陸の映像を疑わないで見ていた、宗教家、作家、映画監督、etc、おめでたい日本人がそこには映し出され、当時私は民商をやっており、特別な感情もなくアポロのことは知ってはいたが、技術、科学は好きだったが、アポロに興奮することもなかった、3.11を経て、技術、科学への懐疑、嫌悪感が湧き、人間にとって、医学、科学は絶望の最たるものとなり、今、拒否する心がある、3.11に、核の絶望に答えられる科学、医学、文学、芸術、哲学、宗教が誕生しない限り、私にそれらの意味はないのだと、
山口泉の位置
宮沢賢治批判のテーマは、賢治の没人間性への視点、文学が宗教に変容していることへの反感、山口はどこまでも人間的、人間的苦悩でありたいのだった、背景には死への嫌悪、無味性の意識、これらは全て納得するが、政治的意識に依存し過ぎ、実存的な、人間存在そのものへの関心は低いのだった、それが私にとっては、3.11への共感はあっても、底の浅さを感じてしまうのだった、森有正やデキンソンとは違う、人間存在への迫り方ではない、アウシュビッツとかの政治的、歴史的不条理の中に、人間存在を問おうとしている、ヘレンケラー的存在の奥義ではないのだった、




