「マルチチュードと権力、3.11以降の世界」
続 原発震災日誌44
ネグリ氏来日、「マルチチュードと権力、3.11以降の世界」
コモン(公共)を目指して世界は動いている、
上野はそのコモンは、東北では震災以前からケアリークの家を中心に行われていると、相互扶助の精神、
ネグリ
パブリック(公)+(協力)政治を超えて、国を超えたマルチチュード、フーコーの批判精神~今ケアリークそのものの支配、搾取が進んでいると、彼は理論的に世界を捉えようとしているのだが、コモンを求め、絶望は無い、世界を弁証法、又は構造主義的に捉えることで、絶望に抗せると思っている、それゆえに言語化を懸命に遣っている、運動をリードするのではなく、運動の後付け作業をしているようなもの、オキュパイ、etcの世界現象も、理想を求めての希望ではあるが、現代の科学という依存、現実の絶望は超えられない、民主運動への希望は見えるが、旧来の哲学、科学での希望は、絶望を通さないでは超えられないのだった、コモンもやはり階級闘争で達成しようとしている、絶望を背景とした場合、これらコモンといえどコミューンと同じ概念、革命が形を変えただけのようなもの、ルソーの人民民主主義、直接民主主義、共和国理論、どれも絶望に抗するものはない、まして地域共同体なぞ、
続 原発震災日誌44
ネグリ氏来日、「マルチチュードと権力、3.11以降の世界」
コモン(公共)を目指して世界は動いている、
上野はそのコモンは、東北では震災以前からケアリークの家を中心に行われていると、相互扶助の精神、
ネグリ
パブリック(公)+(協力)政治を超えて、国を超えたマルチチュード、フーコーの批判精神~今ケアリークそのものの支配、搾取が進んでいると、彼は理論的に世界を捉えようとしているのだが、コモンを求め、絶望は無い、世界を弁証法、又は構造主義的に捉えることで、絶望に抗せると思っている、それゆえに言語化を懸命に遣っている、運動をリードするのではなく、運動の後付け作業をしているようなもの、オキュパイ、etcの世界現象も、理想を求めての希望ではあるが、現代の科学という依存、現実の絶望は超えられない、民主運動への希望は見えるが、旧来の哲学、科学での希望は、絶望を通さないでは超えられないのだった、コモンもやはり階級闘争で達成しようとしている、絶望を背景とした場合、これらコモンといえどコミューンと同じ概念、革命が形を変えただけのようなもの、ルソーの人民民主主義、直接民主主義、共和国理論、どれも絶望に抗するものはない、まして地域共同体なぞ、
コモンをどのように作っていくか、コモンとマルチチュードは相互関係、同一性と差異性、個を関係性の中に、主体性を他者性において形成、主義と内面性、~これらはコミニズムにもあるものであるが、これらを3.11以降の世界にいかに体現できるのか、
原子力国家とは死そのもの、答えはない、神であれ、何であれ応えられない、プロジェクトもない、善意を活性化できるだけ、反原発運動にレシピは無い、
市田は~一遍の捨てろの提言
ネグリは~闘争の中でコモンは出来ていく
上野は~内的に、具体の中で
毛利は~原子力国家、30年前の電化製品に象徴
日本が発展したのは、権力構造との関係、組織は同じであった、原発とは死そのものであるのだとの、ただそれをホスピスのようにコモンのもとに社会を保とうとする考え、
スピノザ主義のネグリ~グローバリズムへの対抗軸としてのマルチチュード、
癌に対してみなが絶望しなくて良いように、世界の絶望に対してみなが絶望しないでも良い、癌サバイバー、ホスピスのように、笑って死んでいくのも良い、
やはり終章はわが存在の歌だろう、意味や希望を重視しても、否定しても、存在していることの意味、喜びは自然なもの、絶望を通して存在に至る、末期の美を見つめた川端が日本では存在への信頼を扱った者だろう、存在への信頼とは、物が在る、自然が在る、たとえ核の汚染があっても、この星がヨブ記であっても(神の為せる業)40億年を生きてきた生命が在る、理念や、理想ではない、在ることへの信頼、生命からのシンプルな、シンプルな感情、絶望の前には、スピノザも、マルチチュードも、知る必要も無いのだった、
いずれ近い日、去っていく私の意識だが、いずれ近い将来少なくなっていく人間の意識だが、放射能が確実に人を死に至らしめることを、見る人の意識が絶望を、癌患者のように絶望を抱いて生きる中で、存在への信仰が起きてくる、絶望の中の喜び、子供のように新鮮な時と、存在との出会いの中で、無邪気に、明日死ぬことなど考えないで、かつてアラビアのロレンスの、金閣寺炎上の、シルクロード遺跡破壊の蛮行に心痛める者らに懐疑した、今、あらゆる文明の破壊に心動かされぬ、アマゾンの伐採にしても、地球温暖化にしても、価値を全部捨てて、子供に帰ってやり直そう、存在への信仰だけの、在ることだけの価値をもって、子供に美が、哲学が、音楽がシンプルであるように、無意味であるように、絶望している者は強い、只、今を生きることとなり、
T、H、S、SKとの、私は選挙の感想をみどりの党の誕生が画期的と言い、しかし世界は深く絶望的情況であり、人類がこの絶望をどれだけ深く捉えられるかによってしか、世界は変わらないと、私が絶望、絶望と言うと、SK、Sは、私に「それは敗北主義だ、ペシミズムだ」との感情を持ち、政治の反動、軍国主義化を憂い、だから闘うのだし、何とかしなければと、そしてHは「君の絶望主義はまゆつばだと、」一方、Tは、宇宙、地球生命体としての意識の喪失が現代の絶望を招いているとして、縄文美の講釈を始める、すると誰もが良くわからないといった雰囲気になり、Hはそれが一体現代の状況に対してどのような説得性をもつのかと揶揄しと、しかし最後には、みな何とかしなければと考えているのだからと、意識をまとめ、3.11以降、80歳を超えなんとする3人の輩と私は、こんな酒席を幾度となく繰り返しているのだった、
核問題は本当に人をシンプルに見分けることが出来る、核に対する人類の危機を本気で考えているかどうか、今の世代ではなく、次の世代のこと、地球のことを考えられるか否かという点、自らは死んでも孫、子のためとの視点、太郎や三宅の危機感こそ人類が必要なもの、ただちに影響がないから心配しない人間に、しかし危機する人間の予知能力は、だからこそ直感するのだった、
かつての日和見主義または過激派との、自らを主流、正統と決め、それに反対する者を振り分ける思考、原発への危機感の違いで、過激派も、日和見もないのだが、現実路線というものにある落とし穴を知らねばならない、今や9条が空洞、理想化していたとしても、その理想を追い続けることを下ろしてはならないのだった、それは地球の死を意味する罪であるからだった、核戦争を想定する世界にあって、
世界が戦争をしていても、世界が原発を推進していても、私は、私対戦争、私対原発として、私の問題として考え行動すること、私の癌と同じ、私の生きる意味と同じ、私の実存と言うこと、核は人の生の本質を超えているのだから、
山口泉(55才)メモ
田口ランデイ~過小評価、悩むため福島をと苫米地英人~避難区域20キロ妥当と、
粗糖知子~プルサーマル受け入れ、60億、
菅~坂の上、TPP、ベトナムへ原発、
千葉景子~死刑執行、
マヤーク原発、1000平方マイル汚染
山口彰~御用
上野英信~原爆許すまじ批判、一度目を許すことが出来ない、
『星屑のオペラ』~
『この貧しい白昼』~
『グスコーブドリ、1999年の』~エッセイ
『宮沢賢治伝説~ガス室のなかの希望』~
『さだ子と千羽鶴』~絵本
『新しい中世がやってきた』~1994、キムジハについて
野田秀樹~AERA拒否
阿部知子~山口を紹介
高木義明~文相
枝窪俊夫~俳人、医師
岡本孝司~
小川順子~
邸英漢~作家、日本人は植物だ
関根進~ジャーナリスト
マクロビオテック食堂~つれあいがやっている、
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菅~核武装論者とのつながり
鳩山~菅に投げた責任
草の根ファシズム~大衆による
山口仙二~被団協
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Aランボウ~忍耐の祭り
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山代巴~山口に武谷を紹介
大学教授の繰り上がり~1990年の間隙で
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台風対策~東北全域が汚染
JR北海道~占冠事故~乗客が自主判断し脱出
ポスト全共闘~
マルセル・パニヨル~1895-1974戯曲「マリウス」
山本茂~原爆医師~オーロラ交響曲~被爆少女
船越保茂~彫刻
岡本愛彦~テレビ、ジャーナリスト「私は貝になりたい」社会党
パクス・テルレーナ治療室~遠藤HP
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