十六歳の日記(1964)
続 原発震災日誌27
ほろ苦く思い出される精神の芽生えの時、16歳の心に至る、その前からの精神の流れは、反抗ではない、沈黙、いや思考、小1の頃より、現象、出来事に対して考えることで不条理、疎外を意味としてきた、私に反抗という選択肢はなかった、養護施設で全てのことがいやなことではあったが、そこに居たくない、しかし居るしかないという、誰のために、何のために、まだ見ぬ私のため、その先にある私のためにと、耐え、見出し、耐え、見出し、そこに在ることを見つめ、味わおうとして来た、刻まれた時の記憶こそが、精神の糧であると、
続 原発震災日誌27
ほろ苦く思い出される精神の芽生えの時、16歳の心に至る、その前からの精神の流れは、反抗ではない、沈黙、いや思考、小1の頃より、現象、出来事に対して考えることで不条理、疎外を意味としてきた、私に反抗という選択肢はなかった、養護施設で全てのことがいやなことではあったが、そこに居たくない、しかし居るしかないという、誰のために、何のために、まだ見ぬ私のため、その先にある私のためにと、耐え、見出し、耐え、見出し、そこに在ることを見つめ、味わおうとして来た、刻まれた時の記憶こそが、精神の糧であると、が、養護施設から高校へは行きたくなかった、で、中学卒業を待たず養護施設を出た、母と住み始めた母子寮、夜間高校へ行くしかなかった、住み込みで夜間高校へ行けるということが条件であった、仕事の内容は考えていなかった、母が誰かの紹介で、その会社の募集パンフレットを持ってきた、もう一件はどこかの裁判所の給仕というものもあったが、裁判所の給仕というのは暗く、みじめな感じがして、選択肢に入らなかった、そのうちにパンフレットの会社の募集係りが遣ってきて、新しく建てた宿舎の説明やら、同じ夜間に通う者が何人も居ることなど、熱心に勧めた、私は決めた、母子寮は就職した子どもは出なければならないと言うから、家から一時間程の中堅の鉄工所、古ぼけたトタン葺きのみすぼらしい工場が並び、広場の一角に真新しい社員宿舎、一部屋に4人のカイコ棚ベット、養護施設に舞い戻った気分、同じ夜間に通う4人で、私以外は遠くは九州など集団就職で、仕事があてがわれた、電気カンナの刃を作る会社、鉄板から刃付け、研磨塗装と、何工程もの仕事があった、私はフランジ磨きという、カンナの側面を磨く工程をあてがわれた、ほぼ完成した刃物を回転する砥石に液体をかけながら磨き上げるという仕事、単純な作業で、2.3日もしたら飽きてしまった、他の工程を見ても、溶接や刃付けは難しそうだったが、いずれ慣れれば誰もが出来ることで、こんなことを4年間もやっていたくないとの思いが湧きあがった、養護施設とは違って、自分で職業は選択できる、高校は出たい、そして大学へも、だがこの職業では耐え難い、中学三年の日、養護施設を出たいと、母を説得した私、自由は自分で開いて行くものとの、私の今に貫かれている精神、仕事も悪戯に耐えると云うことが出来なかった、母にも、会社にも告げず、3ケ月後私はその会社を後にしていた、
十六歳の日記(1964)
日記の書き方
ありのままを、本当のことを書く
手短に、分りやすく
毎日続けて
START
一月十六日
今日は工程へ着いた、先頭だ、コンベアシステムは軽労働だが疲れる、その時考えた、毎日このように疲れ、早く仕事が終わることばかり考えていたら、早く歳をとってしまうと、人生は短いのだから、明日死ぬかもしれないのだから、今日という一日を充実させていかなければ、そのためにも日記をつけようと思った、
桐の花 千家元麻呂
草原に桐の花がこぼれていた
美しいと思った
拾ってにおいをかいで歩いた
初々しい初体験の心が、綴られている、十六歳の心が気恥ずかしい、
原発と死と絶望を受容する境地に至ること、この視点は永遠と存在という自然界からのもの、私が絶望しても、世界は絶望しない、自然と存在は永遠であると言う自明、マルセルの希望における現象学的考察が、希望と言うものの定義を、私を超えて在るものと捉えたように、絶望とは私を超えて在るもの、人存在が絶望を規定しているだけ、絶望とは私の絶望ではない、死と同じように自然裡なこと、原発と言う、人間と言うものなだけ、天国のような自然と沈黙に帰る喜びを、終了、仕事の終わりの感覚の死、お疲れ様、ゆっくり休んでくださいといった、絶滅までの、死ぬ日までの、見つめる生が、絶望の後の生、私対世界において絶望をどのように生きたかだけなのだ、
生きものたちのしあわせ、どんな生きものにもあるだろう、しあわせという感情、アミーバーにだって、猿にだって、あの和んだ表情は、しあわせな一時だと思える、植物など、表情はしあわせそのものに思える、もちろん人間にだってあるのだが、子ども時代を過ぎると、自然ではなくなる、作られたもの、それも悩みや、悲しみと引き換えのものになる、植物や他の生きものような、生き方、考え方に変えたのなら、人は変えられるのだから、しあわせだけに成れる存在、彼等の喜ぶ姿を見ていることは、しあわせになれるということ、何故なら、彼等のしあわせを感じられるということなのだから、だから、花が咲いている、鳥が歌っている、楽しんでいる、と思えるのだった、
生命はなぜあるのか、質量とはエネルギーだから、生きものを作っているのはこのエネルギーの作用によるのだから、原子が分子に、分子が有機物に、有機物が生命に変化していくのは自明、自然なことであるのだった、エネルギーの自然な作用、この流れの中の人間であるに過ぎない、そこに知性や感情が発生しようが、しまいが、生命の延長線上のことなだけ、私は原子と何ら変わらない存在であるのだった、草木生きものと何ら変わらない存在であるのだった、
朝、目覚まし時計で起きなければ成らないことの、生命にとっての不自然さ、眠りを眠ることほど生命にとって喜びとしあわせはないのに、それが毎時、毎日、生命の喜びに逆らって、起き、食べ、会社へ、学校へと、そして自然さを超えてガンバったり、タタカったり、嘘、偽りで心を消したりと、感情の不自然さの繰り返し、これで生命を生きていると言えるのだろうか、生命とは、あの鳥のような、あの虫のような、起きたい時に起き、寝たい時に寝、食べたい時に食べるのが生命というもの、この人の生命の不自然、不快、絶望を生きるとは、この人間的特徴を全て疑い否定して、生命を生きてみることが必要となる、無の上に、絶望の上に私を置くということとはそうしたこと、
小熊秀雄が、絶望的日本と闘った詩人だと、この間、坂口安吾も、金子光晴も読んでみた、そして堀田善衛の「方丈記私記」も、翻れば、タルベーラの「ニィチェの馬」の映画から始まって、「ツァラトウストラ」、「シシュフォスの神話」、タルコフスキーの映画、辻潤の「絶望の書」、梶井の一連の死に対しての作品と、しかし、どれも現在の3.11以降の日本の、世界の絶望に抗する糧にはならなかった、かつてなら具体的な私の不満の指摘のような感想を書き留めたりしたのだが、今それさえする気にならない、誰も3.11という絶望を体験はしていないのだった、鴨長明にしても、堀田善衛にしても、小熊も、金子も、核と言う絶望は想像だにしたことはないのだったから、
小熊秀雄の「焼かれた魚」、秋刀魚の擬人化が多いが、何故にそれが必要なのか、動物、生きものたちは、人間とはかけ離れた生き方、生命を生きているのに、擬人による歪曲、矮小、冒涜を感じる、もっと生命を、彼等の命を学び、感じ、喜びとなる視座、心が必要なのに、上から見ると黒い背中、横から見ると銀色、そして紺色、限りなく線に近い菱形の体、体の一部となった眼と、秋刀魚の比喩は当たっているが、彼等を生存競争や、突然変異や、進化で説明しようとする人間の卑小さ、盲目さ、彼等、もっと自然と存在を生きているのだった、焼かれた魚が、感傷、悲哀、又は擬人的共感で成立しているのだが、軍国の時代、比喩や、風刺が有効であったのだろうが、今や陳腐な嫌味な時代となつている、生命への鎮魂の時代ではないのだった、絶滅は人の差し迫った問題であり、生命は多様化をやめ、この核時代を生き延びようとしているのだった、人間との闘いの時代へと、家畜から野生へ、作物から原種へと、奇形を生き延びる彼らの時代へと、
核の汚染とは、世界が無化されるということ、世界が無意味化されるということ、津波の最中も、地震の最中も、戦争の最中であっても、汚染の最中ということ、水も空気も食料も、この汚染された地球ということは、何処を占領しても、何を争っても、逃れられない放射能入りということ、占領や、支配という戦争の意味を失い、福島が汚染地帯となり、誰も買い手のない土地になったように、不必要な、迷惑な、周りに汚染を広げる危険地帯となり、誰も占領するものなどなく、あのチェルノブイリの野生動物の天国のような、覚悟をした人々の天国となり、青木ケ原のような末期を生きる人の住処となり、そんな地帯が地球のあちこちに出来、もう誰も戦争などしないだろう、無意味な、無価値な、毒物など誰も欲しいとは思わないだろう、覚悟した、時間を生きる、新しき人の社会がそこには誕生するだろう、自給自足の、安楽死の、ホスピスのような社会が、




