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続・原発震災日誌  作者: 山口和朗
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ニーチェ ツァラトゥストラ序説

続 原発震災日誌②


「ヨハネの黙示録」のように、神に代って破局に導くものが、地震は必ずや、原発爆発、核汚染を、わずか4万年の人意識、知識に惑わされ、意識の喜び、意味を失い、絶望から神、信仰のように、世界の破局に対して、神ではない、未だその明日ではない、今日という、時への信仰のような、石に愛を、一本の草木に愛を、少年の日、見入り、夢中になったあの不思議のように、私対世界の、私を確保しなければ、

続 原発震災日誌②


「ヨハネの黙示録」のように、神に代って破局に導くものが、地震は必ずや、原発爆発、核汚染を、わずか4万年の人意識、知識に惑わされ、意識の喜び、意味を失い、絶望から神、信仰のように、世界の破局に対して、神ではない、未だその明日ではない、今日という、時への信仰のような、石に愛を、一本の草木に愛を、少年の日、見入り、夢中になったあの不思議のように、私対世界の、私を確保しなければ、


ニーチェ ツァラトゥストラ序説


―超人と最後の人間について ―

人間とは一本の綱、そして彼は超人となるための橋である、

○ 三つの変転について

すべての最も重く困難なものを身に負う駱駝の霊、駱駝が獅子、獅子が幼子に

○ 徳の教壇について

培った者への、安らかに眠るための知恵に過ぎない徳への、

○ 背後世界論者について

神は人間であった、自己超克した彼にあって、

○ 身体の軽蔑者について

身体が私である、一つの大切な理性である、

○ 喜悦と情熱について

徳の功罪

○ 青白い犯罪者について

彼らの狂気の名は、真理、誠、義であった、

○ 読むことと書くことについて

人がその血をもって書いたものを愛す、

○ 山の樹について

樹は山に孤独に立っている

○ 死の説教者について

死の説教者たち「肉の喜びは罪だ」と

○ 戦争と戦士について

服従と戦争の生を生きよ!長生きに何のことがあろう!


ニーチェは凄まじい、こと如く断罪していく、

青年の日、初めて哲学に、そして実存主義というものに接した日、ニーチェは最も文章が過激で、比喩、象徴が多く、理解が困難だった、だがその力強さは私の実存理解に力を与えた、それ以前、哲学らしきものは、ショペンハウエルの「自殺について」くらいなものであった私の心に、湧き上がっていた、人生とは何か、私とは何か、の疑問に情熱を持って応えようとするニーチェに、他の実存主義の哲学とは違った、親しさも持った、最初に買った本が、昭和39年発行の、解釈と鑑賞別冊「現代のエスプリ 第十号 実存主義 」であった、十六歳の秋、どの哲学者もそのときの私には、未知であり、目覚めた心への共感者としての、師であり、救世主であり、共に感じ取りたい精神であった、人生とは何か、未だ生きてはいない人生に、突然に湧いた疑問、進学、就職、結婚という生活の過程ではない、この感情のもっている、生活的なものを超えた、重大な何かへの、期待と、不安、夜学生の母子家庭の私には、十六歳にして人生は決まっているように思えた、が、この人生とは何かと、問う心には、無限の、可能性、深まりが、そこには喜びのように拡がっているように思えた、解らない言葉を、国語辞書で、漢和辞書で一語一語繋ぎながら、解読するように読んだ、大半は解らないが、夫々の哲学者の開明したいと挑んでいる感情が伝わってきた、世界には実存という領域があるのだ、この領域こそが人生であるのではないか、この解らない、得体の知れない、しかし、人生とは何かを、常に問い返してくる領域、これこそが人の人生なのだと、ラジオ工場でベルトコンベアに追われて働く、十六歳の心に初めて世界が所有されたのだった、会社で、学校で、目覚めた心が喜びであった、疎外を、不条理を、友人たちに口にしていた、こうした言葉の感情を、この小さな心に所有出来ることが嬉しかった、実存とは、まさにこの、その人において所有された領域のことと、私は一人になると、仲間や、社会と離れて、この領域で生き始めたのだった、


私のリルケ


十六歳の心、働き始め、収入を自ら得、未来を夜間高校で、先はまた夜間大学でと、その先はわからない、が、自分の人生は自分で切り開いていくしかないとの決意を持ち、四年後には出獄して来るだろう父を、私が待つことにし、父から逃れたい母は東京へと、一人暮らしを始めたアパート、そのアパートの窓からの景色、読みはじめた「マルテの手記」が、マルテとは違った重さとなって私に映った、

母子寮に住んでいることが カミュの母のような惨め感があった、

あらゆる実存の定義を私は過去の体験で味わっていると感じていた、

これが私が独自であることの自明であった、


新しき人のイメージ


癌患者に垣間見た新しき人のイメージであったが、今、3.11以降を生きる人々に、実存が定義しようとしてきた、概念ではない、実体、生身が示されている、「死を覚悟しています」「じわじわと死を感じるのです」「助かったとしてもこの先、放射能の恐怖と隣り合わせなんです」「私たちは見捨てられました」「被災者を見捨てた国を許さないし、恨み続けます」


誰も絶望していないことが


今世界で誰が、この世界の現状に絶望している者がいるのか、誰もが希望を信じている、絶望しても尚、希望が、未来があると考えている,100年や200年くらいは、人間の何億人かは生き残れるだろうと、絶望がわかっていない、癌になったことがない、癌から生還したことがない、プルトニウムを今全人類が1日10個吸い込んでいる、10年で3600個50年で1.8万個、もう全員癌で死ぬのは必死、50歳を待たず人が死んでいく日が、2050年頃からだという、昔、人の寿命は80歳位だった、中には100歳も生きた人もあったそうなと、生き残った2100年の人間が、人類の行く末を嘆いているはずだ、


キルケゴール「死にいたる病」


「死にいたる病とは絶望のこと」で始まる、「死にいたる病」、世界が今や絶望的であることを知らない絶望、世界が今や絶望的であることを知っていて絶望しない絶望、知っていて絶望する絶望、と、キルケゴールには神の前においての罪と信仰の考察だったが、世界は今や死にいたる病が、神を知る者も、知らぬ者も、すべての生きとし生けるものに降りかかっている、罪が、原罪が今現実のものに、後には戻せない放射性核物質、この星に、満ち満ちてしまった、神を求め、その神にいくら縋っても、戻せはしない、いくら地下深く封印しても、この星の中に在り続け、いずれは地上へと、絶望が概念や、観念ではなく、生きものとして生れ落ちたその日から、病み、痛み、苦しむ、絶望を生きる存在としての生命に、全生物がイエスとなった世界、これが間もなく訪れる世界、この絶望に有効な方法とは、絶望を生きる、奇形を生きる、ガス室の中で死だけを救いとして待つ、何の哲学も、宗教も有りはしない、

世界が皆病んでしまっているとしたなら、病んでいる者に、何の希望もない、絶望とは、世界が皆病んでしまっていること、あらゆる不条理も、サクリファイスも、国境も、宗教も、戦争もありはしない、ガス室で喧嘩している者などいないのだった、苦しさに呻き、死を願うばかりの人存在へと、人類が考えてきたことはすべて存在し、すべて消滅する世界、それがゆっくりとやってくる、が、確実にやってくることが、今や知れ渡り、この絶望に、今や人は向き合って生きて行くほかはなく、


カミュ、22才の手記「太陽の賛歌」、私が読んだのは30才頃だったが、不条理、疎外、絶望、それらへの反抗を


絶望を考え続けている、本来絶望は個人において存在するもの、絶望を観照する私など有り得ないのだが、絶望の中に差別がある、いじめに合い自殺する子どもたち、橋のない川、破戒の、障害者への、ユダヤへの、黒人への、「日本残酷物語」を取り出してみる、かつて日本の絶望を描いていると捉え読んだ本、島国日本の、無数の島々の、何百年と続いてきた島人の絶望的状況が描かれている、封建制そのものが、不条理そのものではあるが、その中を人は生きてきた、そして絶望の中から近代という世界を築いた、その基になったのは生産力、科学ではあったが、その科学が今絶望を生み出してしまった、現代の絶望は個人の絶望ではない、種として、存在として、意味を問う中から生まれている、かつてイエスは世界に絶望し、その中から言葉を発し、人に求めた、キルケゴールの絶望も、その死にいたる病の、絶望を感じない者への、イエスの代弁であったのだ、絶望とは本来、定義したり、説明するようなものではなかった、絶望とは絶望だよと、自殺したものの手記、生きがたさが伝わってきた、社会、世界との関係で、自分に劣等、嫌悪、卑下、虚無、厭世に捕らわれていた、私にもあった、そして今も在るこれらの感情、世界に対して絶望する、と自分を位置づけ生きようとするとき、襲うこれらの感情


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