夢を見た
続 原発震災日誌⑫
3.11以前、追いたちの記を書いていた、その追いたちの記に何故か嫌気がさしていた、個人の意味を探ることの、私における意味が感じられなければ、ただの追憶であるだけで、私の意味とはならない、そうした時、3.11が起きたのであった、以降、私の思考はこの原発震災を考えることに集約されてきた、癌を宣告され、闘病していたあの五年間のように、癌とは何かのように、原発、核とは何かと、
続 原発震災日誌⑫
3.11以前、追いたちの記を書いていた、その追いたちの記に何故か嫌気がさしていた、個人の意味を探ることの、私における意味が感じられなければ、ただの追憶であるだけで、私の意味とはならない、そうした時、3.11が起きたのであった、以降、私の思考はこの原発震災を考えることに集約されてきた、癌を宣告され、闘病していたあの五年間のように、癌とは何かのように、原発、核とは何かと、
十六歳の心に突然に目覚めた感情、不安と反抗、自由への憧れ、それらが私の実存という感情であった、この感情は人の死という絶望と無の感情への扉でもあった、いまこの地上に核の不安と、原発への反抗の感情、そして絶望と無という生命絶滅のパンドラの箱、癌の宣告のように、私が、私という一個が、私の癌のように、この核世界を考え、私対世界が、私対原発、私対不条理、私対絶望と、常に私があって、私を何処の上にも据える必要はないのだった、私とは常に私であるのだった、これが私対世界の、私が癌からつかんだ感情であった、私対カミュ、私対ニィチェであるのだった、
絶望とは絶望、現在の絶望とは、希望を標榜しての絶望ではない、絶望とは絶望、無であるのだった、
世界の様々な差別、貧困、搾取、結局これらは全人類が絶望しない限り、無くなりはしないと思わせる、否、死が人の絶望となりえていないように、譬え原発が種の絶滅を警告していても、絶望には至らないのではないのか、イエスとも、キルケゴールとも違う、現代の絶望
夢を見た
震災後の、共産党がやっていると思える、東北の反原発の集会に私は参加していた、福島の現在の状況を各地の代表が報告し、署名活動や、草の根の様々な活動が提起され、アピールをして終わる、といういつもの集会であったが、私は一人の共産党の活動家とおぼしき、その集会の事務局をしている男と議論になっていた、「共産党は、どうして国民の生命財産にかかわる、今回の原発災害を本気で闘わないのか」「今日、こうして反原発集会なるものをしているが、原発をただちに廃炉にする行動に立ち上がるべきではないか」「本当に反原発なのか、ついこの間まで、反原発ではなかったはずだ、」私がかつて反原発を唱えたとき、「綱領には反原発は掲げていない、未来のエネルギーとして、安全に民主的管理をしていくことが大事だ」と言った、「世界が今、絶滅寸前にあるのに、個々の党員も、支持者も甘いよ、共産党の絶望を見据えない、理想主義がいけないのだ」などと私は言っていた、それに対し終始穏やかに、少し笑いを浮かべながらその男は私の言うことを黙って聞いていて、そして言ったのが「綱領というものは、世界情勢の変化に対応して、党内討議を積み重ね、変化していくものです、行動的には女川原発、東海原発に反対したりしてきている、そして現在は、はっきりと原発ゼロをを打ち出している」と、「ところで、どうして貴方は、党を辞めたのですか、それは利己主義ではないのですか」
私が党を辞めた理由を、この夢分析を通して
やらなければ、何故に私が3.11以降、「絶望と無」に至っているかを、
『島村』
陽の射さない四畳半の陰鬱な部屋、窓を一メートルも隔てないで隣のアパートがある、そこからはいつもしゃがれ声の女の声が響いて来る、で、彼はその窓を本棚で塞いでしまった、窒息しそうな部屋だった、本の他には何といって無い、綿の飛び出した万年床と、着つくして悪臭を放っている下着類が散らばり、何日か前に飯を炊いた鍋がひからびて口をあけている、その中で彼は先程から外へ出る機会を窺っていた、彼の部屋は家主の作業場のすぐ横にあり通りへ出るまで、どうかするとおやじに見つかる、おやじは組織の役員で何んだかんだと声を掛けてくる、彼はこの何日か事務所へ出ていないし、ただ具合が悪いとだけ何日か前に電話をいれていたが、おやじは時々昼間電気がついているのを知っているに違いない、又何か考えごとをしている、少し元気づけてやらねばなどと声をかけられたが最後、きっと黙りこくって無様な醜態をさらす結果になる、それこそ電気がついている度に戸をたたかれ、なぐさみ言を聞くはめになる、その為に彼はこの何日間、めったに昼間は部屋を出なかった、タバコの煙る中で悶々と一人で耐えた、「組織と個人」「運動と文学」――俺は書きたいんだ、書くことで運動に参加するんだ、そうだ――書く以外にないんだ、それなのに俺は何を悩んでいるんだ、原因は一つ、組織だ、運動だ、これが俺を掴んで放さない、闘わねばならない、ねばならない、――「君がどの分野が適しているかは出来上がった作品によって現在の任務と、どちらが運動に貢献出来るかによって決める」――チェッ何を言っているんだ俺は自分で自分の能力を高める自由を有するんだ、書きたいという衝動は何にも換え堅い、芽が出るまで待てるか!さあ書け、書いたらいいではないか、何を煩悶しているのだ、寸暇をおしんで書いたらいい!
若き日、組織と個人、犠牲精神の問題で悩んだ、反抗を有効にするためには組織化しなければ、組織化のためには、個人の自由がと、全体の幸福と、個人の幸福、二律背反が常にあり、ついには出家遁世へと、この問題は現在も私にあり、反原発の運動を考えるとき、それは付き纏い、
癌は発見される遥か十年前に発生している、原発は事故がおきる遥か前、一九四五年のヒロシマ長崎に発生していた、多くの友人知人が癌で死んでいった、スリーマイルでチェルノブイリで、癌は発生していたのであった、今、福島という私の癌の発見であったのだ、スリーマイルは早期発見の癌、チェルノブイリはスキルス性の癌、そして福島は手遅れの末期癌、高額の抗癌剤を打ち続ける癌患者のように、除染、瓦礫処理にと税金はドブに捨てられ、癌医療村のような原発村の利権構造、
今や世界が癌にかかってしまった、この二十五年間の「未踏」は、癌になった私の生き方を見つめたもの、「未踏」を辿ることは、私の絶望を通して、世界の絶望を考えることにつながる、何故私が世界の絶望を容認するかということも、
新しき人とは
死期を生きる人、時というものへの信仰、
死というものがあり、その死というものから生を見た場合、生は有限であり、存在であり、その生から死を見た場合、死とは永遠であり、無である、世界を、人類、意識、宇宙誕生以前、以降、などと考えずとも、今の生ある私が考える世界は全て永遠であり、有である、ホーキングの言うように、有から無を考える限り、宇宙は有であり、永遠であるのだから、しかし、今私が無であり、死であるとするなら、世界は無であり、有限であろう、生なる有だけが、無限と永遠であるのであった、
余命何ヶ月と、癌を生きる人間の中にある意識と、余命を意識しないで生きている人間との違い、意識が消えるということ、生きてあった喜びが再びは味わえないということ、意識は何処まで行っても意識に過ぎない、が、生きてあった喜びは記憶という意識下の感情、これさえ満たすことが出来るなら、それは神の恩寵のように、死までの喜びの時を生きられるはず、癌を生きる人間の中にいくらも垣間見ることが出来る、絶望しても尚、この今の今、生きてある喜びに包まれるなら、絶望さえも意味となるのだった、
私は私の存在の重さで、この私が捉える世界の絶望を超えようとしているのだが、死にゆく人を側に見て、楽しんでいられない、悲しんでもいられない、あの日最悪の事態にならず、当座はこうして、東京は助かって、日本は成り立っている、間違っていれば、日本は終わっていた、この安堵感とは、癌ではなかった、転移はなかったような、しかし、福島が、いや、多くの低線量被爆者がこれから癌にかかっていくことが、こうした彼らとの共通感が、二百万年に渉る汚染が、転移の目安の五年のような、不安、不健康な意識を支配していくのだった、
五年後、十年後に悲劇が顕在化したとき、その苦痛、悲しみは、絶望に変わるだろう、本当に何も手につかない、ただ音楽を聴くばかり、文学の類が、美術の類が、全く力に成らない、ベートーベンであれ、ミケランジェロであれ、原発、核に対してはただの雑音、紙切れ、希望を語る人間もいるが、絶望しない人間もいるが、癌になっても、自然災害のように、仕方のないことだと、それが放射能の影響だとしても、いずれ生あるものは死すと、開いてしまったパンドラの箱、蓋をしなければ何時までもその災厄が出続ける、反原発、反核とはパンドラの箱の蓋をすることではある、いつ何ん時、またその蓋が開いてしまうか知れないが、管理するということ以外に方法はなく、二百万年にわたる管理、
開いたパンドラの箱(核)の良い点
グローバリズムそのものが核の汚染を引き起こし、
貧富、格差を超えて、世界中に拡げ、
二百万年に渡って人間に考えさせ、
生きることの意味を、生き方を問い続ける、
生命の共生を突きつける、
浮かれていて良いのかと、
傲慢な文明が駆逐される、
必要な新しい文化が誕生する、
その結果シンプルな生き方が、
在る事を、共生を意味とする文化へ、
あらゆる価値観が、放棄の基準へ
捨てることの喜びへ、所有しないことの普遍へ
アカデミズムというものが無意味に
人が人を超える、物質からの精神の自由が
もう何もしないでもいい、只生あることを楽しむ存在に、