夢を見た
続 原発震災日誌⑪
理念なき談合、同窓会的政治、警察署長、判事、市長、企業城主の学芸会的政治、絶望しても死なないで生きると、絶望の上に私を据えて生きると、絶望だけが人を共感へと導く、絶望こそ希望であると、絶望しているから希望を探るのだと、
戦争に対して、戦いを起こした者、加担した者の責任、原発事故の、推進してきた者の、それを許してきた者の、罪は、反対してきた者以外には全て有るという人の利己への、
原発爆発の、災害とは、許したことの上に発生したもの、
続 原発震災日誌⑪
理念なき談合、同窓会的政治、警察署長、判事、市長、企業城主の学芸会的政治、絶望しても死なないで生きると、絶望の上に私を据えて生きると、絶望だけが人を共感へと導く、絶望こそ希望であると、絶望しているから希望を探るのだと、
戦争に対して、戦いを起こした者、加担した者の責任、原発事故の、推進してきた者の、それを許してきた者の、罪は、反対してきた者以外には全て有るという人の利己への、
原発爆発の、災害とは、許したことの上に発生したもの、水道管が破裂して被害が出て、管理者の罪を問えないような、原発爆発の放射能の無主物とは、トンチの世界、国策であったとしても、ずさんな運用をしてきても、それが例え自然災害であっても、想定を無視して、起きた事故に対して、国策であったのだから、形として見えるものではないから、ただちに被害の出るものではないから、誰のものでもないからと、全て自然災害、地震と津波のせいだから、全員無罪、地震や津波で死んだ人の被害と同じ、自然に対し罪を問えないように、自然災害には怒らないのに、何故に原発災害には怒るのかと、津波に対して防波堤は、地震に対して耐震防火は、すべて減災、予防原則を考えてのこと、原発に対して、何故に人はこの予防原則が適用できないかの問題、地球温暖化のために原発が必要と、予防原則に騙されて進めて来た、その原発に罪はないと、
癌を生き延びて以降、再びは騙されまいと生きてきた、原発が、とりあえずは奇跡的に小康状態であることと、私の癌とは違う転移を残しているような原発の中で生きることとの、原発を転移と捉えるのか、転移は無いと思って生きるのか、原発は私の癌ではない、仕方がないとするのか、新しき人の感情、価値、喜び、意味を、どのように人に伝え得るか、伝わるのか、それで何とかなるのか、悪があって善があり、死があって生があるのではないのか、そしてまた堂々巡り、カミュの反抗、仏教の諸行無常へと落ち着くのか、結局人は癌の告知をされるより、知らされない方が良いとするのか、絶望を生きるより、幻想の内に生きていたいのだと、絶望が分かっていても、希望に生命を繋ぎたいのだと、笑って死ねるホスピスのように、余命三ケ月の人の生命のように、絶望している人に、絶望の共感か希望を語る他はないのだった、人は人生を此れっきりのものとして、生きることが出来るのか、癌患者の生き涯とはどのようなものが、絶望の上に立って、絶望を見続けること、癌患者の生きる道に似る、誰もが原発は止めたいと、条理と、希望へと、しかし原発は核は世界の、人間の無知と傲慢から発生しているもの、
夢を見た
南泉寺へ私、エミコ、嘉樹、潤が集まっていた、一室を借りていた、私は世界が悲惨な状態になっている中、それらを冷静に見つめることの必要を自らに課していた、私は処刑か何かで出来た、首や手足のない何体もの死体を処理しなければならなかった、誰かと寺の裏山の坂道に並べて置いた、穴を掘って埋めないといけないのだが、掘るのが大変だし、死体などあっちこっちに転がっているのだからと、しかし運んだ死体は鳥のスティックのようにきれいに並べて、道の端に置いたのだった、夜になって寺では何か行事があった、灯篭に火が入れられ、黒いシュス姿の女の群団や、村の名士達が集まっていた、私は暗闇に紛れ込んで、人に見つからないようにそこを通り抜け、
誰かが電話で、患者さんが、貴方に会いたいと言っていると、誰かと聞くと、分からんと、そして、プリプリ顔の面白い人だという、私は今でも四人程お宅の病院に、知り合いが入院しているが、あっ分かった引地さんだ、まるでプリプリトマトのような顔の女だろうと、彼女は元気になってきたのだろうかと、あっ、でも病院に行く前に、昼間、裏山に隠した死体はどうなっているのか、見て来なくては、昼間は面倒だから置きっぱなしにしたのではあるが、夜になれば、辺りにうようよいる野犬がそのうち食べてくれるだろうと置いたのだから、
群集の中を抜けて、裏山の坂道を見に行くと、数体だった死体が何十体にもなっており、犬が群がっていた、これは、ゴヤの子を喰う親の絵、アウシュビッツの遺体の山の写真だ、顔中血だらけ、肉だらけにした白い犬がこちらを向いていた、
一発撲ってけ散らし、次に私が最初に置いた死体の側に行って見たら、どれがどれだか判らない程になっていた、それは本当に鳥の腿肉のように首と手足のない状態で
並んでいた、群がっている犬を足蹴にし、拳骨で撲り飛ばすのだが、犬の数が多すぎ役にたたなかった、何んとかしなければと、子供達に力を借りようと、道を帰ろうとしたら、その坂道の滑り止めに使われている、木だと思っていたものが、よく見るとヤキトリのような色をした人の骨であった、その上を私は歩いていた、
坂を上り切った所に来たとき、一組の親子の家族に会った、親子は何事かをしゃべりながら、その死体の上をピョンピョン撥ねながら、坂道を降りて行った、なぜか私は裸足であった、疲れたと言って先に帰っていた妻の居る所へ帰ったが、足が汚かったが、土は余り付いていなかったので、畳の上の新聞紙を伝って奥の部屋に行った、案の定、妻は寝ていた、その奥では、潤が寝ていた、私は家族に、この現状を見せる必要を感じていたのだった、そこには私の死体もあるはずだからと、私の死体はすぐ判る筈、腹に手術の跡があるからと、そこへ嘉樹が帰って来た、一緒に死体を見に行くと告げた、何しろ死体をどこかへ埋めるか、処分しなければいけない、すぐに行こうと、出ようとしたら、嘉樹の友人という男がやって来た、私は出るタイミングを削がれてしまった、そこで夢は終った、
夢分析
私は絶望の上に身を置くと考え、作品を書き始めていた、私が絶望の上に身を置くとは、家族も一緒に身を置くことになるのだから、死体を見に行くのだと考えている、
寝る前に読んだ、「シシュポスの神話」の不条理性の文学というものを、人は持続できるものなのかと問う、カミュ自身の葛藤を感じ、また、私自身、3.11以降の、私ではない、世界の、この地球の絶望に、不条理に対し、どう捉えたらと考える日々、絶望を夢に見ているのだった、絶望の中でも、人は日常を送っていた、特に寺の中、寺に集う人には、絶望と日常が鮮やかに、密接に繋がっていた、
不条理、絶望との相克は人においてけして悪いものではない、今や絶望を日常化して生きることが絶望を生きる方法なのだからと、私は夢の中で考えていたようであった、寺の葬式はその象徴であるのだった、悲劇や不条理が、ありがたい、心地良いお経のリズムに合わせて日常化されている、生と死、苦と楽が巧みに織り合わされている、
絶望の中にいる癌患者の友人に、何の希望も、慰めもしてやれなかった、今、Nの妻に無力感ばかり、それが毎月訪ずれるのだった、かつてWさんが同じ病気で、私はそのWさんの絶望に会うことが嫌で避けていた、そして人伝に死を聞き、Yさんの場合も、死が迫って来ると、私は避けた、Mの時も、妻と一緒だったから、何度か見舞ったが、Hの時は彼の家族の時へと、Oの時にはO一人に帰し、HIの時は苦言を呈して拒み、
この夢をどのように描くか、手法的には一つ一つの絵画のモザイクでいいと思う、絶望を夢として、しっかり意図して描くこと、夢のリアリティー、私の実感を大事にしながら、書くことで生きる私への方法論が、私の私を絶望の上に据えること、私の癌とは違うのだった、世界の絶望を実際的には掴むことが出来ないのだった、ディキンソンの詩のように、その絶望の先にもまだある集まりというもののように、絶望ではない、嫌悪の、不毛の、無意味の、無名の私が、生きていることの作品を、Tさんが「あそこまで言い切ったのだから」と原発震災日記へ、「次の作品を」に対する私の私に対する作品なのだから、
私だけが絶望の上にと思うのだが、部屋の狭さ、家族の生活から、どうしても家族に影響を及ぼしてしまう、これらがあって見た夢ではあった、昨日はTVが五月蝿くて、ヘッドホーンをしたり、遂にはうるさいとエミコに怒鳴ってしまい、カミュは実生活では演劇を指導したり、スポーツカーを乗り回し、人に会えば、好感を持って接し、グルニエを訪ねれば、解放された心で会い、作品世界と現実を使い分けていた、私には出来る時と、出来ない時がある、かつて在日の作家に対して、日本人作家からの揶揄が言われたことがあった、「君らには、差別や、民族分断やら、書く理由があって良いねえ」と、今や私には、彼等在日作家以上の理由があるのだった、今や全作家に理由は与えられたのだった、愛も真理も、文化も歴史も、全てが、寄って立つ場を喪失する地点の絶望が与えられたのだった、見た夢は、今や現実そのものであるのだった、現象学的現実であるのだった、夢の中では、作品や意図は何も考えてはいないのだが、私が見ていることには違いない、現実生活で書く時、あれ程のリアリティーを持って描けてはいない、またあれ程のの視点の自在さ、ディティールが保持されてはいない、実に明確に見えるのだった、ありありと思い起こすことが出来る夢の世界は、不条理の文学であるのだと、