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磐梯神代記  作者: 山羊座
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雨の岩戸《後編》

新天地を探すと言っても、まずは一族の皆を説得する必要があるじゃろ。幸か不幸か、ちょうど村ではここ数年凶作続きじゃった。それは勿論、天候などの関係もあるのじゃが、この土地自体が痩せているということも関係していた。そこで、わしはそれを理由に一族の皆に訴えかけた。

「新天地を探そう」、と。


村の多くのものはそれに賛成した。しかし、反対の意見を持つものも少なからずおった。反対の理由はまだ子供が小さいとか、捨てるには惜しい土地だ、など、様々な理由があったのじゃが、おそらく一番の理由はあれじゃった。


わしら亀の一族の信仰する"水神"様こそが、一番の反対理由であった。実は水神様は、元々わしら

一族の神ではない。古よりこのバンダイの地に住み、ここらの川、沼、湖の生命を統べる"土地神"なのじゃ。


土地神は古の鎖、神代の呪縛によって土地へと結びつけられておる。その呪縛は強く固いものであり、とてもわしらの力で断ち切ることはできん。つまりそれは、水神様はわしらと共に着いてくることが出来ないことを現していた。


わしの焦りは日に日に増していった。隣村の一族が祭儀を汚されたと攻めてこないか、そんな不安と焦燥がわしの胸を埋め尽くしていったのじゃ。

何とか反対派を納得させて、早くここを出なければ。その事しか当時のわしは頭に無かったのじゃ。そんなもどかしさが続くある日、一人の男がこの村を訪れた。


その男は、自らを"渡り鳥"と言った。どうやら、わしの事情を知っているらしく、新天地探しを手伝おうと話してきた。わしはその男に見覚えはなく、怪しいとも思ったが、その時のわしに余裕など雀の涙程もありはしなかった。


結局、わしはその男を頼る事にした。時は流れを止めないが、わしらは動かないままでいた。じゃが、ちょうどその頃、わしに初めての息子が産まれた。そう、それがお前の父、アカミミじゃ。わしは不運だと思った。こんな時に子供が産まれるとは。


しかし、わしの考えは揺るがなかった。むしろ、息子が産まれたことによってその覚悟は固いものへと変わっていった。大切な、大切な我が息子。

それをこんな危険な場所にいつまでも置いておけはしないと思ったのじゃ。そして、わしは妻に本当の事を話した。私は臆病者だ、そう言ったわしに、妻は何も言わず抱き締めてくれた。そして、わしらは全てを村の皆に打ち明け、新天地へ移る

ことを決めたのじゃ。


"渡り鳥"の者の協力によって、移る先はすぐに見つかった。山を越えた先にあるアイヅの地へわしらは身支度を始めていた。しかし、

「待て」

わしの耳に、いや、そのもっと奥の奥へ、"声"が響く。今まで悩みからあまり気にしていなかった"声"が、今になってまた響き始めたのじゃ。


"声"はわしを再び悩ませた。何故ならそれはわしらを呼び止めるものだったからじゃ。悲しみを写し取ったようなその"声"は、わしの心に葛藤を生んだ。幼い頃から触れ合ってきたこの地の森を、川を、湖を、小さくて大きな生命たちを、簡単に捨てられるだろうか。


いや、もう後戻りはできん。


かわせみのさえずりが朝の村にこだまする。そん

なある日の朝、わしらはこの地に別れを告げた。

らしくないと涙を流すわしをなだめる妻は、使わ

ずに取っておいた麻の布でわしの涙を拭った。

もう、戻れない。いざこの地を抜けるとなると、

どうしても泣かずにはいられなかった。冬には凍

るあの大きな湖も、もう見ることはないだろう。


あの日、わしは、降りかかる言の葉に背を向け、前へと歩き始めた。


こうして、わしら亀の一族は、アイヅの地にやって来た。一族の者は全員わしに着いてきてくれた。ただ一人、水神様を除いて。


ゾウは一呼吸すると、ミドリへ言った。

「じゃが、わしは今、こうしたことを後悔しているのじゃ。」

その目は深く暗いままであった。今にも燃え尽きそうな小さな火が、ミドリのまっすぐな瞳を照らす。ゾウはそれを見て嘆息を漏らす。

「今思えば、隣村の者たちと話し合いもせず、焦りから水神様を置いてきてしまったこのわしが、ただの臆病者にしか思えぬのじゃ。」

ミドリへ話しかけているのはゾウだけではなかった。あの"声"もまた、ミドリへ音無き叫びを放っていた。だが、ミドリは既に声の主に見当がついていた。


「こんな、こんな臆病なわしが族長でいいのかと、時々思うのじゃ。」

声の主が分かったなら、もう何も悩むことはない。ミドリは"声"を振り払い叫ぶ。

「族長がそんなこと言っちゃ駄目だ。お祖父ちゃんは皆の事を考えて行動したんだ。それを誰も責めたりしない、できないよ。」

その言葉を聞いたゾウは、何故か目を丸くし、その後すぐに笑いだした。

「お前たちは同じ事を言うんじゃな。」

ミドリが何の事だと首をかしげると、ゾウは、笑いながら続けた。

「実は、お前くらい、いやもう少し上くらいの歳になったアカミミに、この話をしたんじゃよ。そうしたら、今のお前と同じ事を言われたわい。」

自慢の息子と孫じゃよ。そうゾウは言った。何だか恥ずかしくなったミドリは顔を赤くする。


ミドリは理解した。この地に戻ってきたのは、ちゃんと隣村の人達と話し合うため。そして、水神様にきちんと謝って、またこの村とともにいてもらいたいから。そして、もう一つ分かったこと。

この"声"の主は━━━。


「ミドリ。どうするかはお前自身じゃが、今水神様を連れ戻せるのはお前だけじゃ。」

わかってる。やってみるよ。そうミドリは答える。

「すまない。ありがとう。そして恐らくじゃが、今、水神様はここから少し離れた所にある巨大な湖にいる。」

ゾウは話を続ける。

「イナワシロの湖、その中にある、雨上がりに虹と共に姿を見せる水中の洞窟、"雨の岩戸"。そこに、水神様は籠っている。」

話が終わると、火はそれを伝えるかのように同時に消えた。さあ、早く寝なさい。ゾウは優しい声で伝える。心なしか、ゾウの瞳は先程より少しだけ明るくなっているように見えた。


寝る前に、少しだけとミドリは久しぶりに星空を見上げた。いくつもの輝きを線で繋いだ物語。ミドリが心に描くストーリーは、また色彩を取り戻し始めていた。


待ってて、水神様。

水神の"声"を聞いたミドリは、そう呟いた。




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