雨の岩戸《前編》
耳鳴りのような"声"は、時折現れてはミドリの心を蝕む。
真実って?ゾウの言葉を受け取った脳はその意味を考えていた。
「うむ、お前にはもう少し後で話すつもりじゃったが、声が聞こえているのなら教えるしかないのう。」
そう口では言っているものの、ゾウの表情には迷いがあった。それは正に今のミドリが抱える迷いに近いものであった。
「ここから立ち去れ」
"声"は以前より鮮明さを増していく。ミドリは反射的に耳を塞ぐが、それでは"声"を遮断できない。ミドリは薄々と気づいていた。この声は耳ではない。心に直接響いていると言うことを。
どうにもならないのなら、いっそ。
ミドリの瞳から濁りが消えていく。
「おじいさん、僕からもお願いします。僕に本当のことを教えて下さい。」
この声は何なのか。何故ここにこだわるのか。ミドリは全てを聞き、受け入れる覚悟をした。
ゾウはそんなミドリの目を、真っ直ぐに見ることができなかった。ああ、あの頃のわしに、この子と同じ勇気があったなら。
「わかった。だが、一つ聞いておくれ。今から話すことを聞き、どうするかはお前次第じゃ。お前が何をしようとも、わしにはどうすることもできんからの。」
ミドリは真っ直ぐにゾウを見つめ、静かに首を降る。
族長の部屋の中、数本の薪がパチパチと音を立てる。それはまるで、ミドリをゾウの記憶へと誘う、幕開けの拍子木であった。
わしがまだ幼い頃、この一族はアイヅの地にはいなかったのじゃ。で、何処にいたかと言えば、ちょうど今わしらがいる、この地に根を下ろしていたんじゃよ。わしは少年期をこの山々の連なる土地で過ごし、水神様を奉り、仲良く暮らしておったのじゃ。
ちょうどわしが成人の儀を終えた頃、当時の族長であったわしの父が病にかかった。父は元気な人じゃったから、時々調子が良くなっては狩りに出掛けておった。じゃが、その元気はただの虚勢だったんじゃよ。病は一時良くなることはあっても、すぐに体調を崩しておった。おそらく、まだ成人したばかりのわしを気遣って、まだまだ元気だ、そういうふりをしてくれていたんじゃろうのう。
父がとうとう自分で歩けなくなってしまった時、わしらは毎日水神様に祈りを捧げておった。あまり関わりの無かった隣村にも病を治す方法を聞きに行ったりもしたんじゃよ。しかし、それも全てむなしく、父はわしが成人して二年がたったある日、この世に別れを告げたのじゃ。
それ以来、わしは若き村の長として、祭事に狩りに、時には子供達に御伽噺を聞かせたりした。ほれ、ミドリにもよくしておったじゃろ。まあ、あんまり話を聞かせ過ぎたのか、お前は少し空想好きの少年になってしまったようじゃがの。すまんすまん、話を戻そうかの。
そして、父の病の時に初めて交流を持った、隣村との関係もできてきたんじゃ。初めは自分が族長としてやっていけるか、不安で眠れぬ毎日を過ごしていたんじゃが、段々と自分に自信が持ててきていたんじゃ。そう、あの祭りの日までは。
薪の火の明るみが、夜闇をより色濃くしていく。
ゾウの瞳は深い深い夜の色へ沈んでいく。