きっとまた会える
なんだ? この音。
チラチラ舞い散る薄ピンクの花びらに妙に合う。その微かに聞こえる音色を探すため目を閉じて耳を澄ませ足を止めた。
いきなり止まった体とは反し両腕だけは前に進もうとする。右腕の先には悠成の小さな手。左腕の先にはそれより少し小さい晟堂の手が握られていたからだ。
「あやくいこぉよ」
私は二人の息子達に急かされるようにゆっくりと歩き出した。目は閉じたまま耳はあの音色を探して。
まっすぐに伸びた砂利道の先には大きな公園が待っている。道の両脇には桜が行儀よくきちんと並んでいた。ジャリジャリと心地よい足音にかき消されながら微かに聞こえていた音色はだんだん大きくなってきた。
突然──。
温かくやわらかいぬくもりが両腕の先から伝わらなくなった。私は目を開けて、走り出すぬくもり達の後を追った。必死で走る彼らの元には早足程度ですぐに追いついたが、目指すゴールには東屋が佇んでいた。
屋根を四方へ葺き下ろし腰壁が組み込んである木造の建物。中には大人が4人ほど座れる木のベンチとテーブルが設置されている。そこは休憩所として砂利道の脇にひっそりと存在していた。
普段は目もくれず通り過ぎる東屋に彼らは吸い込まれるように入っていった。後を追って入ると、そこには一人のおじいちゃんが座っていた。
白髪交じりの頭はきちんと切り揃えられ、茶色のチェック柄でシワのないシャツを着ていて、どことなく品が良い印象を与えた彼の手には音の正体が握られていた。
その細長い棒は尺八だった。そしてテーブルの上には紙が何枚も並べられていた。それは尺八の楽譜だと思われたが、私が知っている楽譜とはまったく違っていた。
紙には縦に書かれた文字は漢字とカタカナで埋め尽くされ、それはいつか授業で習った漢文を思わせた。
突然現れた子供達に少し戸惑いながら笑顔を見せるおじいちゃんに対し、興味津々で何のためらいもなく近づいき、テーブルを挟んだ向かいのベンチに二人並んでちょこんと座った。
「すいません、ほら、公園行くよ」
息子達の腕をひっぱる私にかまわず悠成がおじいちゃんの尺八を指差した。
「おぎいちゃん、あにやってんど? それあに?」
「え?」
まだ夜はオムツで寝る悠成の発音が悪いのか? 単におじいちゃんの耳が遠いのか? この会話を三回も繰り返している。
見るに見かねた私は少し大きめな声でおじいちゃんに質問してみた。
「それ、尺八ですよね?」
「あぁ、そうだよ。僕が作ったんだ」
ちゃんと聞こえてるじゃん。
少し照れながら持っていた尺八をテーブルの上に置くと、息子達は身を乗り出し透き通る目をいっそう輝かせた。
「え〜? ご自分で作られたんですか?」
さわって壊さないようテーブルの上で動く小さな手から目を離さずに息子達の首根っこをしっかりと掴み「なんか演奏してください」と(ま、聞こえたらでいいや)くらいの音量でボソッと言ってみた。
「いいですよ! でも、練習中だから上手くないけど……」
あっさりと聞き取りすぐに承諾してくれたおじいちゃんから大きなうれしさと、悠成の発音が悪かったのかという小さな納得をいただいた。
身を乗り出す息子達をベンチにきちんと座らせて私も横に座り、桜がチラチラ舞散る中、四人だけの小さな演奏会が幕をあげた。
おじいちゃんは数ある楽譜の中から小さな子供達でもわかるような曲を一つ選び弾き始めた。
ピィ〜ピ〜〜〜ヒョロロ?……ピッ……ぴぃ?ピィ!
確かに練習中。おじいちゃんの尺八レベルと悠成の発音レベルが重なって親近感すら沸いてきた。
それでも一生懸命奏でる音色に耳を傾ける息子達の瞳はまっすぐに尺八を見つめ瞬きを忘れキラキラと輝いていた。
一曲目が終わると拍手喝采する悠成と、それを真似する晟堂に私は少し違うところで胸を熱くさせられた。
曲が終わるたびに拍手喝采する子供達に応えるようと、おじいちゃんは頭をかいて次の曲を探し、楽譜とにらめっこしながら頬をふくらませた。そして、ほんのり額に汗を掻きながら、たどたどしくではあるが指を動かし続けた。
四曲ほど披露して素敵な演奏会は幕を閉じた。
「こんど、ぼくたちに小さい尺八を作ってきてあげるよ」
ヘタッピな尺八の演奏に瞳を輝かせた子供達に気を良くしたのか、二人の頭をなでながらうれしそうに言った。
「あ〜と〜!」(訳 ありがとう)
「え?」
ここは聞き取ってくれ! と突っ込みたくなったけど「ありがとうございます。公園に来る楽しみが増えました」と笑顔で答えた。
にっこり笑うおじいちゃん。
──きっとまた会える。
だから細かい約束はしなかった。
ただ、なんとなくそんな気がして。