07
狼。
見上げる程大きい、銀狼。
体高は二メートルあるだろう、体長はその倍はある。
「………っ」
嘘だろ? 確かにアネットは人間とオオカミに変身出来るって言ってたけど、それにしたってでかすぎる。
僕は、完全に怖じ気づいていた。
隣のアネットを見る。わずかに眉をひそめているものの、その瞳には闘志が宿っていた。
…………………。
はあ。
仕方ない。
覚悟を決めるしか無いだろう。
オオカミ退治と洒落こもう!
僕は、足下のオオカミの死体からナイフを抜き取り、両手に一本ずつ構える。
アネットのように正確に投げる事は出来ない。でも、力任せに斬りつける事はできる! 幸い、力は抜群にある。大丈夫、僕はやれる。
目の前の巨大な銀狼を睨み付ける。
アネットが両手にナイフを揃える。
僕がナイフを握りしめる。
銀狼が唸りをあげる。
最初に動いたのは、オルロフだった。地面を蹴り、まっすぐに僕へ向かってくる。僕の頭ぐらいならまるまる飲み込めるだろう大きさの口が開かれる。
僕は横に五メートル程飛び退き、後ろからオルロフに迫ろうとする。オルロフが地面に足を突っ張り、飛びかかった慣性を押しとどめる。
僕はその後ろ足に、思いっきり両手のナイフを突き刺す。
そのまま捻り、腱を切るように左右に振り抜く。
ナイフの刃が短い為そこまでのダメージにはならなかっただろうが、足に傷をつける事は出来た。
オルロフが身体ごと振り返る。その頭に、六本のナイフ全てが突き立った。
「ナイス、アネット!」
叫びながら、僕はオルロフの下に潜り込む。頭上の腹に思いっきり、腕が埋まるぐらいまでナイフを突き刺す。
生暖かい、甘い匂いの液体が体中に降りかかる。何だろうと一瞬考えて、それが血液である事に気付いた。
なるほど。吸血鬼には、血は甘い匂いに感じるのか。
そんな事を考えながら、腹にナイフを突き刺し続ける。痛みに唸ったオルロフが身をよじる。
足の一本に蹴飛ばされ、僕は壁にぶつかった。蹴られた胸は肋骨が折れ、胸から飛び出していたし、壁と激突したときに背骨が砕ける感触があったが、傷は三秒で回復した。
立ち上がり、ナイフを失ったので拳を構える。
オルロフは、壁や天井を無尽に飛び回りナイフを投げ続けるアネットに翻弄されていた。
上を向き、噛みつこうとする。その時にはもうアネットの姿は無く、のびきったその喉にナイフが突き刺さる。
下を前足でなぎ払えば、頭上から右目にナイフが刺さる。
完全に、圧倒していた。
僕はオルロフへ走る。距離を詰め、一歩手前で飛び上がり、完璧なライダーキックを横っ腹にたたき込んだ。
オルロフが唸る。僕はその広すぎる背中に降り立ち、拳を連打し始めた。一秒間に百発は殴ったのでは無いだろうか。
拳が砕け、振り上げる間に治る。それをただひたすらに繰り返す。
「ハルカ!」
アネットがナイフを一本投げてくる。僕はそれをつかみ取ると、彼女の目を見た。
「了解!」
僕はオルロフの背中を、首筋へと駆ける。アネットは壁を蹴り、僕と反対側の首筋へ跳んでいく。
オルロフの首に、左右からナイフが突き立てられる。最上部に突き立てられたそれら四本のナイフは、僕とアネットによって下へと下がっていく。
下までナイフを振り抜くと、僕とアネットは再び首の最上部へと跳ぶ。再び突き立てられたナイフを下まで振り下ろすと、巨大な銀狼の頭部は床に転がった。
『有り得ん……儂が負ける? 馬鹿な…』
「終わりだよ、オルロフ。お前の負けだ」
『認めん……認めんぞ………わし、は……ほこり………たかき、オオ………カミ……………』
そこまで言うと、オルロフの頭と胴体は、存在が「ほぐれて」いった。輪郭がぼやけ、端から黒い霧になって消えていく。
十秒ほどで、巨大な銀のオオカミはその姿を消していた。
さんざん僕を苦しめた狼の、ひどくあっけない最期だった。
「……さて、ホテルに戻ろう。急がないと夜が明けるよ」
アネットが、晴れやかな声で僕にそう呼びかける。
「……ああ、そうだな。帰ろうか」
僕は立ち上がり、差し出されたアネットの手を握る。
その手は、ホテルに着くまで放される事はなかった。
あっさりやられてしまったオオカミさんに合掌。




