06
オオカミ退治、なう
そして、楽しかったクリスマスが終わり、二十六日。
僕たちは、町はずれの工場跡の前に立っていた。
身を隠したりはしない。僕たちは今日、オルロフと決着をつける気でいた。それに、ここまで近付けばニオイで気付かれる。隠れる意味は無かった。
既に、アネットの手には六本のナイフが。
僕の手にはそこら辺で拾った鉄パイプが握られている。
武器を持つ事で逆に弱体化してしまうのではないか、とアネットには指摘されたが、僕はそれこそが狙いだった。
弱体化――つまりはリミッターをつければ、相手を殺してしまう確率はぐんと減るだろう。
ここに来て何を甘い考えを、と言われるかもしれないが、僕はこの戦いで、殺傷行為をする気は無かった。
あの光景が脳裏をよぎる。あんな光景、二度と見たくない。
と、アネットが両手を胸の位置まであげた。それを見て、僕も鉄パイプを構える。
剣道や棒術なんて習った事無い。剣客漫画の見よう見まねだったが、今の僕の身体能力なら行けるだろう。
開戦の合図はひどく無骨なものだった。
銃声だ。
僕の頭がえぐれる。どうやら、姿を隠しながらこちらを狙っている相手がいるらしい。
今日は三日月だ。月の光は少なく、街からもこの工場跡は離れている。つまりは真っ暗闇の筈だったが、僕とアネットには関係ない。
夜の生き物吸血鬼が、夜目が利かないなんてあり得ない。
僕の目には、昼間のようにくっきりと景色が見えていた。
二発目の銃声が響く。僕は再生した目をこらして、目の前の空間を見る。
と、小さなものが僕に迫ってくるのが見えた。素早く鉄パイプでそれを払うと、金属と金属のぶつかるけたたましい音と共に銃弾は僕から逸れた。
吸血鬼は、動体視力も優れているのだ。
そして、その間に狙撃手の場所を突き止めたアネットがナイフを放つ。
短い悲鳴と、屋上から何かが落ちるのが見えた僕は慌てて目をそらす。
一瞬後、なにか重たいものが地面に叩きつけられる音がした。
「行こう」
短く告げると、僕とアネットは工場へと入っていった。
いくつもの銃声が僕らを迎える。
僕は前に出ると、出来る限りの銃弾を鉄パイプで弾いた。
撃ち漏らしが体中に突き刺さる。
痛い、が、それは僕が生きている証だ。鉄パイプを振るう手は止めない。
アネットのナイフが敵を仕留めきるのに、そこまで時間はかからなかった。
僕たちは工場の中を悠然と進む。
敵が来ればアネットがナイフで倒すか、僕が殴り倒す。三十分足らずで、一階は制圧してしまった。
この工場は二階建て、屋上もあるがそこは狭い。あと一階と言って良いだろう。
二階に上がると同時、僕は何かに喉笛を食いちぎられた。
転がりながら見ると、オオカミの群れが僕らを取り巻いていた。どのオオカミも歯を剥き出し、おぞましいうなり声をあげている。
アネットがナイフを構える。
僕も喉の再生が終わり、彼女の横に並ぶ。今の攻撃で、鉄パイプが階段の下へ落ちてしまった。取りに戻っている暇は無いだろう。これからは素手でやるしか無さそうだ。
うなり続けるオオカミの群れ。その中から、一匹が飛びかかってきた。普通のオオカミより一回りは大きい。牙も長く、太い。あんなのに噛まれたらひとたまりも無いだろう。
……いや、噛まれたが。
飛びかかってきたオオカミは、眉間にナイフを喰らってその場に落ちた。それに激昂したのか、群れが一斉に襲いかかってきた。
アネットが六本のナイフ全てを投げる。だが、それは焼け石に水だった。
六匹の死体を乗り越え、オオカミが迫る。アネットは投げる事を諦め、ナイフを普通に構える。僕も、とりあえずはファイティングポーズを取ってみた。
オオカミたちが一斉に喰らいつく。
あるオオカミは右手に、あるオオカミは右足に、あるオオカミは胴体に、足に、手に、頭に、喉に、背中に。
全身くまなく喰い千切られ、それでも僕は両手をめちゃくちゃに振り回した。
吸血鬼の膂力で、振り回された腕に当たった何匹かは倒れる。だが、いかんせん数が多すぎる。
こうしている間にも、オオカミたちは僕の肉を喰い千切っていく。なにか打開策はないかと、オオカミが食い付いた頭をひねる。
その時、あるスポーツが思い浮かんだ。
左腕に噛みついていたオオカミを右手で鷲掴みにする。そのまま、思いっきり振りかぶり、適当な方向へ放り投げる。
思惑通り、投げられたオオカミは仲間を巻き込みながら突き進み、壁にぶち当たって止まった。
手当たり次第にオオカミを投げつけ続ける。みるみるうちにその数は減っていき、一分程で残りは十匹ほどになった。
僕はその中から飛び出してきたオオカミと対峙する。その横を、全身をオオカミの血で染めたアネットが投げつけたナイフが通り過ぎていく。オオカミの悲鳴をバックに、僕は一匹のオオカミに飛びかかった。
左腕を前に出して突進、予想通り左手に噛みついたオオカミの下顎を膝で蹴り抜く。
脳がシェイクされ動かなくなったオオカミを振り払い、アネットの元へ向かう。
彼女の足下には、頭や胴体を貫かれたオオカミの死体が六つ。僕が倒した一匹、アネットが最初に倒した六匹とあわせて十三匹。残っていたオオカミの数とも一致した。
つまりはオオカミの群れの全滅である。
オオカミに対しては、それほど忌避感を感じなくなっていた。やはり人型じゃないのが大きいのだろうか。
アネットと二人、静かな喜びに浸っていると、奥から一人の男が歩いてきた。
短く刈り込まれた銀髪、浅黒い肌、がっしりとした体躯をタキシードに包んでいる。
僕を襲い、瀕死の重傷を負わせた相手。アネットの、倒すべき敵。
人狼――オルロフ。
「よくもやってくれたな……!」
オルロフは、怒りを隠そうともせず歯を剥き出しにしてそう言った。
「オルロフ。あなたはやりすぎた――ここで終わりよ」
クリスマスの時のはしゃいだ声とは比べものにならないぐらいに冷たい声で、アネットは告げる。
「もう遅い。あなたの群れは全滅。どこから銃を大量に仕入れたのかは知らないけど、もうお終い。狗はおうちに帰りなさい」
「儂は狗ではない! 狼だ! 誇り高き人狼だ! 儂が負ける事など――」
オルロフの身体が変化していく。
腕はより太く、毛が深くなり、爪が急激に伸びる。顔は毛に覆われ、鼻が長く、口が大きくなってゆく。犬歯は口から飛び出る程長くなり、短剣のように鋭くなる。背骨は曲がり、四つん這いになる。足は腕よりも太く、立派な筋肉の上から毛皮が出来る。
『無い!』
それは声ではなかった。
うなり声のようでもあったし、遠吠えのようでもあった。人間であるならば絶対に出せない声。それを出したオルロフは--
人間ではなくなっていた。