言葉にしなければ分からないもの(5)
ミシェーラさんが案内してくれた扉は、アメリスタの南側に通じていた。こちら側は、北ほどのどかではないようだ。追っ手とは別の兵士達がそこかしこに見える。一方、一般人の姿は少ない。北側の門番が言っていたように、戦争の被害を受ける前に引っ越した者が多いからかもしれない。とりあえず森に沿って隠れながら南下することになった。
アメリスタ公の屋敷を出てしばらく歩いた頃、トニーはフォンスさんの背中を下りた。左足を少し庇うようにしていたが、何とか歩くことはできるようだ。しかし、その頬はまだ濡れたまま。フォンスさんの背中の上でも泣いていたのだろうか。今は泣いている様子はなく、リリーが気遣わしげに寄り添っていた。痛めた足のために泣いていたのではないだろう。ルイージはあの時、ピクリとも動かなかった。死んでいたように思える。何度か戦地に行ったことのあるトニーが人を、それも自分を殺しかけたような人間を殺してしまったことに怯えているとは、あまり考えにくい。ならルイージに何かショッキングなことを言われたのか。あいつはサイコ野郎だからな。天使なトニーを傷付けた可能性はある。気にはなるが、気安く聞けるような雰囲気じゃない。フォンスさんとディクシャールさんも同じように思ったのか、歩くスピードをトニーに合わせるだけで、何も聞こうとはしなかった。
かなりの距離を歩いたが、今日中に国境を越えることはできなさそうだ。足を痛めたトニーに無理をさせる訳にもいかず、夕方の時点で野宿する場所を探した。だいぶ国境に近づいたからか、そこには廃墟がポツポツとあり、国境で戦った兵士達が残したであろう、野営の跡も見られた。私達はとりあえず、廃墟で風を凌ぐことにした。ここはエンダストリアに近いからか、まだ日が落ち切っていない今は温かいが、完全に夜ともなれば、気温は下がるだろう。森とそう離れていない廃墟に一端入り、5人が固まって座れるスペースを開けた。
「お腹空いた……」
とりあえず皆で座ったところで私は呟いた。着の身着のままで逃げてきたのだ。携帯食さえ誰も持っていない。私の意見に同意したのは、一番体の大きなディクシャールさんだった。
「そうだな。だがこの辺は人が住んでいない。森で木の実か何か探すしかないだろう。お前らは大人しくしていろ」
彼はそう言って立ち上がり、外へ出て行った。
残ったフォンスさんは、トニーの左足を確認した。
「…折れてはいないようだな。捻ったのか?」
「はい。体重をかけると痛むくらいです」
ようやく口を開いたトニーは、しっかりした口調だったが、どこかいつもの元気は感じられなかった。
「冷やしておけば明日にはマシになるだろう」
冷やすには水が要るだろう。そういえば近くに小川があったはずだ。
「私、水汲んできます」
何もすることがない私は、その辺にあった手頃な器を持って廃墟を出た。
少し歩くと、後ろからフォンスが追いかけてきた。
「外は危険だ。私もついて行く」
「はあ、そうですか。ありがとうございます」
「……」
「……」
き、気まずい。会話が続かない。いや、フォンスさんは別に気まずくはないのかもしれない。私が勝手に自己解決してるから、気まずく感じるだけなのだ。でもどうしようか。地下で泣いて、アメリスタ公の部屋でしがみついて…、あの時は必死だったけど、後で考えるとあんな大胆なこと、よくできたもんだと恥ずかしくなる。フォンスさんはどう思ったのだろう。直接的ではないけれど、ほぼ愛の告白に近かった。地下では言い逃げになっちゃったから、今更私から"あの時どう思った?"なんて聞けない。せっかく二人になったんだし、向こうから聞いてくれないかな。そしたらダイレクトにずばっと言ってやるのに。フラれるなら、ちゃんと言葉で言って欲しい。じゃなきゃ中途半端で気持ちを消化し切れない。
「サヤ、聞きたいことがあるんだ」
え?き、来たあ!本当に聞いてくるとは思わなかった。
「…はい、何ですか?」
落ち着け、落ち着け私!どうせ答えは決まってる。自分の中でけじめをつけるだけなんだ。
「あの時…、君は、アメリスタ公と何を話していたんだ?」
「へ?」
…そっち…かあ…。テンション急降下。人がせっかく頑張る気に…いや、違うか。勝手に都合の良いように期待していただけだな。軍人の彼にとっては、私の気持ちを知るより、敵国のトップとの会話が知りたいのだろう。当然だ。当然だが、この気まずい雰囲気を何とかしようと、少しくらい触れてくれたっていいのに。前にディクシャールさんが言ってたけど、本当にこういうことには鈍感なんだな。
「…何って、色々あるんで、どこから話せばいいのか……」
悶々とする不満を押し隠し、私は苦笑した。
「では、逃げ延びたら賭けると言っていたのは、何のことなんだ?」
「休戦して、防御壁を張る必要のなくなったバリオスさんに、召喚術をもう一度使ってもらうんです」
「休戦?召喚術を使うことと、どういう関係があるんだ。もう一人、君のような被害者を増やすとでも?」
フォンスさんの顔が険しくなった。ちょっと説明を省き過ぎたかな。
私はアメリスタ家初代公爵が日本人であること、独立戦争の目的である遺言のこと、200年経って行った召喚が異界の同じ場所と繋がったこと、それに繋がった所から帰れるかもしれないことを話した。