言葉にしなければ分からないもの(4)
何が"逃げ延びられたら"だ。ゲームをやってるんじゃない。体張ってんだぞこっちは。そんなんだから、反抗期の娘に"一緒に洗濯するな!"って言われるんだ。
「小娘、そっちじゃない。一端地下に戻るぞ。ヴァーレイがキートを足止めしているはずだ」
走りながらぶつぶつアメリスタ公に文句を言っていると、ディクシャールさんがとんでもないことを言い出した。
「ええ!?あのサイコ野郎の所にトニー一人を置いてきたんですか!?一番危険じゃない!」
「サイコ?…まあいい。仕方ないだろう。あいつが自分で残ると言ったんだから」
「言われて何でホイホイ聞いちゃうんですか!サイコって言うのは、精神異常とか多重人格の人に使うんです!」
ルイージとあまり関わっていなかったディクシャールさんは、今ひとつピンとこない様子だったが、フォンスさんは思い当たったかのように頷いた。
「この屋敷まで彼と同行していたが、言われてみれば、何となくそういう面があるかもしれないな」
「何だと!?何故それを先に言わない!?」
「今言われて気付いたのだ。精神的に常人とは少し違うかもしれないと」
「だあもう!ここで言い合いしないで!口を動かす暇があるなら、もっと足を動かしなさいよ!」
私は半分切れ気味に叫んで、二人の男を追い越した。
「一番口を動かしてるのはお前だろうが!!」
ディクシャールさんのお約束な怒鳴り声を綺麗に無視して、ルイージと歩いた通路を逆走した。
階段を駆け下りて正面、開いた鉄格子の真ん前に、ぐったりと倒れたルイージが見えた。血が見えたような気がしたが、精神衛生上好ましくなさそうなので視線を外す。右を見ると、少し離れた所にうずくまるトニーと、それに寄り添うように膝をついたリリーがいた。
「リリー?部屋で待ってたんじゃなかったの?」
聞いてもリリーは顔を上げて泣きそうな顔をするだけで、何も答えない。
「私が連れてきたのよ」
左側からかかった声の主は、ミシェーラさんだった。
「あなたも何でここに…?」
彼女は私達の素性を知らないはずなのに。戸惑いを抑えられずに聞いた。
「人がいい気持ちで眠ってたら、真昼間からこの子がドアをガンガン叩いたのよ。訳を聞いたら、あのキートさんにあなたが連れて行かれたっていうじゃない。持ち場を変わるだけでしょって言ったら、どうやらそうでもないらしいし。よく分かんないけど、あなたが危ないから、この屋敷で一番怪しい所に案内してくれって泣きつかれちゃったもんだからさ。断りきれなくて思いついたのがここだったの」
さすがボスだ。下働きとは言え、屋敷のことはよく知っているようだ。とりあえず、これでリリーを回収に行く時間は短縮できた。それはいいのだが…
「で、二人のこの状態は…どうなってるんですか?」
「ここに着いた時には、もうキートさんとあの若い男の子はこういう状態だったの。駆け寄って二人で何か会話してたけど、私にはよく分からないわ。その後二人とも落ち込んじゃったんだもの。どうしようかと思ってた所にあなた達が来たってところね」
要領を得ない説明だったが、ミシェーラさんはリリーに頼まれて、何も知らずにここへ来たようだ。私もトニーの所へ行き、彼を覗き込んだ。
「トニー、大丈夫?どこか痛いの?」
聞いてもトニーは答えない。
その時、急に彼の頭が持ち上がった。ディクシャールさんが、襟首を掴んで持ち上げたのだ。
「ちょっと、乱暴にしないでくださいよ!怪我してたら大変でしょう?」
「怪我をしていようが、悠長にしている暇は無い。追っ手が来る」
馬鹿力によって仰向けにひっくり返されたトニーの顔は、泣いていた。既に頬は涙の跡でぐちゃぐちゃなのに、唇をかみ締めて、声を出さずに泣いていたのだ。ディクシャールさんは一瞬戸惑うように、襟首を掴んでいる手を震わせた。
「ヴァーレイ、歩けないのなら乗りなさい」
フォンスさんが背中を差し出すと、今まで一言も声を出さなかったトニーは、そこで初めて「あぐっ…」とうめき声を上げた。それでも中々動かない彼に焦れたディクシャールさんは、掴んだ襟首を高く持ち上げ、フォンスさんの背中に乗せた。
「ラビート、追っ手が来たら頼む。サヤはリリシアから手を離すな。急ぐぞ」
トニーを背負って立ち上がったフォンスさんは、先頭を切って階段へ向かった。
「ここを出るの?」
静かに聞いたのはミシェーラさんだった。そうだ、私はこの人を騙していたのだ。怒っているだろうか。
「そうだ。追っ手が来る前に屋敷を出たい。」
何と言えば良いのか分からず私が戸惑っていると、フォンスさんが代わりに答えてくれた。
「こっちよ。人通りの少ない勝手口に案内するわ」
無表情のまま言ったミシェーラさんは、そのまま私達の反応を待たずに、さっさと階段を上がって行った。
ミシェーラさんがスイスイと迷うことなく進んで行く廊下には、人がほとんどいなかった。途中何度が誰かと出くわしそうになったが、彼女の言うとおりに立ち止まったり物陰に隠れたりすると、問題なくやり過ごせた。
やがて勝手口が見え、庭に出た私達は、茂みに身を隠しながら、少しづつ進んで行った。段々兵士達の数が増えていく。多分追っ手だろう。あちこちで「いたか!?」とか「こっちも探せ!」とか言う声が聞こえる。
「いい?あそこに扉が見えるでしょう?」
しばらくして止まったミシェーラさんがすぐ後ろにいるフォンスさんに言った。
「ああ、あの古いものか。」
「そう。内側からしか開けられない細工になってて、鍵穴も無いから、一度閉じると外からは入れない。使い勝手が悪いから、今じゃ誰も使ってないものなのよ」
「あそこから出られるんだな?協力はありがたいが…何故追われている私達を逃がしてくれるんだ?」
フォンスさんの問いに、彼女は後ろを振り返り、私達を見渡して、フッと笑った。
「鈍臭い新入り二人のことがけっこう好きなのよ。事情は知らないけど、嫌われ者の私を頼ってくれたのは、あなた達二人だけ。新入りが多すぎて、まだ名前も知らないけどね」
「…私はサヤ。こっちはリリシアです」
「そう、もう会えないかもしれないけれど、覚えておくわ」
ミシェーラさんが腕を広げたから、私とリリーはそのフカフカな胸に飛び込んだ。洗濯用石鹸の香りがした。
「そこの男達、この二人のおかげでここから逃げられるのよ。大きい人、ラビートさんだったかしら。あなたはちょっと私の好みだけど、今度サヤに貧相なんて言っちゃ許さないわよ?女の扱いには気をつけてね」
「何故それを…華奢と言い直したが」
ディクシャールさんは私を一瞬睨み、決まり悪そうに言い訳をした。
「さあ行って!」
ミシェーラさんの合図で、私達は一斉に扉へ走った。後ろから「いたぞ!」と怒鳴る兵士の声がしたが、脇目も振らずに扉をぶち開けて外へ出ると、ミシェーラさんの悲鳴が聞こえた。思わず振り返ると、まだ閉まってない扉の向こうに、頬に手を当てて大袈裟に右往左往する彼女が見えた。
「助けてえ!曲者に殺されるう!」
「そこをどけ!もう外に出たぞ!」
「いやー!お助けー!」
巨体を押しのけて扉に近づこうとする兵士達だったが、彼女は側にいた一人に寄りかかった。
「うげえ!」
「ぐあっ!」
兵士が二人ほど支えきれずに潰され、他の兵士達もそれが邪魔で扉を通ることができないようだ。凄いな、可愛く寄りかかったら本当に潰れちゃったよ……
そこでようやく扉は閉まった。短い間だったけど、これでミシェーラさんとお別れなんだと思うと、とても寂しい気持ちになった。
トニーファンから「おい!どうなってんだ!」と言われるのが想像できます。
分かってます。納得いきませんよね…
サヤの行動上、どうしても本編内では書けなかったんですよう(泣)
トニーとルイージに何があったのかは、番外編を予定しております。とりあえず、本編をお楽しみください。