言葉にしなければ分からないもの(3)
しばらく俯いたまま、何かを考えるているようだったアメリスタ公は、やがて目線だけを私に向けた。
「それでは、我がアメリスタ公国が一時休戦すると言えば、エンダストリアはもう一度召喚術で世界を繋げると?」
やっぱり一時休戦止まりなのか。3年間も続けてきた戦争を、ここで簡単にやめると言うわけにはいかないのかな。
「エンダストリア王や軍幹部が、休戦の交換条件として、召喚術を行わせることを呑むかどうかは分かりません。ですが、さっき言いましたように、私は召喚術を組み上げた術師個人を知っています。休戦すれば、防御壁の分の魔力消費が減った彼と、直接交渉することができるんです」
「遺骨を君に託して休戦すれば、個人的に交渉して世界を繋ぐと…?」
「はい。向こう側に行けるかどうかは確かではありませんが、繋がった場所に飛び込むくらいの覚悟はできています」
アメリスタ公は再び視線を伏せた。私の言っていることは、代々積み重ねてきたことを一時中断し、不確かな方法に大事な先祖の遺骨を託せ、ということだ。すぐに了承するわけがない。少し時間をかけて説得するしかないのか。
「…君の言う方法は興味深い。だが、軍を動かしているのは私一人ではない。幹部達は、初代の遺骨を異界に届けるなどという事情までは知らぬのだ。彼らを今更止めるのは難しい」
「でもここの当主は、軍事に長けた人が継ぐんでしょう?軍の一番上にいるのはあなたなんじゃないんですか?」
「あの遺言を読めば、やはりそう思うか?」
おどけるように言った彼に、少し嫌な予感がした。突っこみ所満載のこの世界。私は召喚されてから、シリアスになり切れた事がほとんどないのだ。
「確かに私は、一族の者の中では一番軍のことを学んだ。しかしそれはアメリスタ家直系という限られた中での話だ。初代の軍事音痴は脈々と受け継がれ、私もしっかりその傾向を持っているようだ」
"しっかり持っているようだ"じゃねえ!コイツ、見た目通りの人間だったのか。意外と凄い人、なんてことはなかった。頭ポリポリ掻いて照れても可愛くない!やめれっ!
「…もしかして、エンダストリアから寝返った人達を受け入れてたのって、人材を補うためだったとか?」
「ああ、そうだ。元々アメリスタにも優秀な軍人はいたが、上の私が頼りないからか、補佐する者が欲しいと言われてな。仕方がないから、エンダストリアから好きな奴を引っ張って来いと言って任せたのだ」
部下の希望を、権限だけ与えて丸ごと返したのか。完全な丸投げだな。そりゃ頼りないと思われて当然だ。自分でも認めてるし。
「では、フォンスさんをアメリスタに連れてきたのも?」
「ん?フォンス・ダントールのことか?彼は開戦の準備を始めていた頃から、幹部の間で有名だった。だが有能すぎる故に引き込むのは難しくてな。以前から潜り込ませていたキートが一時帰郷した時に、時機を見て説得しろと指示を出したのだが…。どうやら君の無事を引き合いに出して連れてきてしまったから、心象を悪くしてしまったようだ。交渉が決裂して、幹部が彼を始末しようとしたのだが、彼の周りに異界人らしき女がいると、キートから私に報告が来た。だから殺すのを少し待たせたのだよ」
もしかして私がアメリスタに来なければ、フォンスさんはさっさと殺されていたのだろうか。この旅は感情的な見切り発車だったが、結果的には行動して良かったということだ。
「そうですか…。ではこうやって私があなたに会った後は?」
「ううむ、君はご先祖様と同じ故郷の者だ。今更全くの他人とは思えん。敵国の司令官とは言え、彼はそんな君が危険を冒してまで奪還しようとした人間だ。彼がこれまで通り大人しくしているのであれば、捕虜として命の保障をするくらいには、幹部に掛け合うことも可能だが……」
その時、扉の向こう側から何かがぶつかり合ったり、怒号が飛び交ったりするような音が聞こえ出した。
「…大人しくはしていなかったようだな」
段々と大きくなる音に、アメリスタ公は苦笑した。この馬鹿でかい声は性悪うさぎだ。さっさと逃げろと言ったのに!
バタンッ!と豪華な扉が蹴破られ、両腕で二人の兵士の首を締め上げながら飛び込んできたのは予想通りディクシャールさんだった。
「サヤ!無事か!?」
発せられた言葉はディクシャールさんからではなかった。後ろから続いて駆け込んできた声の主は…
「フォンスさん…!」
ディクシャールさん達が救出して先に屋敷から出てしまえば、もう会えなくなるかもしれないと思っていた。一緒に逃げることができても、これまでのように触れ合うことなどできないかもしれないと。その彼が、ソファに座る私の腕を引っ張って、苦しいくらいに強く抱きしめた。
「ううっ…」
涙を堪える時に思わず声が漏れた。それを聞いたフォンスさんは、腕を緩めて少し体を離そうとした。
「…あ、すまん。臭うか?」
私の声を勘違いしたのか、フォンスさんは気まずそうに聞いた。何日も汚い所に囚われていたのだ。汗臭いのなんて当然だ。今はそんなこと気にしなくてもいいのに。
「ううん。この匂いが好きなの」
何だか同じことを前にも言った気がする。離れようとする体を繋ぎとめようと、私は彼の背中に腕を回して力を込めた。
ああ、体が、心が、私の感覚の全てが、この人を欲している。多分嫌われてはいないと思う。だけど、出逢ってから一番近くにいたのに、さっきの面会で、彼と私の間で生じていた温度差に気付いた。それが悲しくて仕方なかった。お互いをどう思っているのかなんて、話したことはなかったから、気付いた頃には手遅れだった。気持ちが通じ合っていなくても、どうしようもなく好きなのだ。だから、こうやって彼の胸元で、愛しい匂いと体温を感じることで私の心を満たしたのは、寂しさと切なさだった。
「彼女は私の妻だ。返してもらおう」
しがみつく私をそのままに、フォンスさんは低く低く言った。これは本気で怒った時の声だ。一度ディクシャールさんの前で聞いたのを覚えている。同情の対象であっても、今フォンスさんが私のことで本気で怒ってくれたことが、少し嬉しいと思った。
「フォンス!律儀に許可を取っている時間はない!早く逃げるぞ!」
ディクシャールさんがアメリスタ公を睨みつけるフォンスさんを急かした。
「サヤ、君は運が良いか?」
部屋の外に出ようとすると、アメリスタ公が静かに呼びかけた。振り返って彼の顔を見るも、そこからは何の感情も読み取れない。
「…ここまで何度か危機を乗り越えてきましたから、まあ、人並み以上には運が良いんじゃないですかね」
質問の意図が分からず、とりあえず思っていることを言った。するとアメリスタ公は、ニヤッと悪戯坊主のような笑みを浮かべた。
「では、君の運を試させてもらおうか。もうすぐ事情を知らない兵士達が駆けつける。逃げ延びてアメリスタから出られたら、不確かな方法に賭けると言った君の強運に、私も賭けようじゃないか。」
「賭けるって、幹部を説得できるんですか?」
「その時は血生臭い部下にもちゃんと事情を話して、頭くらいいくらでも下げよう。手段に気を取られて、目的を見失うわけには行かぬ」
そこまで言うと、アメリスタ公は「早く行け。」と、犬を追い払うように手を振った。