女は丁寧に扱うもの(7)
違和感は脱衣所で既に感じていた。お風呂はどうやら大浴場らしく、脱衣所もそれなりに広かった。衣服を入れる棚や木の皮で編んだ籠、浴場の出入口に敷いてある簀の子、"湯舟にタオルをつけるな"と書かれた貼紙、大きな鏡、脇に置かれた体重計らしき大きな計り。さすがに扇風機はないが、異世界にいるのに何故か懐かしい。興奮気味のリリーに急かされて、浴場の磨りガラスで出来た引き戸を開けると、目を覆いたくなる風景が飛び込んで来た。
「あら、お先〜♪」
先客に声をかけられたが、とりあえず現実逃避をしたくなって戸を閉めた。横でリリーが不思議そうにしているが、答える気力はない。
「ちょっと、私を見た途端閉めるなんて、失礼ねえ」
ミシェーラさんが内側から戸を開けて抗議した。
「いえ、ミシェーラさんを見て閉めたんじゃないんです…。何でお風呂の壁に、山の絵が書かれているのかと思いまして……」
そう、浴場に入ると正面にタイル貼りの浴槽があり、先に入っていたミシェーラさんの後ろの壁には、てっぺんだけ白い、青い山がデカデカと描かれていたのだ。あれは完全に富士山だ。フジヤマだ。Mt.FUJIだ。ここはアメリスタだぞ。アメリスタ公が造った大浴場が、何で日本の銭湯にそっくりなんだ。
「ああ、壁の山?どこの山かは知らないけど、初代のアメリスタ公爵様が、お屋敷の敷地内に地面からお湯が吹き出る所を発見して、それを使ってお屋敷内にお風呂を造ったらしいの。その時壁にあの白と青の山を描かせたんだそうよ。そして当代の旦那様が、"あれはお風呂になくてはならない山だと代々伝えられている"とか何とか言って、使用人用のお風呂を作る時に同じものを描かせたんだって」
お風呂になくてはならないわけじゃないが、銭湯ではよく見かける。だが、アメリスタと日本の繋がりが理解できない。屋敷も周りの村も、思い切り洋風だ。お風呂だけぽっかりと近代日本風なのだ。それとさっきミシェーラさんは、地面からお湯が出ると言っていた。今のところ電気製品はスタンガンのみで、後は中世並のアメリスタに、お湯を循環させる機械があるとは思えない。ということは……
「このお風呂ってもしかして、源泉かけ流し…えっと、地面から出たお湯を溜めずに、そのまま流しっぱなしで使ってるんですか?」
「そうよ。だって川の水みたいに、後から後からお湯が出て来るんですもの。寒い時なんかは残り湯を洗濯に使うこともあるけどね」
「すっごーい!」
久しぶりのお風呂が100%の源泉かけ流しなんて!日本の温泉地でも完全なかけ流しは少ないのに。
「ねえサヤ、お湯の垂れ流しは凄いことなの?」
お風呂自体を知らないリリーが言った。
「垂れ流しって言わないで。かけ流しよ。使用人がこんな贅沢できるなんて、凄いことだと思うわ。早く入りましょう」
この際考えても分からない富士山の絵のことは置いといて、お風呂を満喫しよう。
「ちょっと、湯舟に浸かる前に、ちゃんと体洗いなさいよ!それと泳ぐのも駄目だからね!」
「はーい!」
ミシェーラさんは、温泉旅館に来たお母さんみたいなことを言って、先に上がって行った。
天然石鹸の優しい匂いに癒されながら、私はベッドに入った。この世界に来てから、体を拭くだけなんて物足りない日々が続いていた。今日はここぞとばかりに、石鹸をタオルにいっぱい付け、思い切り擦りまくった。背中にタオルを回して洗ってる時なんか最高だった。シャンプーとリンスはないから、髪は石鹸を泡立てて洗い、仕上げに備え付けの良い匂いのするオイルを、薄く髪にのばした。頭は爽快感マックスだ。リリーは見よう見真似で洗っていた。彼女も石鹸で洗ってお湯で流すというのが気に入ったようだった。そして湯舟に浸かると、私は勿論、初めて入るリリーからも「あ゛あ゛〜…」という声が漏れた。
ベッドに入ってもまだ幸福の余韻に浸っていると、隣のベッドに入ったリリーが話し掛けてきた。
「ねえ、戦争のこととかダントールさんのことがなければ、アメリスタってけっこう良い所ね」
「ええ。北側の門番もミシェーラさんも良い人だし」
「厨房の人達も普通に良い人だったわ。ネスルズでは貴重な水もたくさんあるし。…私みたいな一般人が国に文句言っても仕方ないけど、戦争なんかしないで仲良くしててくれたら、お互いに無いものを補い合えて、どっちの生活も豊かになったんじゃないかなって思う」
その考えには同感する。正反対の環境を持つ国だからこそ、協力し合えるところがたくさんあるだろう。だが世の中そう上手くはいかないものだ。
「…そうね。アメリスタ公が何故公国では満足せず、独立戦争を起こしたのかは分からない。でも、人間同士に合う合わないがあるように、国同士も考え方が違えば対立する。一般国民が望む望まない関係なくね。きっとここだけじゃなくて、世界にはそうやって対立をしている国々が他にもあるんじゃないかしら。世の中は単純にはできてないから」
「どこもそんなもんなのかしら。ま、考えても仕方ないし、ダントールさんを取り返すまで、ここのお風呂を楽しませてもらうわ」
そうして私達は、敵地にいるにも関わらず、旅に出てから一番穏やかな気分で眠りについた。