女は丁寧に扱うもの(5)
「サヤ、堂々としてないと、逆に怪しまれるわよ」
「ごめん…、他所様の家に勝手に入るなんて初めてだから、つい緊張しちゃって」
「私だって庭先より内側へ勝手に入るのは初めてよ」
コイツ、毎朝フォンスさんの庭に入り込んでいたのは確信犯だったのか。
エプロンをつけた私達は、似たような格好の人達の向かう流れに乗って、屋敷の中へ入った。何食わぬ顔で廊下を歩いていると、作業中の下働き達がぼやいている声も耳に入ってきた。そこから分かったことは、下働きの募集が昨日の内に締め切られていたこと、侍女への昇格やベテランの引退が相次ぎ、新たに数十人が一気に雇われたこと、あまり使い物にならない新人が多いこと、新人が多すぎて顔と名前が覚え切れないこと、下働きを取り仕切るボスは大きな体のミシェーラさんだということ、の5つだ。
「ボスの名前は覚えといた方が良いわよね。働く前に絶対紹介されてるだろうし」
情報を整理するために一端立ち止まってリリーが言った。ボスの顔は知らないが、大きな体ということは分かっている。ぼやいていた下働きの口調が馬鹿にしたような雰囲気だったことから、相当大きいのだろうと予想をつけた。
「名前からして女の人よね。大きい女の人を見つけたら、とりあえずボスかもしれないって思った方がいいかもね。ミシェーラさん、ミシェーラさん…、うん覚えた。多分」
本人を見たことが無いからあだ名は付けにくい。外国の名前を覚えるのは苦手だが、今回はちゃんと覚えておかないと。
「そこ!何をさぼってるの!?」
急に男か女か判別しにくい声で怒鳴られて振り向くと、縦にも横にも大きな女の人が立っていた。彼女はドスドスという音と共に、私とリリーのまん前までやって来た。
「もう、本当に今回の新人は使えないわね!持ち場の仕事が終わったら、次の指示を貰いに来なさいって言ってるでしょ?」
おおう、デラーックス…。絶対この人がミシェーラさんだ。ディクシャールさんほどの上背ではないとは言え、思わず見上げるくらいの大きさに、少したじろいでしまった。
ぐう…
こんな時に限って私のお腹が鳴った。ミシェーラDXだけじゃなくて、リリーまで私を睨んでいる。仕方ないじゃないか。侵入することに夢中になってて忘れてたけど、今日は朝から野盗に追いかけられて、そこから今まで水しか口にしてないのだから。鳴らないリリーの方がおかしいのだ。
「まだ食事を取ってなかったの?」
「はい…食べそびれました」
「はあ…、鈍臭い子ねえ」
ミシェーラさんは呆れたように尋ね、私が恥ずかしさのあまり縮こまって返事をすると、ため息をつかれた。
「ついてらっしゃい。厨房で何か余ってる物、貰ってあげる。そっちのあなたも食べてないの?」
急に自分に視線が来たことで少し動揺したリリーは、顔を引きつらせながらもコクコクと頷いた。
ミシェーラさんの後について厨房へ行き、隅の方でパンとスープを食べさせてもらった。スープの味付けはネスルズより慣れ親しんだものに近い。ポタージュを思い出した。ジャガイモの味が優しい。リリーは初めて食べる味を興味深そうに味わっていた。
「さっさと食べ終わってどっちか一人、ここを手伝ってくれ。旦那様のお食事が間に合わなくなっちまう」
「はーい」
コックさんに言われると、リリーが率先して返事をした。
「…リリー、ここのレシピを盗む気ね?」
「嫌な言い方しないでよ。私の方が厨房に適してると思うでしょ?まあ、ただで帰るつもりはないけれど」
やっぱり結局はレシピが知りたいんじゃないか。とはいえ、学校じゃあるまいし、いつまでも二人で固まっているのは良くない。私は別の所で情報を集めよう。
厨房を出て廊下を少し歩くと、すぐにミシェーラさんは見つかった。体が大きいから、どこにいても目立つのだ。食事が終わったことを伝えると、早速仕事があるらしい。ついて来いと言われた。とりあえず内部のことが手探り状態である以上、ボスに取り入った方が良いだろう。懐いたフリでもしておくことにした。それから、さっきの日暮れが交代時間ということは、多分私は夜勤だと思われているのかもしれない。半日歩いて疲れてるけど、こうなったら根性で起きていよう。
「あっ…!」
前を行くミシェーラさんの後ろでこれからのことを考えていると、彼女が急に声を上げて立ち止まった。そしてその巨体が私の方に傾く。ちょっと待って!潰される!
目を瞑って圧し掛かるであろう重みを待っていたが、そんな気配はなかった。目を開けると、ミシェーラさんの大きな背中で見えないが、どうやら誰かが彼女の腕を掴んで、後ろに倒れこまないように引っ張っているようだった。
「ああ、すまん」
この声は…、性悪うさぎ!おのれ、ここで会ったが百年目!…と思ったけどボスのいる前ではさすがにヤバイからやめておく。
「いえ、こちらこそすみません……」
ミシェーラさんが打って変わって弱々しい声で言うと、ディクシャールさんらしき人は掴んでいた手を離し、去って行った。DXレベルの背中に隠れていた私は、彼からは見えなかったようだ。首をひょっこり出して去っていく後姿を確認すると、やっぱり性悪うさぎだった。
「素敵……」
ミシェーラさんからびっくりするような感想がこぼれ、ギョッとして見上げると、彼女は頬に手を当ててぼんやりしていた。
「素敵って、さっきの熊みたいな人ですか?」
「熊?そうね、あの逞しさは熊かもね……」
ほほう…、ちょっと面白くなってきたぞ。目が完全に恋する乙女だ。
「ああいう人が好みなんですか?」
「好みというか、私とぶつかって吹っ飛ぶどころか、逆に転ばないように引っ張ってくれるなんて、そんな人初めて…って何言わせてんのよ」
途中で彼女は我に返った。しかしこれはボスに取り入るために利用できそうだ。ディクシャールさんには、私とリリーを勝手に置いて行った恨みを受けてもらうとしよう。
「初めてなら、きっと運命ですよ!追いかけましょう?」
「何言ってんのよ。職場でそんな浮かれたことできるわけ無いでしょ。私は皆をまとめなきゃいけない立場なの」
ボスなだけあって、この辺は常識人のようだ。リリーのようなストーカー性質は持っていないらしい。
「諦めるんですか?こんな広い敷地じゃ、次にいつ会えるか分かりませんよ?」
「……、でも…」
「じゃあ、私があの人のこと探って来ますよ。そういうの得意なんです」
妙に乗り気な私に、ミシェーラさんはびっくりした。
「やってくれるのは嬉しいけど…、何で?」
「私、仕事は鈍臭いから、これくらいしか役に立てないんです。その代わり、寝る部屋確保してください。さっき一緒にいた子と二人、食事どころか部屋ももらい損ねちゃって……」
よく考えたら、潜り込んだは良いけど、正規の募集で入ったわけではないから、寝泊りできる部屋を貰っていないのだ。さすがに茂みに隠れて寝るのは勘弁して欲しい。けっこう無理矢理な言い訳だけど、信じてもらえるだろうか。
「呆れた…本当に鈍臭いわね。確かに大量採用でバタバタしてたけど、部屋までもらってないなんて。探らなくても寝場所くらいちゃんと用意するわ。さっきの人のことは…そうね、お名前くらいは知りたいかも」
「やった!任せてください!ミシェーラさんって良い人ですね」
良かった、これで野宿回避だ。私は手を叩いて喜んだ。
「別に良い人じゃないわよ。皆から怖がられてるし」
「ご飯をくれる人に悪い人はいないって言うじゃないですか。さっきは本当にお腹が空いて倒れそうだったんです。頑張って愛しの彼のこと、調べますよ」
「何だか餌付けした気分だわ……」
ミシェーラさんは懐いてきた私を邪険にするでもなく、「調べるのは仕事の差し支えにならない程度にしてちょうだい」と言って、次の仕事場へ私を連れて行った。