女は丁寧に扱うもの(1)
いつの間にかまた眠ってしまっていて、目が覚めたら夜明けだった。右のディクシャールさんは眠っていて、代わりに左のトニーが起きていた。
「おはよう、トニー。早起きなのね」
「…あ、起きたんだ。僕は司令官と見張りを代わったんだ。火を焚いてないから、夜は獣が襲って来たら大変だろ?」
「だからディクシャールさんは、夜中一人で起きてたんだ」
伸びをしようとした時、急にトニーの目が鋭くなり、口元に人差し指を当てて辺りを警戒し出した。
「何、本当に獣が来たの?」
ただならぬ雰囲気に、私はヒソヒソ声で聞いた。トニーはその問いには首を横に振り、リリーとディクシャールさんを指差して、「静かに起こせ」と囁いた。
言われた通りに二人を起こすと、ディクシャールさんは荷物をまとめるよう私とリリーに指示を出した。
「追っ手か?」
「いえ、兵士にしては気配にばらつきがあります。それにこの粗雑な接近の仕方から、訓練を受けていないようですね。野盗でしょうか」
眠気眼のリリーを急かし、荷物をまとめ終わると、敵の確認をしていた軍人2人が立ち上がった。
「幸い追っ手ではないようだが、戦える人数が少ないこちらが迎え撃つのは不利だ。合図をしたら、一斉に走るぞ」
低く唸るように指示を出したディクシャールさんに皆頷くと、緊張しながらその瞬間を待った。
「3、2、1、走れっ!!」
私達が走り出した直後に、後ろで複数の男の怒鳴り声が聞こえた。怖くて振り返ることはできない。獣道さえもない森の中は、上も下も障害物が多すぎる。皆とはぐれないようにすることに気が取られて、私は盛り上がった木の根につまずいた。
「きゃあっ!」
転んだ弾みで胸を強か打ち、苦しさで起き上がれない。すぐ後ろから男の下卑た笑い事が聞こえ、後ろの襟元を引っ張られて息が詰まった。
もう駄目だっ!
「ぅおらっ!」
地鳴りのような声がしたと思ったら、引っ張られて浮き上がった体が再度地面に落ちた。顔の横にディクシャールさんの大きな足があって、起き上がると、髭もじゃのいかにも山賊です!といった風貌の男がのびているのが見えた。
「行くぞ!」
そう言ってディクシャールさんは私を脇に抱えて持ち上げた。
「どわっ!今そこ打ったばっかで痛いんですって!」
「贅沢言うな!お前を走らせるよりこうした方が速い!」
そうこうしている内に、横から次の敵が現れた。今度は大振りのナイフを持っている。私を抱えているディクシャールさんは自分の剣が抜けない。
「私降りますってば!」
「小娘がいらぬ気を回すな!鬼熊をナメんじゃ…、ねえっ!!」
相手のナイフを全く無視して、彼は空いている方の腕を振りかぶり、盛大なラリアットを放った。
ゴキッという嫌な音と共に敵は浮き上がり、綺麗な弧を描いて2、3mほど後ろにいた仲間を巻き込んで吹っ飛んだ。
「嘘でしょっ!?あんなでかいナイフが効かないなんて、熊のDNAでも入ってんじゃないの!?」
「意味の分からんことを喋るな!舌噛むぞ!」
そのままディクシャールさんは、大きな体に似合わないスピードで走り出した。
先を行くトニーとリリーが見えホッとすると、今度はリリーの前に剣を大きく振り上げた敵が襲い掛かってきた。斜め前を走るトニーはそれに気付くも間に合わない。リリーは足がすくんで立ち止まる、と思いきや、そのまま前のめりで頭から相手に突っ込んだ。
「ぐほっ…!」
「うきゃあ!」
衝突した二人は同時に声を上げ、吹っ飛んだのは敵の方だった。リリーはその場に転がって目を回している。そこに追い付いたディクシャールさんは、私を抱えているのとは逆の腕で彼女を肩に担ぎ上げて回収した。
「リリー、剣持ってる敵に体当たりするなんて凄いじゃない!」
「ううっ…、そうなの?怖くて目を瞑ってたから、木にぶつかったのかと思ってたわ…。あークラクラする」
前見てなかったのか…。さすがは猪女。
トニーが先頭を走りながら人工的な道を探し出し、前方が開けてきた。ディクシャールさんは女2人を抱えていても、スピードを上げたトニーに遅れることはなかった。以前トニーがこの人のことを、私を3人乗せても走れる、と言ったのはお世辞でも何でもなかったようだ。
「待ちやがれ!」
地の利を生かして先回りしたのか、前方に敵が3人出て来た。
「全員仕留めろ!」
ディクシャールさんの指示に、トニーはスピードを落とすことなく懐を探り、振りかぶって何かを投げ付けた。
「ぐあっ!」
「ごふっ…」
「がっ!」
3人はほぼ同時に膝をついた。すれ違い様に見ると、細いアイスピックのような物がそれぞれの肩や胸に刺さっていた。
「一発で全員!?トニー凄い!」
「ダントール司令官から直々に教わった技だよ。まだ合格は貰ってない」
褒めたら謙遜された。いやいや、十分凄いと思う。忍者みたいだ。
「後ろっ!来た!」
肩に担がれて後方を見ていたリリーが叫んだ。
「サヤ!歯を食いしばれ!」
ディクシャールさんが言った。
「はっ?何で私!?」
意味を理解する前に、彼は斜め上に勢いよく振り返った。遠心力で振り回された私の膝が伸び、下半身が浮き上がる。そして後ろから来た敵のこめかみに、私の踵がクリーンヒット!衝撃が足全体に広がり、じんじん痺れ、敵は白目を向いてひっくり返った。
そこからは新たな敵が現れることはなく、のどかな田園風景が見えた頃、ようやくトニーとディクシャールさんは走るのをやめ、私とリリーは地面に下ろしてもらえた。