若い想いは盲目になりがちなもの(4)
トニーの背中でぐったりしてる私を見て、ディクシャールさんはため息をついた。
「お前……」
「言いたいことは分かってます。酒は飲んでも飲まれるな、でしょ?うっぷ…、これでも5人中4人は潰したんですから、褒めてくださいよ」
「分かった分かった。よく頑張ったな。だがせめて歩けるくらいには、余力を残しておいて欲しかった。追っ手がもし来たらどうする?」
後から注文つけるとは小さい男だ。この世界の酒の度数なんて知らないのに、勘で飲んで寝込まなかっただけでもマシだ。
「そんなこと言うなら、2人目が潰れたくらいの時点でディクシャールさんが入って来て、3人一気にのしちゃえば良かったのに。そのでっかいゲンコツならできるでしょ?」
「馬鹿か、人間の拳にそんな面積はない。それに、相手に気付かれずに忍び寄って攻撃するのは、第3隊の御家芸だ。俺の受け持っている第5隊の合言葉は何だと思う?」
合言葉?スローガンみたいなものかな。確かトニーがこの前、第5隊は屈強揃いだって言ってたから……
「力で押せ押せ!って感じですか?」
「良い勘してるな。正確には、"押し潰せ!その腕力で!"だ」
「…誰が考えたんですか?その筋肉馬鹿的な合言葉。…あいてっ!」
正直に感想を述べたらこめかみを指で弾かれた。2回目だ。本当にかなりの衝撃があるからやめて欲しい。特に酔ってる時は。
「トリード殿も言っていたが、お前はいつも一言多い」
「何ですか、もしかしてディクシャールさんが考えた合言葉とか?円陣組んでむさ苦しく叫んで…あたっ!」
「酔っているのに首から上はよく動くらしいな。もう黙ってろ。さっき確認したら、遠くにはまだ兵士がいた。国境を越えてしまうまでは静かに行動せねば見つかってしまう」
言われなくても、これ以上性悪うさぎと喧嘩してたら本当に吐いてしまいそうだ。
それからは獣道さえも避けて、4人静かに行動した。とは言っても、私はおぶられてるだけだが。こういう隠密的な行動は、第3隊のトニーが慣れているため先頭を交代し、私はそこからディクシャールさんに背負われた。彼の背中はトニーより数段でかくて、大きな板にへばり付いているような感覚だった。足取りは、まるで私が乗っかっていないかのように軽やかだ。
ちょっと眠くなってきた。天然天使より、性悪筋肉馬鹿うさぎの背中の方が、安心して吐けそうだ。私はそう思って吐き気に堪えることを放棄し、そのまま力を抜いて睡魔に身を委ねた。
寝返りがうてないと思って重い瞼をこじ開けると、毛布にくるまれていた。辺りはすっかり夜だ。月明かりに照らされるだけの森は、薄気味悪いことこの上ない。左を見ると、リリーとトニーも同じように毛布にくるまって眠っていた。右にはまだ起きているディクシャールさん。何をするでもなく、木に背を預けて座っていた。
「おそようございます……」
「…何だ?その挨拶は。まあ、早くはないからおはようではないか」
「遅くに目が覚めた時はこう言うのが基本です」
そんな日本語はないが、寝坊した時なんかはこう言って茶化すと、何故か相手は許してくれる。主に会社以外では。
「本当に突飛な言葉ばかり選ぶんだな。お前の元いた世界はそんな変わった奴ばかりなのか?」
「失礼ですね。この世界の男にユーモアが足りないだけですよ」
私は身体を起こして、毛布をかぶったまま三角座りをした。
「つまらんか?この世界は。お前の世界はどんな世界なんだ?」
ここに来て初めてかもしれない。私の世界について聞かれたのは。皆スタンガンや電気のことは聞いてきても、私がいた世界自体にはあまり興味がなさそうだったから。
「そんな大雑把な聞き方されても、何から話せば良いのやら…。とりあえず、魔術はありませんよ。空想上のもので、"魔術が使えるぞ!"なんて言ったら、変人扱いされますね。下手すりゃ病院に入れられてしまいます。その代わり電気がありますから、機械は発達しています」
「ほう?魔術ではなく、機械仕掛けの世界…。便利なのか?」
「機械仕掛けって…何か違うような気もしますけど。そうですね、ネスルズが多少不便に感じるくらいには、便利です」
この世界の交通手段の少なさには参った。たった5分10分の買い物に、片道1時間歩くのが普通なんて。たまに貴族の馬車を見かけるが、所詮私には無関係の代物だ。ここに来てから、ふくらはぎがくっきりシシャモちゃんになってしまった。
「魔術は万能ではないからな。だが不便も悪くはないぞ。お前は何でも機械に頼ってたから、そんなにひん…華奢なんじゃないのか?」
「今、貧相って言いかけましたね?仕方ないじゃないですか。誰だって不便な世界に召喚される、なんて思いながら生活してる訳じゃないんですから」
「それもそうだな。お前、家族はいたのか?急に消えたら心配して…るだろうな」
呼び出しておいて、今更家族の心配を気にするのか。別にそんな申し訳なさそうな顔しなくても、もう怒る気はない。そんな時期は過ぎてしまった。
「ここと向こうでは、時間の流れる速さが違うみたいですから、どうでしょうね。あまりにも長くここにい過ぎて、失踪に気付けば、母親が心配すると思います」
「…母親が?父親はどうした」
「小さい頃死にました。病気で」
あっけらかんとしたあの母親でも、私が門限に遅れたら泣いたくらいだから、きっと早々に失踪届けを出すに違いない。
「そうか、すまん。なら、お前がいなくなったら、母親は一人になるだろう。玉砕してから帰還方法を探すとか言っていたが、もしフォンスがお前を受け入れたら、母親を捨てることになるんじゃないのか?」
「捨てることに…なるでしょうね。まあ、一人にはならないですよ。私が働きだして、自立するために家を出てから、母親は叔母と暮らしてますから。それでも悲しむとは思います。例えそうなったとしても、私は…」
「フォンスに惚れてる、と?」
一生に一度、一度だけでいい。後先考えずに動いてみたい。色んなしがらみのある世界では妥協せざるを得なかったことが、家族も知り合いもいないこの世界なら、とことんやってみたいと思える。
「ええ。こんな危険を冒してまで行動したいと思えるような人、もう出逢えないかもしれないから、自分の気が済むところまでやりたいんです」
「…男の俺が言うのは変かもしれんが、フォンスを落とすのは…難しいぞ?まず何でも器用に一人で出来ちまうから、女を必要としていない。その上頑固で、想い合う伴侶などいらぬと頑なになっている。頑張っているお前には悪いが、ヴァーレイの想いに応える方が、ずっと楽に幸せを掴めると思うがな」
ディクシャールさんは馬鹿にした風でもなく、前を向いたままフォンスさんの過去を思い出しているように、淡々と言った。
「楽かどうかで選ぶのは、向こうの世界で散々やってきました。フォンスさんが一筋縄ではいかないのも知ってます。でも、何でか分からないけど、惹かれてしまう……」
「何でか分からない…か。お前、さっき幼い頃から父親がいないと言っていたな?」
ここでディクシャールさんは私の方を向いた。
「え?ええ、そうですけど……」
話の繋がりが見えない。戸惑い気味に、私も彼の方を向いた。
「…心のどこかで父親を求めてるんじゃないのか?フォンスは歳の割に性格が爺臭いからな。お前は父性とか男の包容力とか、そういう自分が今まで得られなかったもんを、あいつの中に感じ取って、無意識に求めちまうんだろう」
「私、フォンスさんのことはちゃんと男として惚れてますけど。お父さんみたいなんて、思ってません」
「ああ、知ってる。そういう意味じゃない。男でも、母親にするように恋人に甘える奴がいるだろう?それと同じだ。そういう惚れ方もあると言ったんだ」
私はマザコンならぬ、父親を知らないが故のファザコンなのだろうか。それがトニーでなくフォンスさんに惹かれる理由?
黙って考え込んでいたら、ディクシャールさんは私の髪をワシャワシャと掻き混ぜた。
「今のは俺の見解だ。無意識で惹かれるもんを、頭で考えても仕方がない。あえて厄介な道を行くと、自分で決めたんなら貫けばいい。今までフォンスには、周りの目を気にせず飛び込んでくる女がいなかったからな。この世界で下手なしがらみのないお前なら、ひょっとするかもしれんぞ?」
父性、包容力…。頭の中で何度もリピートする内に、何か答えが掴めそうな感じがした。