若い想いは盲目になりがちなもの(3)
やがて兵士の口から白い泡が覗くと、トニーは絞めていた腕を離し、ドサリと床に落とした。
「…し、死んだの?」
「いや、殺すと騒ぎになる。気絶しただけだよ」
私に視線を移したトニーは、いつもの優しげな表情に戻っていて、少しホッとした。
兵士を締め上げるトニーは、別人のようだった。任務中も天然天使でやっていけてるとは思っていなかったが、実際目にするとそのギャップは予想以上に激しかった。
「さっきのが、見てろって言ったサヤの本性?いつもとあまり変わらないじゃないか。僕には見せない女の子らしい態度なんて、ダントール司令官の前でよくやってるから見慣れてる。そこに男を騙してやろう、っていう媚が少し加わった程度だ。僕に接する時との態度の差なんて、今更何とも思わない」
ありゃま。フォンスさんの前でばかりぶりっ子してたの、バレバレだったのね。"お姉さんの実力見せてあげる!"なんて言っちゃったよ、恥ずかしい。
「僕の本性見て引いたのは、サヤの方なんじゃないか?」
「え?」
「任務中は甘ったれた感情なんて捨てなきゃいけない。さっきコイツを絞めてた時の、僕を見る君の目、怯えてたよ」
そんなことない、と言う前に、私が何と言おうとしているのか分かっているかのように、トニーはフッと笑って首を振った。
「言い訳させてもらうとさ、どっちも本性なんだよ。いつも普段とは切り替えるようにしてるんだ。だから戦闘にならない限りは、普段の僕さ。君が多分思ってる、どこか抜けてる年下の弟分。そっちの性格出してる方が楽だしね」
トニーは自分が私にどういう扱われ方をしているのか、ちゃんと分かっていた。普段は天然天使だけど、その根底にあるものは、私が18歳の頃見ていた同級生の男の子達より、ずっと大人びているのかもしれない。下手すると私より大人びてるんじゃないか?ヤバイ、それはさすがにヤバイ。10以上も年下より子供っぽいなんて!私も頑張らなきゃ、色々と…。
「怯えてないわ、びっくりしただけ。それより…、自分の上司に媚びてる女のどこを気に入ったのか、私はそこが理解できないわ」
トニーが私の気持ちも行動も、全てお見通しであるかのような口ぶりだったから、この際思い切って聞いてみた。
「サヤは…、いつだって僕の味方をしてくれるから」
「味方になるのは当たり前じゃない。トニーは最初から私に親切にしてくれたんだもの」
「それこそ当たり前だよ。君は上司の客人だったからね。きっかけはその後だ。本当に嬉しかったんだよ、僕が女の子に振られたり、友達に馬鹿にされたりする理由を、"かっこいい"って言ってくれたのが」
それは偽装結婚を黙っていようとした理由と重なっている。あの時私が感動をそのまま口にしたことが、彼にとっては嬉しかったのか。
「それから、浮かれてサヤの話を皆に言いふらして、不快な思いをさせたのに、苦笑して許してくれた。キートさんに可愛いって言われるより僕のほうが嬉しいって言ってくれた。勝手に嫉妬して、キートさんに近づくなって言ったら、疑うことなく僕を信じてくれた。眠るのが怖いから一緒にいて、なんて情けないこと言っても手を繋いで寝てくれた。治療室で殺されそうになったら、危険を冒して助けてくれた。君は覚えてないこともあるかもしれないけど、僕は全部、覚えてる。勿論、姉さんだって味方してくれるよ?でも一番じゃない。昔からダントール司令官ばかり追いかけてたからね。僕も司令官を追いかけてたけど、君と出逢ってから、お互いを一番に考えられる味方が、欲しくなった…。そしてそれは、君が良いんだ」
両親を亡くしたトニーには、今までリリー以外に無条件で味方になってくれる人がいなかったのだろうか。
「私は、偽装結婚のこと、黙ってたのよ。裏切られた気持ちにはならなかったの?」
「聞いた瞬間はショックだったけどね。すぐにどうでも良くなった。召喚のこと話しちゃいけないって事情もあったから、仕方ないよ。それに、もう君じゃなきゃ嫌だってところまで来てる。盲目になってるなんて言わないで。僕の中ではサヤが一番の味方だ。だから僕も君の中で一番の味方になりたい。司令官を超えたい」
私は何も言えなかった。自分だけの味方が欲しい、というトニーの気持ちは分かった。分かったけど、ここで"じゃあ一番の味方になるわ"と言うのは、ただの同情でしかない。そんな味方は彼も望んでいないはずだ。
優しいフォンスさんと優しいトニー。年齢や地位以外で、フォンスさんにあってトニーにないもの。それがトニーでなくフォンスさんに惹かれる理由なのに、はっきり言葉にできない。頭で考えず、無意識で惹かれているのだ。言葉にできない以上、私はこの場でトニーに何か答える術がなかった。
黙ったまま座っていると、トニーは苦笑して、私の頭をポンポンと触った。
「今朝、そんなに気負わなくて良いって言っただろ?今のは僕の気持ちを洗いざらい話しただけ。これで君の気が惹けるなんて思ってないよ。だから頑張る。そこから選ぶのは、君だ」
そう言ってトニーは手を差し伸べた。重ねた手を引っ張られて立ち上がると、足元がふらついた。明日まで酔いは抜けないかもしれない。
自分ではまっすぐ歩いているつもりなのに、思うようにドアまで辿り着けずにいると、横でトニーが笑う声がした。
「サヤって、酔ってる時の方が可愛いんだね」
「ええ?やめてよ。ヘベレケになってる時に言われたって、嫌味にしか聞こえないわ」
「僕は君に嫌味なんて言わないよ」
トニーは前に回りこんで背を向け、肩越しに私の手首を掴んで上に引っ張った。
「うわあっ!」
「急がないと、ディクシャール司令官が待ってるよ」
目線が高くなったと思ったら、私はおぶられていた。トニーは他の二人が待っているであろう場所まで、そのままスタスタと歩いて行った。
「酒臭いでしょ?」
「そんなこと気にしてないで、楽にしてなよ。国境越えで一番活躍したのは君なんだから」
「先に言っておくわ。背中で吐いたらごめん」
私は至極真面目に言ったのに、トニーは「全部受け止めるから任せろ」と冗談めかして笑った。