出る杭は打たれるもの(6)
リリーが言った"苦情は受け付けない"が気になって、私は中々寝付けないでいた。隣を見ると、原因である彼女はすやすやと寝息を立てている。鼻をつまんで起こしてやろうかとも思ったが、明日アメリスタに入れば、こうやってゆっくり休むこともできないだろうからやめておいた。
不意にトイレに行きたくなって部屋を出た。廊下を歩いていると、応接間から話し声が聞こえた。ぽっちゃり大臣とフォンスさんのお父さんの声、そこに化石爺…じゃない族長のふぉふぉっという笑い声も混じっていた。すっかり意気投合したんだな、と思ったが、私は限界に近づいた膀胱を開放するために先を急いだ。
戻ってきてもまだまだ盛り上がっている様子。眠くなるまで私も入れてもらえるかな?一応嫁だし。そう思ってドアをノックした。
「おお、確かサヤじゃったかな?どうかしたのか?」
てっきりフォンスさんのお父さんが出てくると思っていたのに、一番動かなさそうな族長が出てきたので、一瞬身を引いた。族長はそんな失礼な私の行動など、全く気づかない様子で尋ねた。
「ええと、ちょっと寝付けなくて…。とても楽しそうにしてらしたから、私も入れないかな、と思ったんです」
「ふぉふぉふぉっ。そうかそうか、遠慮することはない。お前はもうダントール家の嫁じゃからのう。さあ入れ入れ」
応接室に入ると、やっぱりぽっちゃり大臣と、その向かいにフォンスさんのお父さんがいた。ここに着いてからは夕食や荷物の整理に追われてよく見てなかったけれど、フードを取った彼は、やっぱりフォンスさんと同じ穏やかな雰囲気をまとった、素敵なオジサマだった。
「やあ、ようこそ。ちょうど君の話をしていたんだ。フォンスのことも聞きたいと思っていたのだが、まだ新婚なんだそうだな。あまり色々聞くのは嫌だろうから、あいつのことはまたの機会にする」
そういえば新婚だったな。きっとぽっちゃり大臣が喋ったのだろう。毎日の内容が濃すぎて、もう随分経ってるような感覚だった。
「とりあえず、まだ君には名乗ってなかったな。儂はアルトス・ダントール。族長の補佐をしている。よろしくな」
「私は沙弥です。よろしくお願いします、アルトスさん」
「ア、アルトスさんか。ハハハッ、死んだ妻以来だ、そういう呼び方は。何とも照れ臭いが…悪くは無いな。娘がおらんから、お義父さんと呼ばれたらどれだけむず痒いものかと、そっちばかり考えていたぞ」
照れ方までそっくりだ。この人に、フォンスさんのルーツを見た気がした。
「どっちが良いんですか?」
「どちらも捨てがたいな。君の好きにしなさい」
一瞬フォンスさんがいるのかと思った。婚姻届にサインした後、"フォンスさん"と呼んでいいかと聞いた時、彼も同じように優しく言ったのだ。今までの寂しかった想いが込み上げて、言葉に詰まった。
「…どうしたんだ?」
「いえ、すみません。やっぱり親子ですね、フォンスさんと同じこと言うなんて。思い出しちゃった」
「そうか、新婚早々夫が戻らぬのは不安だろう。…ああ、そんな泣きそうな顔をさせるつもりじゃなかったんだ。ト、トリード殿、何か別の話題を……」
アルトスさんは焦ってぽっちゃり大臣に助けを求めた。涙に弱くて人に同情しやすいところも似ている。私には物心ついた頃にはいなかったが、これがお父さんというものなのか、と思った。そして三十路前になって今更、自分だけのお父さんが欲しいと切に望んだ。
「おおそうだ!娘、お前が船の上で申しておった話を、彼らに聞いてみようではないか」
しんみりした雰囲気に、ぽっちゃり大臣も若干焦りながら話題を振った。
「雷とオーロラと白うさぎの話ですか?そうですね。現地の人に聞いた方が良いですよね。アルトスさん、今言った3つって、スカルで見れますか?」
「雷は天気の悪い日に海を眺めていれば見れる。うさぎも森に入るか…狩りで捕ったものも台所にあったかな」
「し、死んでいるのが見たいわけではないのだ!生きている可愛らしいのが見たいのだ!」
「ふぉふぉふぉっ!」
台所に立とうとするアルトスさんを、ぽっちゃり大臣は慌てて止めた。横で族長が大受けしていた。
「鑑賞用か?それなら剥製もあるぞ?」
「生きているのが可愛いのだ……」
「ふぉふぉふぉっ!食べてみたいのではなかったのか」
可愛いものを愛でる貴族の趣味は、いまいちスカルの狩人には理解してもらえなかったようである。ともあれ、2つは見れると判明した。残りは一番見にくいであろう1つ。
「オーロラは見れるんですか?」
「オーロラ?」
「夜空に浮かぶ、光のカーテンです」
「ああ、神布のことか?」
しんぷ?あ、頭に漢字が浮かんだ。神の布、ここではそう呼ぶのか。それから翻訳ピアス、ちょっとすげー。
「スカルの北端まで行って、晴れていて運が良ければ見れんことも無いんじゃがのう」
答えたのはさっきまでふぉふぉ大笑いしていた族長だった。
「じゃが、あれは神が光の衣をまとって、地上に姿を見せたものと伝えられておる、神聖なものなのじゃ。村人にさえも滅多に見せ…」
「なんと!?神秘的なものなのか!ますます見てみたい」
「いや、神秘的というより、神聖なものでな、村人さえも滅多に…」
「うむうむ、神秘的だ。さぞ美しいのだろうなあ」
"神聖"の意味がぽっちゃり大臣に通じず、族長はかなり戸惑っていた。要は、神々しい現象で、村人にも滅多に見せられないようなものだから、ぽっちゃり大臣に"はいどうぞ"と見せるわけにはいかない、ということが言いたいのだろう。
しばらく続いたその押し問答に飽きて、少し瞼が重くなってきたので、先に私は部屋に戻ることにした。
「すみません、トリードさんは可愛いものとか綺麗なものを眺めるのが趣味なんです。なんだか困らせちゃったみたいです。」
ドアを開けて見送ってくれたアルトスさんに言った。
「気にするな。伯父は頭が固い。私は雪と獣以外何も無いと言われ続けてきたスカルのものに、外の人間が興味を持ってくれたことを、単純に嬉しいと思っている」
「そうですか。良かった」
部屋に戻ってベッドに入ると、朝まで夢も見ないでぐっすり眠った。
けっこう前に書いた内容が出てきました。
フォンスに呼び方を聞いたのは「人とは矛盾するもの(2)」、サヤが母子家庭だという場面は「年下の扱いは難しいもの(6)」に出てきます。参考までに…