旅立ちの前はバタつくもの(2)
郊外付近、砂漠の手前。そこに生えたドでかいトゥーロの影に、バリオスさんはちょこんと座っていた。最初はどこにいるのか分からなかった。リリーと二人でキョロキョロ探していると、近くで開店作業をしていたトリフさんに、「あそこにあるトゥーロの横に、人影が見えるけど、蜃気楼かな…」と言われ、近寄って見るとバリオスさんだったのだ。
「お待たせしました。どこにいるのか、ちょっと分からなくて…。一人増えたんですけど、良いですか?」
「お待ちしておりました。同行者ができたのなら良かったですね。それでは港に行く前に、スカルでの防寒具を買います。ネスルズ内の店にそういう物は売ってませんので、そこのトーヤン人の店で探しましょう」
トリフさんの店に引き返す間、バリオスさんを知らないリリーが、私にヒソヒソ声で話しかけた。
「あの人誰?言葉を発するまで、本当に蜃気楼かと思ってたわ」
「…初めて会う人はそう思うかもね。私も最初は陽炎かと思ったもの。彼はバリオスさん。ああ見えてもエンダストリア歴代最高の宮廷術団筆頭術師よ。一緒には来れないけど、フォンスさん奪還隊の協力者及びパトロンってとこかしら」
「奪還隊って、二人しかいないけど…。まあいいわ。要はあの人が旅のお金出してくれるのね?」
身も蓋もない言い方だ。実際そうなのだけれど。
「彼がルーゼン・バリオス…。筆頭術師の似顔絵は見たことあるけど、実物とは似てても雰囲気は違うのね」
リリーの呟きに、ひょっとしたら名前さえ隠せば、内緒でついてくることも可能なんじゃないか、と思った。とは言え、彼には防御壁を張っていてもらわないと、例え帰れたところでエンダストリアが滅びてしまってたら意味が無い。やっぱりここでおとなしくしていてもらおう。
トリフさんに防寒具のことを聞くと、不思議そうな顔をされた。
「あんたら、えらく大荷物だな。それに防寒具なんて…。遠くまで旅行かい?」
「まあ、そんなとこ。短い付き合いだったけど、色々ありがとう。しばらく戻れないから…元気でね」
「礼なんていいさ。お得意様じゃないか。そこの人もこないだから水袋、たくさん買ってくれてるしな」
バリオスさんを振り返ると、また彼は後ろの方で突っ立っている。
「バリオスさん、もしかして人見知りですか?そんなんでどうやって船の交渉するんです?」
「最初の取っ掛かりはサヤさんにお願いします。金銭面やその他の要求に関しては、私が何とかします」
…おい、私に一番気を使う役をやれと?仕方ない、彼はこういう性格だったな。
「船の交渉?定期便で行くんじゃないのか?何の旅行だよ」
私達の話を聞いていたトリフさんが、怪訝そうな顔で尋ねた。
「うーん、ちょっと事情があって、人を迎えに行くのよ。スカルを一端通りたいから……」
「定期便を別ルートで動かすのは難しいぞ。船はある程度の人数が無きゃ動かせないし、例え船は貸してもらえても、それに船員達がついてくるとは思えないがな。スカルって言やあ、寒い上に何もないって聞くから」
マジですか…。早くも問題にぶち当たってしまった。
私達3人で肩を落としていると、トリフさんは少し考え、何かを決めたように顔を上げた。
「どうしても行きたいのか?」
「…絶対行きたい。」
「俺が動かすよ」
「ええっ!!」
「本当に!?」
「なんとっ!!」
トリフさんの発言に、私達は口々に驚きの声を上げた。
「船、運転できるの?」
「一応はな。あんた達は大事なお得意さんだから、協力してやるよ。他の船員は、この辺の店のオヤジ達に声をかける。金銭面とその他の要求は、そこの新しいお得意さんがどうにかしてくれるんだろ?」
トリフさんは、悪戯が成功した時の子供のように、ニヤッと笑った。
「任せてください。あなた達商人が、絶対頷くと思われる切り札的なものを持っておりますから」
バリオスさんが、ここぞとばかりに胸を張った。それを聞いたトリフさんは、「俺達が頷くような切り札って?」と面白そうに目を輝かせた。
「保存の魔術を商品にかけて差し上げます」
言った後にバリオスさんは私を見て、どうだ、と言わんばかりの顔をした。
「保存?」
「はい。あなたの店でこの前サヤさんが、何かの液体が入った瓶を購入しましたね?すぐに傷むと言っておられましたが、傷むスピードをある一定の期間だけ、極端に遅くする魔術をかけて差し上げるということです」
「本当かよ!?そんなことできるなら、こっちはかなり助かるぜ!」
それを交渉に使うとは、なかなかバリオスさんもやるじゃないか。私は単に主婦の知恵的なものになったらいいなとだけ思っていたのだが、商品の傷みと毎日戦う商人にとっても、それはありがたい魔術だったのか。
「それは良かった。とりあえずの交渉としては、店を離れる間、傷みの早い商品にまず術をかけます。それと先に旅で必要と思われる金額を皆さんにお渡ししましょう。サヤさん達を送り届けて、あなた方が戻って来られてから謝礼金の分をお支払いします。その時点で術のかかった商品を確認して、気に入ったのであれば、王宮に来てください。私の名前を出せば対応いたします。こんなものでいかがでしょうか?」
「俺は乗った。他にも声かけるから、ちょっと待ってな!」
何だ、バリオスさん、ちゃんと交渉できるんじゃないか。お店の人と仲良くしておいて良かった。これで後は船を借りるだけ。
急に現れた難問が、あっさり解決したことで、これからの旅の不安が少しだけ晴れたような気がした。