旅立ちの前はバタつくもの(1)
旅立ちの早朝。私はリリーに借りたままだった服を返しに、彼女の食堂へ来ていた。
とりあえず色々世話になったことだし、ここを出る前に軽く挨拶でもしておこうと思ったのだが、すんなり行かせてはもらえなかった。
「エンダストリアを出るって…急にどうしたの?」
召喚のこともスタンガンのことも、何も知らない彼女に、どこまで話して良いものやら分からなかったから、はぐらかすことにした。
「うん、まあ…ちょっとね。色々あって……」
はっきり言わない私に、リリーは怪訝そうな顔をした。
「何か隠してるわね。ダントールさんはまだ戻ってないんでしょう?黙って出ていくつもり?」
「ああ、そう!フォンスさんを迎えに行くのよ。帰りが遅いから…」
「独りで?」
リリーの顔が怒っている。こういう時はトニーと同じ顔になるんだな。
顔のことに気を取られて、私は特に何も考えずに「ええ、独りで…」と言ってしまった。途端にリリーが詰め寄る。
「あなたねえ、一般人の、しかも女が独りで戦地にいる司令官を迎えに行くことが、どれだけ不自然か分かってる?」
しまった、と思った時は遅かった。逃げようにも、彼女は私の手をガッシリ掴んで離さない。
「白状しなさいよ」
「リリーちゃん、顔が怖いわよ」
「ふざけないで!」
リリーの剣幕に、他の従業員達も集まってきた。
ああ、私の馬鹿……
「聞いてどうするのよ?」
こういう時は開き直るしかない。
「聞いてから決める」
抵抗も虚しく即答されて、私は諦めて事情を話すことにした。
「…こないだ私を襲った指名手配犯、フォンスさんと接触したらしいの。それでフォンスさんはアメリスタに入ったらしいんだけど…残った部下達への気遣いを考えても、エンダストリアを裏切ったとは思えない。でも軍の人達は疑いたくなくても下手に動けない。だから私が勝手に迎えに行くのよ」
簡単な私の説明を聞いて、リリーは少し考え込んでいたが、やがて「ちょっと待ってて」と言って席を立った。
待つのは良いが、さっきから従業員達の「ええ?」とか「そんなっ!」とか「店はどうするんですか!?」とか「無謀ですよお!」とか…嫌な予感のする声が、店の奥から聞こえてくる。
リリーが出て来る前に行ってしまおうかと、腰を浮かしかけた時、彼女は出て来た。
「お待たせ」
「お、お待たせって…何その格好」
大きなリュックを背負って、旅仕度万端だ。後ろからやや泣きそうな従業員達が続いて出て来る。
「まさか一緒に行く気?命の保障もない、行き当たりばったりの旅なのよ?それに皆納得してないみたいじゃない」
「私…、ずっとダントールさんのこと好きだったけど、遠くから見つめたり、コソコソ情報集めたりするだけで、何も積極的に行動して来なかったの……」
いやいや、十分ストー…積極的だったと思うぞ。
「今度こそ、彼のために動きたいの。これで最後にする…。これで駄目だったら諦める。命の保障なんていらない。命かけて行動しても駄目だったら、諦められる!だから私にもチャンスをちょうだい?恋敵のあなたに言うのは可笑しいかもしれないけれど、同じ人に惚れてるなら、私の気持ち、解るでしょう…?」
リリーは切羽詰まった目をして言った。王宮で啖呵を切った私と同じ目。
「…わ…かる…」
何だ、独りだと思っていたら、こんな所に仲間がいた。今はフォンスさんと会って、直接真意を聞くのが最優先事項。恋敵だのどっちを選ぶだの、この際どうでもいい。独りで強がっていても、私…本当は同じ志の仲間が欲しかったんだ。
「行ってきなよ、リリーさん」
ぼそりと、トニーが重体の時に水をくれた従業員が、あの時と同じように言った。他の従業員が、「ちょっとあんたまでそんなこと…」とびっくりしているのを尻目に、彼は更に続けた。
「リリーさんが言い出したら聞かないことくらい、よく分かってるさ。どれだけあの司令官さんに惚れてたかもな。これで最後にするって自分で決めたんなら、行ってきなよ。別にちょっとでも無理って思ったら帰って来ていいんだぜ?そん時ゃあ、俺が貰ってやっからさ」
ヒューヒューッと思わず口笛を吹きたくなった。でもここで冷やかしたら、私はリリーから延々と恨まれそうなので我慢した。
リリーは一瞬ポカンとしていたが、徐々に顔が赤くなると、ワタワタと慌て出した。
「なっ、何てこと言うのよ!途中で投げ出したりなんか、絶対しないんだから!」
どうやら猪女は直行しか出来ないからか、横からの不意打ちには弱いらしい。でもリリーでなくても、今のは私もちょっとぐっと来たな。
「はいはい、成就しても、玉砕しても、生きて帰って来いよ」
彼は自分の言葉に対してリリーが何と言い返すのか、お見通しだとでも言わんばかりだ。
「あなた、何て名前か聞いていい?」
このナイスガイを、ただの水をくれた従業員とだけ認識するのは忍びない。
「サーヤルだ」
「ぷっ、私と似たような名前ね?」
「そうだな。だからあんたも、妙にリリーさんの扱いが上手いんじゃないか?」
何とも可笑しな奇遇だ。待っていてくれる人がいるということは、リリーにストーカー行為を上回る人徳があるということ。根はいい子と思った私の目に狂いはなかった。
こうして私は仲間を手に入れ、バリオスさんとの待ち合わせ場所に向かったのであった。