いない人を信じるのは辛いもの(7)
皆が疑っても、私は信じる。
皆が縛られて動けないなら、私が動く。
無謀だと、馬鹿にされても構わない。
勝手だと、非難されても構わない。
フォンスさんは私にとって、そういう人。
部屋に戻った私は、荷物をまとめ始めた。まとめると言っても、元々あまり物はない。
バリオスさんが、アメリスタに行くなら陸路で国境を越えるより、船でスカル側から回った方が安全だと言っていた。彼はついては来れない。国境を越える辺りまで行くと、地の力がぐっと下がり、魔術が使えず何もできない上、防御壁を保つためにエンダストリアから出られないからだ。影が薄くても、歴代最高を誇る筆頭術師の顔と名前は、かなり知れ渡っているため、内緒で私について来ることは難しいと言う。その代わり、旅に必要と思われる物品の準備と、船を定期便以外に動かす交渉をしてくれるらしい。かなりお金を使うことになるのではないかと聞くと、「使うところが他にないから構いません」と彼は化粧水を買ってくれた時のような気軽さで答えた。
スカルからの関所を通るには身分証が必要だが、今のダントール家の戸籍じゃエンダストリアの者と丸分かりで当然通れない。だからこの顔立ちを利用して、スカル側からやって来た異国の商人にでもなるしかない。女一人はかなり怪しいが、他に来てくれる仲間がいないから仕方ない。いざとなれば、ここに召喚された時みたいに、"よく分かんないけど通してもらえないと、寒くて死んじゃう…"とか何とか言って無抵抗の可哀想な女の子を演じて、関所の兵士の同情でも買ってやろうじゃないか。とは言え、念のために本当の身分証も持って行く。バリオスさんが用意してくれるそうだ。
はっきり言って、アメリスタについてからのことは何も考えていない。とりあえず、ルイージと一緒に行ったということは、アメリスタ公の屋敷だか城だかにいる可能性が高い。そこからどうするかは、行ってから決める。アメリスタのことは何も分からないのだ。先に考える意味が無い。捕らぬ狸の皮算用…ちょっと違うか。
これ以上王宮に留まって、勝手なことをするなとコートルさん達に邪魔されるのは嫌だから、今の内に出てあの家に戻っておこう。バリオスさんとの待ち合わせは明日だ。ルイージも国境を越えたし、もう戻っても大丈夫だろう。
私は服とか下着とか、バリオスさんの用意できなさそうな物だけ袋に詰め、怪訝そうな顔をする門番兵に、「許可は取りました!」と堂々と言い放って家に戻った。
その夜。
コンコンコン…
ベッドに入ろうとした時、玄関がノックされた。
「何よもう…。こういうの既視感だってば。まさかルイージなわけないよね…。トニーの方でありますように」
そろそろと降り、「どちら様?」と声をかけた。
「…俺だ」
ディクシャールさんの声だ。
「俺?俺なんていう人知りません。最近そういう知り合いを装う詐欺が……」
「ラビート・ディクシャールだっ!」
ちっ…、引っかからなかったか。途中で遮りやがった。
扉を開けると、少し苛立った雰囲気のディクシャールさんがいた。
「ネタを遮るなんて、つまんない人ですね。トニーはちゃんと引っかか…乗ってきてくれたのに」
「…お前が俺を引っかけてほくそ笑む姿が容易に想像できたんでな。何のネタかは知らんが遮っておいた」
「ああそうですか。まあ、どうぞお入りください」
ディクシャールさんを招き入れ、紅茶で良いかと聞くと、「こないだの変わった茶が良い」と言うから、ミルクを沸かした。
出来上がったチャイを持って、明るいリビングに行くと、さっきまで暗くてよく見えなかったディクシャールさんの顔が鮮明に見えた。
…目元が赤い…?
とりあえず見なかったフリをして、彼の前にチャイと砂糖を置いた。
「俺を泣かせた女は、お前が初めてだ」
「……、人がせっかく気を使ってそこに触れないようにしてたのに、自分から言いますか?」
「フッ、気を使ってくれてたのか。俺はてっきりいじるタイミングを見計らっていたのかと思ったぞ?」
いつものように嫌味なセリフを吐くけど、どことなく覇気の無い声だと思った。
「お望みならいじってあげます。泣いちゃったんでちゅかあ?うさぎちゃん」
「ハハハッ…、お前はいつも平気なんだな。俺が怒鳴り散らした後でも」
性悪うさぎには似合わない、自嘲気味た言い方だった。
「平気じゃないですよ。ムカつくから言い返してるでしょ?」
「言い返すところを言ってるんだ。怯まずに平然と意見してくるのは、上司以外じゃお前かフォンスだけだ。お前が来るまでは、対等に本音をぶちまけて言い合いのできる奴は、フォンスだけだったんだ」
「フォンスさんは、あなたがわざとそうやって相手の本性を見てるって言ってましたよ?」
謁見の後に教えてもらって、かなり悔しかったのを覚えている。そういえば、うさぎと呼び始めたのもあの頃だった。
「お前にも最初はそうだったさ。だがお前は怯むどころか、あだ名までつけてきやがった。恥を掻いたと苛立つその腹の隅で、どこか面白いと思った」
「変な趣味い……」
「趣味じゃねえ。俺はすぐカッとなる性格だからな。自分でもよく分かっている。今までそういう俺が本音を言って、まともに聞いていられたのはフォンスだけだったのに、もう一人平気な奴が出てきたから面白いと思ったんだ」
私が次に会った時何て言ってやろうか考えてたあの時、そんなことを思ってたのか。本気で威嚇するつもりで、毎回あんな態度を取ったのかと思っていた。
「すまん……」
「え?今の流れで何で謝るんですか?」
どうもエンダストリアの男達は唐突過ぎる。ちゃんと前置きがなければ、私は超能力者じゃないのだから。
「お前と意見が合わなかった時、あの場で本音を言えば良かったと、3人で取り残されてから思ったんだ。王宮を出るつもりだということくらい、部屋を出る時のあのご丁寧な挨拶文句ですぐに察した。本音を言わないことで、本音を言える人間を、二人一緒に失うのかと…。それが嫌で仕方なかった。本音を隠して、何も知らぬお前に立場立場と怒鳴っても、対等な言い合いとは言えないからな。だから、すまん」
「いえ、私も…感情的になっちゃってました。あの場ではやり過ぎでしたね…。コートルさんも私の立場を気づかってくれてたのに…。仲直りしましょう?ごめんなさい」
そう言って私は手を出した。ディクシャールさんは、「子供の喧嘩かよ…」と苦笑しながらも、がさついた大きな手で、しっかり握り返してくれた。勝気なその目が少し潤んできたから、つられて私の目も潤んでしまった。
「二度も俺を泣かすとは、大した女だよ…サヤ」
「…初めて私を名前で呼びましたね。今更私に惚れんなよ?」
「馬鹿か、お前はフォンスに惚れてて、そのお前をヴァーレイがウロチョロと追いかけている。そんなレースに俺は参加なんぞせん」
すぐに涙を引っ込めたディクシャールさんは、おどけたように首を振った。
「お姉さんのリリーにも言われましたけど、トニーのことは分かんないんです。仲良くしてくれてるとは思いますけど、はっきりしたことは言われてませんし……」
「そうか?まあお前は思う通りに行動すればいい。行くんだろ?アメリスタに」
「はい。行き当たりばったりですけど、もどかしいままじっとしているのは性に合わないんで。明日発ちます」
一瞬無謀だと馬鹿にされるかと思ったけれど、そんな雰囲気も無く、彼は「分かった。明日だな?」と言って、温くなったチャイを一気に啜り、大股を踏んで帰って行った。
「…結局何しに来たんだろう。泣きに来た?…いや、それはないか。仲直りしに来たのかな……」
明日からの旅に、命の保障は無い。別れ際にちゃんと仲直りできて良かったと思った。