いない人を信じるのは辛いもの(6)
扉を開けると重い空気。そこに揃った面子はフォンスさんの愉快な仲間達4人組み、もとい、信用のおける人達。皆黙り込んでいる。そんな部屋に呼び出された私は、かなり居心地が悪い。
「あの、お話というのは…?」
ちょっと来てくれ、とディクシャールさんに言われてここに連れてこられた。そろそろフォンスさんの様子を見に行った人達が戻っていても良い頃だ。だからこの空気に嫌な予感をひしひしと感じる。聞くのは怖いが、聞かないのはもどかしい。私の中で勝ったのは、後者の気持ちだった。
「儂らの中で色々と憶測が駆け巡っておるのだが、まず最初に事実だけを言おう」
コートルさんが代表して口を開いた。
「…ダントールが、アメリスタに入った」
「…え?入ったって……」
「足を踏み入れた、ということだ」
言葉が端的というか、シンプル過ぎてイマイチ真意が掴めない。だいたい、私は毎回任務の内容を聞いてるわけじゃない。戦争しているのだから、相手国に踏み入ってもおかしくないと思うのだが。
「今回の任務は国境での小競り合いだった」
私が怪訝な顔で黙っていると、コートルさんは詳細を説明し出した。
「偵察に行かせた者によると、任務地に着いた時にはもうダントールの姿はなかったらしい。その場で待機していた第4隊の隊長に事情を聞くと、アメリスタ兵を一時退けることに成功した後、いきなり指名手配中のキートが現れ、兵士の一人を人質に取り、ダントールと二人で話をさせろと要求したと言う」
「ルイージ…国境まで逃げていたんだ」
「そのようだな。何の話をしたのかは分からんが、話を終えたダントールは、隊長に"このまま待機しろ。直に帰還の遅れに気づいた偵察隊が来るから、この場で見た事実だけを言え。ここからは私の独断であり、単独行動だ。お前達が余計な疑いをかけられぬためにも、絶対にこの現場から離れるな。"と言い残して、防御壁が張り直される前にキートと国境を越えたらしい。隊長は言われた通り、怪我人の応急処置をしながら待機し、偵察隊に現場で詳しく説明した。ただ、詳しいのは現場で皆が見た事実のみで、ダントールがキートと何を話したのか、何故隊を置いて国境を越えたのかは全く分かっていない」
何も言えない。アメリスタに行ったってことは、しばらく帰ってこないっていうことで…。でも寝返りが横行している今、アメリスタに独断で行けば、事態がややこしくなるのは私にでも分かるわけで…。
「おい、大丈夫か?」
隣にいたディクシャールさんが、呆然とした私の肩を叩いた。見上げると、彼は一瞬目が泳ぎ、眉間に皺を寄せて顔を逸らした。
「何?何で逸らすんですか?まさかあなた、フォンスさんのこと疑ってるんじゃないでしょうね?」
「…疑いたくはない……」
いつもはでかい声ではっきり物申す彼の、らしくない歯切れの悪い返事に苛ついた。
「その言い方、疑ってますって言ってるように聞こえますけど」
「そうじゃない!」
非難の篭った私の言葉を、ディクシャールさんは怒鳴り声で否定した後、悔しそうに歯を食いしばった。
「…コートルさんは?…トリードさんは?バリオスさんは?」
誰も私の目を見ない。バリオスさんに至っては、最初から俯いたままだ。
「酷い…。あなた達のこと、フォンスさんは一番信用していたんですよ。スタンガンの事だって、下手に利用しようとする人が出るかもしれないから、言わないはずだった…。でもフォンスさんはここにいる皆のことを信用してるから、襲撃事件に悩むあなた達に文献の話をするよう私に言ったんです。…皆は違うの…?…っ!詳細も分からない内から疑う程度だったのっ!?」
最後は悲鳴に近かった。それぞれの立場はあるだろうが、私より付き合いの長い彼らが、限定されたこの空間でさえはっきり"信じている"と言ってくれないのが、悲しくて仕方なかった。
「娘、我々とて彼を疑いたくはない。だが時期も状況も悪すぎる。最近のダントール殿とは、お前が一番近くにいた。何か気になることは言っておらなんだか?」
ぽっちゃり大臣がようやく口を開いた。私は首を横に振った。だって、思い出すのはいつもの生真面目で優しい彼だけだから。
「…いつも通り、戸締りのこととか、知らない人が来ても入れちゃいけないとか、親みたいに私の心配をして、それから部下の心配をして、自分のことは全然心配しないで…出発しました。ディクシャールさんに私の様子を見に行くよう頼みまでして……」
「そうなのか?ディクシャール殿。」
私とぽっちゃり大臣の視線を受けたディクシャールさんは、小さく「そうです…」と呟いた。
「フォンスさんは国境を出る直前まで、部下が疑われることを気にしてたんですよね?これから裏切ろうとする人間が、残していく部下の心配なんて普通しますか?何か事情が…例えば、ルイージが来たってことは私を殺すとか、脅されて……」
「サヤ!それを言ってはいかん!」
コートルさんが私の推測を遮った。
「それを言えば、儂らは君を邪魔者と思わねばならん…。事態が広まれば、そう思う者がいくらでも出てくる。君の立場はまだ弱すぎる」
「何それ?新参者の私の立場を気にして、フォンスさんを疑うんですか?本末転倒だと思うのは私だけ?」
「…お前は気楽に意見が言えていいさ……」
ディクシャールさんが低く言った。
「お前の立場だけじゃない。ここにいない者達も含め、皆に立場がある。今の状況で、フォンスだけを庇い立てするわけにはいかんのだ!」
「ここにいない者たち?じゃあ言わせてもらいますけど、ここにいる4人は、皆フォンスさんを含めてお互い信頼し合ってる仲間でしょう?ここにいない他の人たちの立場を考るがために、この限定された狭い空間の中で、仲間を疑う相談をしてるなんてちゃんちゃら可笑しいわ。そういうのは、もっと公のでっかい会議でやれば?」
「なんだと!?」
私の口がだんだん悪くなっていくにつれ、ディクシャールさんは怒りに震え出した。その形相は、今にも髪の毛が逆立ちそうで、彼がよく例えられるという熊そのものだった。目を逸らすと食いちぎられそうだ。
「何も知らぬくせに!勝手なことをぬかすなっ!!」
爆発した彼に威圧感は、部屋の中なのに、向かい風に吹かれたかのような勢いだった。普段なら怖いだろうが、今私はこんな所で本音を隠したまま話をしようとする彼らに、苛立つ気持ちの方が勝っていた。
「何も知らないわよ!だから腹を割って話したいんでしょう!?本音を隠すなら、何のためにこの面子で集まったのよっ!!」
「本音を隠さず幹部が務まるか!!」
「だからそれは会議でやれっって言ってんでしょ!?場所の話をしてんのよ!分かんない人ね!」
「お前の考えることは分からん!」
「…私は、分かります」
お決まりの喧嘩では済まなくなった時、それまでずっと俯いたままだったバリオスさんが、消え入りそうな声で言った。あまりの唐突さに、私とディクシャールさんは罵り合いをやめて彼を見た。
「皆さんの立場は分かります。でもサヤさんの気持ちも…分かります」
「バリオス殿?」
「私、よく人から"何を考えているのか分からん"と言われるんですよ。何ていうか、分かってもらえない者同士と言いますか…サヤさんの言いたいことが、何となく理解できるんです。くだけて本音を言わせてもらえば、まあ…そういうことです」
言葉を失っていると、バリオスさんは私と視線を合わせて2度頷いた。
「さて、ここも本音を言ってはいけない場だとおっしゃるのなら、感情的になっても仕方ありませぬ。ダントール殿に変わったところはなかったと、サヤさんから聞けた以上、立場の違う彼女がここにいても苦痛なだけでございましょう。私が部屋までお送りしてきますよ」
バリオスさんは唖然としている私の手を引き、呆然としている男3人を残してドアまで向かった。
部屋を出る寸前私は唖然が解け、立ち止まって振り返った。
「皆さん、お見苦しい所をお見せして、申し訳ありませんでした。自由な立場の私は、私のやり方で、私の守りたいものを守ろうと思います。ご理解いただけなくて、残念です。では、ご機嫌よう」
ドアが静かに閉まった後、バリオスさんが「最高の笑顔で最悪の嫌味を言いましたね……」と苦笑混じりに言った。
「まさかバリオスさんに私を理解してもらえるとは思いませんでした」
「そうですか?あなたは自由な立場ですが、…ちょっと自由過ぎますね。でも今回は、自由がなければ何もできないと思います。あなたが何をしようとしているのか、ちゃんと分かっていますよ。後戻りはできませんが、よろしいのですね?」
微笑んだバリオスさんがちょっとだけ逞しく見えて、私は「はいっ!」と笑顔で返事をした。