いない人を信じるのは辛いもの(3)
私は運び込まれた翌日の昼には部屋を移された。結婚する前に使っていた部屋だ。
リリーはあんなことを言っていたけど、トニーは普段と変わらない。仕事終わりに顔を見せに来て、楽しく喋って帰っていく。他人より少しスキンシップが多いだけと思えなくもない、微妙な距離感。ちょっとだけ気になる距離感。でも、彼の気持ちは彼にしか分からない。私がうだうだ考えたって仕方ない。
そして私は、トニーのことばかりを考えている暇はなかった。原因はバリオスさんである。スタンガン対策を練ると称して、何かと私の部屋に来ては質問してくるのだ。「分からんと言っとろーがっ!」とちゃぶ台返しをしそうな勢いで威嚇しても、彼は全くめげない悄気ない。
「ほうほう、水は電気を通しやすいのですね?では逆に通しにくいものは何ですか?」
「素人のあやふやな知識で対策練っても、失敗するだけですよ。それよりいい加減、防御壁張りに行きなさいよ。そっちの方がよっぽど建設的だと思います」
「そこを何とかっ!ちょっとだけ教えて頂けたらすぐ帰りますから」
どこのエロオヤジかと思うような言い回しに寒気がした。"ちょっと見せてくれるだけでいいから!"と会社の飲み会で酔っ払った上司にスカートを触られ、問答無用でぶん殴ったのが懐かしい。
「めんどくさいから嫌」
「口ではそんなことおっしゃっても、体は正直ですよ」
「はあ?」
コイツ、どこでそんな言葉覚えた?使い方間違ってるから、絶対誰かが吹き込んだに違いない。
「…バリオスさん、今何て言いました?」
「あれ?ディクシャール殿が、渋る女性にはこう言ったら良いと……」
バリオスさんはキョトンと首を傾げるが、若いトニーならまだしも、アラフォーのオッサンがやったって、ちっとも可愛くない。だが、本当に言われたことを試しただけのようだ、ということは分かった。
「何でディクシャールさんとバリオスさんがそんな話をするんですか……」
「私の自殺未遂をダントール殿が謁見の間でバラした後、"貴殿は遊ばないからこういうことになるんだ"とディクシャール殿に言われて、手始めに女性と仲良くなる方法を色々伝授して頂きました。とは言っても、女性と出会う機会なんてありませんでしたから、試すのはあなたが初めてです。何か間違っていましたか?」
頭が痛くなってきた。性悪うさぎめ…何てことを教えてるんだ。上がった株が今ので急下降だ。
「そのセリフは使う人を選ぶものなんで、不用意に言わない方が良いです」
「何と!ディクシャール殿はそんな高度な言い回しを教えてくれたということですかっ!?」
「そういうことじゃ…いや、もうそれで良いです」
ここで私が説明してやる義理もないので、放っておくことにした。一度世に出て恥をかけば、この可愛くないオッサン少年も学ぶだろう。
「ではサヤさん、嫌よ嫌よも好きの内。素直になって教えて下さい」
「その笑顔が腹立つのよね…。心当たりがないわけじゃないけど、ここは乾燥地帯だから教えてもあるかどうか怪しいもんだわ」
「どんな所ならありそうなんですか?」
あれの生産されるイメージは東南アジアとか、熱帯地方っぽい。
「年中気温が高めで、雨が多い所かな……」
「トーヤンではありませぬかあ!郊外にトーヤン人がいます。行きましょう!」
「い、行きましょうって、私は指名手配犯に狙われてるんですけど…ってちょっと引っ張らないで!」
バリオスさんに引きずられるように歩きながら、そういえばトリフさんは日本人に東南アジア系が混ざった顔立ちだったなあ、とうんざりしながら思い出した。
「ルイージが出て来たらどうするんですか?」
「私は筆頭術師ですぞ?そしてここはエンダストリアで最も地の恩恵を受けたネスルズ。不届き者が何人現れようと、私の攻撃魔術で一掃します。紅蓮の炎と目を焼く灼光、どちらがお好みですか?」
「どっちも街で放たないで下さい……」
バリオスさんはある意味最強だと思った。
「ああ、水袋になってるので良ければあるぜ」
ありがたくないことに、トリフさんは商品を持っていた。
「トーヤンじゃ、革袋よりゴム製のを使うんだ。ゴムの木が大量に生えてるからな」
「そ、そうなんだ。何かこの人が使いたいらしくて、いくつか欲しいの」
人見知りなのか、バリオスさんは商談を私に任せっ切りで、斜め後ろから目を輝かせながらゴムの水袋を観察している。トリフさんもそんな彼に若干引き気味だ。
「あ、トゥーロの化粧水、商品になってる」
「そうさ。あんたの友達、リリーだっけ?あの子が広めてくれたみたいで、まあまあ売れてるんだ」
そうだったのか。リリーは猪女だけど、やっぱり頼まれたことはきっちりやる性格のようだ。
「バリオスさん、ゴムのこと教えた代わりに、これ買って下さい」
「はあ、別に構いませんが。一つで良いんですか?」
「買い溜めしたって傷んじゃうだけだから、一つでいいです」
ラッキー!バリオスさんはあまりお金に頓着しないようだ。これでめんどくさいのはチャラにしてあげよう。
その日の午後、ゴム袋を持った男と、化粧水の瓶を持った女が、互いにニヤニヤ見詰め合いながら歩く姿を、街の住民が目撃して気味悪がられていた、と後々リリーから聞いたのであった。