いない人を信じるのは辛いもの(1)
目を開けると、明るい天井が見えた。どうやら私の寝室ではないらしい。こんな場面、見覚えがあるぞ。もしかして、またトリップしたのだろうか。昨日何をしたっけ?昼間にトニーが訪ねてきて、フォンスさんがいないから独りで夕食を摂って、身体を拭いて歯磨きして、ベッドに入って……なかった!
「ルイージが来たっ!…うぐえっ…」
「ええっ!?」
「何だと!?」
咄嗟に叫んで起き上がろうとしたら、鳩尾に吐き気のするような痛みを感じ、直後に横から思わぬ返事が返って来た。
隣を見ようにも、顔を横に向けると頬が痛くてできず、目線だけ声のした方へ動かした。すぐ横には私の手を握りながらキョロキョロするトニー、少し離れたところには警戒するように辺りを睨みつけるディクシャールさんがいた。
「……、二人とも何やってんのよ」
そこへ洗面器とタオルを持ったリリーが入ってきて、呆れたように部屋を見回した。
「…ごめん、独り言……」
恥ずかしさを忍んで白状すると、トニーもディクシャールさんも胸をなで下ろした。
「サヤ、大丈夫?」
トニーが優しく聞いた。
「お腹が痛い。頬っぺたが痛い。喋ると口が痛い」
ついつい甘えたくなって、私は不機嫌そうに痛いところを全部言った。
「小娘、そりゃあ当たり前だ。腹と頬に殴られた跡があって、口も少し切れている。まだ治療術をかけさせたばかりだから痛むだろうが、もうすぐ腫れも痛みも引くさ」
哀れむような表情をしたトニーの後ろまで来たディクシャールさんが説明してくれた。
「ってことは、ここは王宮?家の中にいたはずなのに」
「あなたの悲鳴を聞いた人の中に、うちの従業員がいたのよ。それで私の所に連絡が来て、指名手配犯っていう言葉を聞いたって言われたから、王宮に通報したの」
リリーは洗面器の水で濡らしたタオルを、私の頬にそっと当てながら教えてくれた。冷やっこくて気持ち良い。魔術ですぐに治るとはいえ、それまでの間も楽にしていたいから、彼女の気遣いはありがたかった。
「そうなんだ…ありがとう。ごめんね?夜中に突然」
「これくらいのこと、気にしないで。指名手配犯に襲われたのに、怪我だけで済んで良かったわ。今の顔はとっても不細工だけど、すぐ元通りになるし」
照れ隠しにちょっとだけ憎まれ口を入れる辺りがリリーらしい。
「姉さん!サヤが不細工な時なんてないよ!いつだって可愛いんだ!そんなこと言うならもう帰っていいよ」
いきなりトニーが小恥ずかしいことを言い出した。後ろにいた性悪うさぎが、片眉を上げてニヤニヤしながら私とトニーを見比べている。どうしようかと思ってリリーに視線を移すと、目が合った彼女はため息をついて、「はいはい、もう店に戻るわよ」とトニーをなだめた。そして部屋を出る時に「後で話す」と口パクで言い残して帰って行った。
「トニー、私とリリーはああいうやり取りをするのが普通なのよ。照れ隠しの冗談で、本気じゃないの」
「でも…、僕は……。うん、ごめん」
私が少し説教気味に言うと、トニーは口ごもりつつも謝った。
「私じゃなくてリリーに言わなきゃね。まあ、腫れた顔してても可愛いって言ってくれるのは嬉しいけど」
大きな背中を丸めてしょんぼりしたトニーの方が可愛いと思う。私は未だに手を握り続ける彼の頭を、握られていない方の手でワサワサと撫でた。
そうこうしている内に、ディクシャールさんの言った通り、頬の腫れも唇の痛みも消え、何とか起き上がれるようになった。昨晩のことを二人に話すと、予想通り難しい顔をされた。
「フォンスがいない時に限って…。いや、いないのを見計らったんだろうな。部下を心配するのはいいが、それで家の者が襲われてたら元も子もない。帰ってきたら俺から言ってみる」
「フォンスさんにはフォンスさんの考えがあるんですよ、きっと。私のことだけに気を回している状況じゃないっていうのは、よく分かってます。ただでさえ他人のことばかり考える人なのに、これ以上負担を増やしたくないわ」
「お前こそあいつに気を回している場合じゃないだろう。それで死んだら馬鹿みたいじゃないか。聞き分けの良いフリしても、いい女にはなれんぞ。そんなのはただの都合のいい女だ」
"フリ"とはよくも言ってくれたな、性悪うさぎ。でも最後の部分は耳に痛い言葉だ。それをコイツに言われると情けなくてたまらない。
「フォンスさんはそれを"都合のいい"なんて考えるような人じゃないって、ディクシャールさんよく知ってるでしょう?彼だから聞き分けてるのよ。それに、余計な負担をかけたことで戦争に負けちゃったら、私も困るわ」
「はあ…、そうか。お前がそれで良いなら何も言わんが…、あいつの留守中は王宮にいた方が良いだろう。手配は俺がしておく」
やけにディクシャールさんが私の安全を気遣う。最近喧嘩はすれど、彼の態度が軟化してきたのは感付いていた。初対面の時と比べると雲泥の差だ。
「ディクシャールさんって、ツンデレですか?」
「何だ?そりゃ……」
「気が強いがため、好きな相手を突き放すような態度をとってしまう、照れ屋な性格のこと。もしくは 相手にツンケンした刺々しい態度を取っていたのが、何かのきっかけで惚れちゃって急にデレデレする人のこと」
「ええっ?そうだったんですか!?指令官!」
そこで今まで黙っていたトニーが驚きの声を上げた。性悪うさぎは思い切りしかめっ面をしながら、天然天使の頭を馬鹿でかい手で掴んで絞めつけた。アイアン・クローだ。痛そうだな……
「も、申し訳ございませんっ!いたたたたっ!」
「今の話のどこをどう取ったら、俺がお前に惚れているということになるんだ」
トニーを締めながら、性悪うさぎは若干ドスの効いた声で私に聞いた。
「トニーを離してくださいよ!この性悪暴力うさぎ!前は私を"消したい"とまで言ってたくせに、最近あなたの態度が軟化して、私の身を心配するようなこと言うから、気持ち悪くてからかったんじゃない。実際そうだったらお断りよ。熨斗紙付けてお返しするわ!」
「安心しろ。気の強い女は嫌いじゃないが、俺はもっと豊満な女が好みだ」
「あなたの好みなんて聞いてないです。身体で女を選ぶなんて、何てヤラシイのかしら」
「やらしくない男なんているか!お前が可愛がっているコイツも男だ」
そう言ってディクシャールさんはトニーを離した。
「うううっ……」
「トニーに変なこと吹き込まないでくださいよ!…大丈夫?」
呻きながらも頷いたトニーだが、相当痛かったようで、その場に座り込んだ。
「身体とは正反対で、器は小さいのね!」
「怒りっぽいお前が言うな!」
「一緒にしないでよエロうさぎ!」
「小娘!」
「何よ!」
バタンッ!とドアが開いて、担当の治療術師らしき人が、こめかみに青筋を立てて現れた。
「治療室ではお静かに」
術師の絶対零度的な冷たい視線を受け、私達は一瞬で喧嘩をやめた。
まったく、性悪うさぎの声がでかすぎるんだ。私のせいじゃない。…多分。




