同情は重いもの(7)
相手の顔は見なくても分かる。せっかく最近の夢ではコメディ野郎になってたのに、実物はあの時のままだった。緊張と興奮で身体の芯は熱いのに、恐怖で肌だけ寒く、全身に鳥肌が立った。
「ずっとノックしてたのに、放ったらかしにするなんて酷いじゃないか」
書庫でやられたように耳元で囁かれると、寒かったのは表面だけだったのに、一瞬で底冷え状態になった。
恐怖を悟られてナメられたら、そこでお終いだ。そんな勘が脳を駆け巡り、私はルイージと距離を置こうと、両拳で彼の胸を殴るように思い切り突き飛ばした。
結構な手応えがあったはずだが、ルイージは呻き声一つ上げずに、意外とすんなり腕を解いた。
「…鍵はかけていたはずよ」
「俺の本職はここでもアメリスタでも諜報員だぜ?こんな古いタイプの鍵くらい、開けれないと駄目だろう」
ルイージはさも当然のように言った。手にスタンガンは持っていないが、ゆったりしたエンダストリアの貫筒衣だから、どこかに隠し持っていても分からないだろう。
「久しぶりだね」
「私は毎日夢で会ってたわ」
「へえ、そんなに想ってもらえるなんて光栄だな」
「自惚れ屋さんね。ファンシーなキノコとでっかいお星様を持って登場してても光栄なのかしら。まるで道化よ」
私は頭でこの場を切り抜ける方法を探しつつ、口では憎まれ口を叩いた。
「ファン…何だって?君って想像力豊かだね。頭の中、一回覗いてみたいよ」
「あなたが言うと、本当に頭カチ割られそうだから嫌だわ」
距離を取った私に、一歩一歩ルイージは近づいてくる。それに合わせて後ろに下がって行った私の背が、リビングの棚に当たった。その軽い衝撃で棚の上に置いてあった花瓶が、ゴッとずれる音がした。
…花瓶?武器見っけ!
「何しに来たのよ」
「ああ、そうそう。君に聞きたいことがあったんだ。これ、どういうものか知ってるんだろ?あの時君が見舞いに来たのは計算外だったけど、これを知ってるとは思わなかったからさ。ヴァーレイを殺った後、マッサージで眠ったことにでもして、さっさと逃げる手筈だったんだよ。まさか女の子に体当たりされるとは思わなかったなあ」
そう言ってルイージは、ズボンのポケットからあの時のスタンガンを出した。やっぱり持っていたのだ。
「……」
敵に情報をくれてやるほど親切な人間ではないので、私は黙り込んだ。
「…沈黙は肯定と受け取るよ。ねえ、何で知ってるのかな?これは異界から伝わった物。もしかして、君は異界から来たの?君が現れるちょっと前から、上の奴らがコソコソ何かやってるようだったんだよ。何をやっていたかまでは分からなかったけど」
「……」
「答えたくないって?でもそれ、"その通りです"って言ってるようなもんだよ?」
口をつぐんだ私を嘲笑するかのように、ルイージはニヤニヤしながら話を勝手に進めていった。
後ろに逃げ場のなくなった私は、どんどん近づいてくる彼から目を離さないようにしながら棚の花瓶を取り、入っていた花だけ床に捨て、両手でぎゅっと持った。
「物騒だなあ。その花瓶で応戦するの?」
ルイージは花瓶を持つ私を鼻で笑い、私のすぐ目の前まで一気に詰め寄った。
「何も教えてくれないならいいや。とにかく、これのことが広まるのはまずいんだ。そういえば、ヴァーレイより先に使いたいって言ってたよね?今、使ってあげようか?」
だんだんルイージの表情に狂気が見え始めた。彼は見せびらかして引きつる私の表情を楽しむように、目の前までスタンガンを持ってきた。
「はいっ、いただきましたっ!」
スタンガンを持つルイージの手が目の前で止まった瞬間、私は花瓶を勢いよく持ち上げ、花瓶の縁で彼の手首を下から打った。その拍子にスタンガンは手から離れ、ポチャンと真下に落ちた。そう、水の入った花瓶の中に。
「……え…」
あまりに呆気ない展開に、ルイージは自分の手をまじまじと見た。その間に私はスタンガンの中に水がよーく染み込むように、花瓶をチャポチャポと振った。
「あーあ」
ルイージは無表情で呟き、花瓶に手を入れてスタンガンを取り出した。水の滴るそれを自分の目の高さまで持ち上げると、赤ん坊が玩具に興味を示すように、目を見開き口をポカンと開けて観察した。そして開けた口がニマリと形を変えた時、何を思ったのか、いきなりスタンガンの電源を付けた。
「…あなた、馬鹿じゃない?水で濡れたままの電気製品の電源つけたら、壊れるに決まってんじゃない」
私の言った通り、スタンガンはうんともすんとも言わない。ルイージは何度か電源をつけたり消したりして、本当に壊れてしまったのを確認すると、ニマリ顔のまま私を見た。
「本当だねえ。水に濡らしちゃいけないとは聞いてたけど、君はそれが何故駄目なのかも知ってるんだ」
こ、怖っ!目を見開いてニヤニヤする顔は完璧ホラーだ。こっち見んな!
「み、水につけたら壊れることくらいしか知らないわよっ!」
「だから花瓶を構えてたんだね。俺はてっきりそれで殴りかかるもんだと思ってたよ。やっぱり君は面白いね…っ!」
言い終わるか否かの瞬間、ルイージは私の髪を掴んだ。
「うぎゃっ!」
そのまま床に引き倒され、衝撃で潰された蛙のような声が出た。
「女ならもうちょっと色っぽい悲鳴上げられないかなあ?」
悲鳴…悲鳴かっ!お望みなら上げてやる!
覆いかぶさったルイージの手が、喉に伸びて来るのを必死でガードしながら、私はありったけの声を張り上げた。
「キャーー!指名手配犯よー!殺されるー!キャーキャー!!殺人鬼!馬鹿!変態!不細工!短足!ハゲ!」
後半は全く関係ないけど、罵詈雑言なら何でもいいと思って、少し隙間の空いた玄関扉目掛けて浮かんだ言葉を夢中で叫んだ。
ルイージが私の口を押さえ込む頃には、外でざわざわと人の声がしだした。
「…やってくれるね。見くびり過ぎたかな?」
彼は悔しそうに歪んだ笑みを浮かべて、私の口から手を離した。
「前といい今回といい、油断し過ぎよ。あなた諜報員に向いてないんじゃないの?」
嫌味を言ったら歪んだ笑みが消えた。その刹那、頬に衝撃が走り、そこが火を噴いたように熱くなった。
「調子に乗んじゃねえ」
「……、女をグーで殴るなんてねえ、弱い男ですって自分で証明してるようなもんっうぐ…!」
最後まで言い終わる前に、鳩尾に重い激痛を感じて意識が遠退いた。
「うるせえ…お前に何が分かんだよ」
薄れ行く意識の中で、ルイージが捨て台詞を呟きながら去って行く足音が聞こえ、ざわざわと複数の人達の声が近づく気配を感じた。