同情は重いもの(3)
その夜、私はベッドの中で震えていた。
夢にルイージが現れたのだ。あの軽薄そうな顔で、何故か緑のオーバーオールを着て。「君はこれを知っているんだね…」と繰り返しながらスタンガンを持って迫ってくる。怖くて振り払った瞬間に目が覚め、夢だと分かってもう一度目をつむると、また同じ夢を見て目が覚める。何度目かに目が覚めた頃には、夢と現実の境目がよく分からなくなっていた。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い…
窓のすぐ隣にベッドがあり、そこからルイージが襲ってきそうな感じがして、私は飛び起きると部屋の隅の壁に、額をくっつけるようにして縮こまった。そうやってしばらくすると寝入ったのだが、また夢の中で緑のルイージが襲ってきて、壁にしこたま頭をぶつけた。
「もう嫌だ……」
呟いて泣きそうになる。眠るのは怖いし頭はぶつけて痛いし、どうしたらいいんだ。
不意にドアがノックされ、私は声にならない悲鳴を上げた。
「サヤ、物音がしたんだが…何かあったのか?」
フォンスさんだ。そういえば寝室は隣同士だった。頭をぶつけた音を聞いたのかもしれない。すぐに駆け寄ってドアを開けたいのに、身体が動かない。
いつまで経っても反応がないのを不審に思ったのか、フォンスさんは「開けるぞ?」と声をかけて部屋に入ってきた。彼はベッドに私がいないので辺りを見回し、隅っこでうずくまっているのを見つけると、こちらへ寄ってきて側にしゃがんだ。
「フ、フォンスさん……」
「どうした?何にそんなに震えている?」
フォンスさんは丸めた私の背中に優しく語りかけた。
「ルイージが…あいつが来るよう…。スタンガン持って、ずっと私を追いかけてくるの…。きっと私が邪魔したから…仕返しに来たんだ……」
呂律が怪しい口でようやく夢の話を伝えると、フォンスさんは立ち上がり、部屋の中や窓の外を確認した。
「大丈夫だ。部屋の中も外も、誰もいない」
「夢の話だよう……」
「怖い夢を見たんだな。眠れないのか?」
「眠ったら絶対また出てくるもん」
そう言ったら、背後でまた立ち上がる気配がした。呆れて出て行っちゃうのかな…。情けなくて悲しくて、私は更に縮こまって目をぎゅっと閉じた。
バサッと布が動く音がしたと思ったら、急に身体が浮き上がった。気が付いたらフォンスさんの膝の間にいて、二人一緒に毛布に包まれて座っていた。
「もう寝なさい。またあいつが出てきても、私が側にいる」
私をすっぽりと抱え込んだフォンスさんは穏やかに微笑んで言った。彼の胸に耳をくっつけると、規則正しい鼓動が聞こえて、こんなシチュエーション、ドキドキするはずなのに、逆に安心感が私を支配した。
「フォンスさんの匂いがする……」
「ん?臭うか?」
「ううん、この匂い、好き」
「そうか……」
微妙な私のセリフをどう捉えたのか、窺うことすらできないくらいの睡魔が襲ってきて、意識を手放した。
途中2度ほどルイージの夢を見て飛び起き、一度はフォンスさんの胸を殴ってしまったが、朝日が昇るまで、彼は私の背に回した腕を解くことはなかった。
一夜明け、私は危うく悲鳴を上げそうになった。見上げたすぐ側にフォンスさんの寝顔があったからだ。ヤバイヤバイ…、昨日変なこと口走ってなかったか?イマイチ覚えていないのだが…。そういえば匂いを嗅いでたような気がする。まるで変態だ。リリーやぽっちゃり大臣のことばかり言えた立場じゃない。
目の前の彼の胸には薄くよだれの跡らしきものが残っていた。ああ、何で現実は綺麗な結果にならないんだろう。普段なら枕をよだれで濡らしたことなんかないのに、肝心な時に限って口元が緩くなる。
もう一度見上げてフォンスさんの顔をよく見た。顎の髭は思った以上に柔らかそうで、触ってみたい衝動に駆られた。鼻、まっすぐで高いなあ。目頭のところがぐりっとえぐれている。へえ、西洋系の顔ってこうなってるんだ。のっぺりした私の顔とは大違い。
ジロジロと観察している内に、フォンスさんが眉間に皺を寄せ、薄く目を開けた。
「起きていたのか。寝足りなくはないかい?」
「いえ…あの、すみません。見っとも無いところ見せちゃって…。寝苦しかったでしょう?」
「私は軍人だ。座って寝るのは慣れている」
言いながらフォンスさんは私の髪をかき上げ、頭に手を添えたまま優しく見つめた。
「もう落ち着いたか?」
「はい……」
「次から怖くなったら、一人でうずくまってないで呼びなさい。夫に遠慮することはない。君は私の上官に妻だと宣言したのだろう?」
あの時のことは聞き流されていたのだと思っていた。勢いで名乗っただけに、改めて思い出すとかなり恥ずかしい。性悪うさぎが笑うわけだ。コートルさんにもからかわれた。でもフォンスさんは私がポロリと言ったことを、またちゃんと考えていてくれたのかな。
「ありがとう、フォンスさん」
ちょっとだけ、フォンスさんと打ち解けられたような気がした。
ちょうど二人で1階に下りた時、誰かが訪ねて来た。リリーじゃなさそうだ。昨日のこともあるから、用心してフォンスさんが玄関を開けた。
「カルル・トリード様の使いで参りました。奥様にお届け物でございます」
知らない男の人が、大きな包みを抱えて立っていた。
奥様とはもしや、私のことか?いやあ、照れるなあ。それにしても、ぽっちゃり大臣が私に荷物を送ったのか。何だろう、やたらでかいけど。
フォンスさんが頷くから、とりあえず受け取った。柔らかくてそんなに重くはない。
「贈り物をすると、昨日トリード殿から聞いていた。心配せずに開けてみるといい」
「あの人が私に?何かな…」
包みを開けると、大きな大きなうさぎのぬいぐるみが鎮座していた。立たせると私の身長くらいあるんじゃないだろうか。
「うわあ!かわいい!ふっかふかだ!」
思わずぬいぐるみを押し倒して頬を擦りつけた。
「…でもどうして?」
「昨日、君とヴァーレイが治療室に戻った後、トリード殿は気にしていたんだ。不可解な武器が使われたと公表してしまったために、犯人が焦って二人を襲ったんじゃないかと。自分の行動がサヤを危険な目に遇わせることになってしまった、とな」
「あれは…狙われたのは私じゃなくて、トニーですよ。私が彼の所に入り浸ってたから悪いんです」
そうだ。ルイージは本来なら、トニーを殺す予定ではなかったと言っていた。天然天使に癒されようと、私がしょっちゅうトニーの周りをうろちょろしていたから邪魔だと思われただけ。私が怯えて騒いだから被害者みたいになってるけど、よく考えたら、私の軽はずみな行動でトニーを危険にさらしただけの事件なのだ。
「そのことだが…昨日、君とヴァーレイの間に何があったのかは知らないが、ピアスを付け直す前に彼は言っていたぞ。"兵士なんかに、自分のせいで狙われるなんて気を回さず、もっと頼ってほしい"と。君が落ち着いたら、そう伝えるよう頼まれた」
トニー、そんなこと言ってたんだ。社交辞令じゃないと、受け取ってもいいのかな。
「男は女性から頼られると嬉しいもんさ。ヴァーレイが頼れと言うんだから、君は遠慮せず今まで通りにしていればいいと思うがな」
私の迷いを見透かしたように、フォンスさんは付け加えた。
「そっか…。今度トニーに謝っておかなきゃ」
「謝るより、頼りにしている、と言った方がいい」
「そうなんですか?フォンスさんが言うなら間違いないですね」
良かった。次に会った時は、私から言おう。"腹を立ててくれてありがとう。頼りにしてるわ。"って。
「そういえば、トリードさんは何で贈り物にこんなでかいうさぎを選んだのかな」
「ああ、昨日皆の前でディクシャールのことをうさぎさんと呼んだだろう?熊にしか見えない奴をうさぎに例えるくらい、大きなうさぎが好きなのか?と聞かれたよ。私は分からないと濁しておいたんだが、トリード殿はそれがサヤの好みだと思ってしまったのだろうな」
「えっ…何その訳分かんない理屈。ということは、このでっかいふかふかうさぎは、ディクシャールさんをイメージして用意したってこと?」
「さあ?今度トリード殿に会ったら聞いてみるといい」
フォンスさんは微妙な顔でぬいぐるみを突く私を見て、クスクスと笑った。
この巨大うさぎは、私の八つ当たり道具に決定である。嫌なことがあったら、グーで殴ってやる…。