同情は重いもの(1)
ルイはその後、王宮から姿を消した。門番の兵士は彼が出て行くところを見ていないらしいが、仮にも諜報部隊の上級兵士だ。どこからか外へ抜け出したのだろう。あの時のルイは、緑の弟配管工ではなく、刺々(とげとげ)亀の大魔王さながらだった。ただの敵諜報員のくせに、悪の親玉のような雰囲気をまとっている。あの笑みを思い出すと、邪魔をした仕返しをしようと、今もどこかに潜んで私を見ているんじゃないかという恐怖に襲われる。
ドアが蹴破られてルイの姿が見えなくなった後、トニーは人を呼びに行くため、私から手を離そうとした。でも私は震えながらがっちり彼にへばり付いていて、何か声をかけられたが全く聞いちゃいなかった。仕方なくトニーは大声を出して担当術師を呼び、フォンスさんとぽっちゃり大臣を呼んできてもらった。フォンスさんの優しい声を聞いた瞬間、緊張の糸がぷつりと切れ、嗚咽する声を抑えられなくなった。トニーの腕の中で子供のようにむせび泣く私の頭を、フォンスさんはしばらく黙って撫で続けた。
ようやく私の涙が出切って息が落ち着くと、トニーと二人、別室に移された。そこには異界人の兵器の話をした面子が揃っていた。皆、目と鼻を真っ赤に腫らして不細工になった私を見て眉尻を下げ、あの性悪うさぎのディクシャールさんでさえ、嫌味も言わずに私のために椅子を引いてくれた。それが何とも言えず恥ずかしかったから、ぽっちゃり大臣が黙って差し出したハンカチで、盛大に鼻をかんだ。
「ヴァーレイ、詳しい説明をしている暇はない。先にこれを呼んでおけ。後半の部分だ」
コートルさんは以前使った建国史の文献をトニーに渡し、その間に私が治療室であったことを話した。
「犯人はルイジエール・キートか…。第3隊なら、ダントール、奴が入隊した経緯を覚えているか?」
髭を撫でつつコートルさんに聞かれ、フォンスさんは思い出すように視線を巡らせた。
「…彼は確か5年前に入隊したはずです。当時は17歳で、通常の兵士より2年遅れで入ったと思います。出身はアメリスタですが、その時はまだ戦になっていなかったため、基準を満たしていれば公国出身でも入隊試験に合格できた頃ですね」
「異界の武器、スタンガンと言ったか…。あれは戦になる前に持ち込んだ可能性が高いな。入隊から戦までの2年間の帰郷暦は?」
「1度だけあります。彼は能力が高く、通常の段階を飛び越えて早くに上級兵士へ昇格したため、特例で帰郷許可が下りました」
あんな飄々とした軽い奴だったのに、ルイ…いやもういないしルイージでいいや。あいつはエリート街道まっしぐらだったんだな。
淡々と話すフォンスさんを見たコートルさんは、鼻でため息をついた。
「お前も入隊時はキートに劣らず能力は高かったが、帰郷許可まで10年以上かかったと言うのに…皮肉なものだな。敵の諜報員にはあっさり許可が下りるなど」
「時代が違いますから。私がここまで昇格できたことでさえ、昔では考えられないことですよ」
己の境遇に対して、とっくに諦めているフォンスさんは、緑のちょび髭配管工の特例など、全く気にしていない様子で苦笑した。うーん、どんどんルイのあだ名が悪くなっていくなあ。まあ、自業自得だけど。
「小娘、他に気づいたことはないか?生意気なお前のことだ。ただ震えていただけじゃないだろう?」
性悪うさぎがやっといつもの調子で私に話しかけてきた。
「生意気は余計です。どうせなら賢いとか機転が利くとかにしてください」
「で?どうなんだ、賢くて機転の利くお嬢さん」
「今棒読みで言いましたね?可愛いうさぎさん」
「小娘…!」
「何よ!」
「うぉっほん!」
お決まりの喧嘩になりかかったところを、コートルさんが咳払いで止めた。
「……、文献には砂漠に作った大きな装置を使って、スタンガンを充電していたと書かれていますが、あの時見たものは、太陽電池が表面に組み込まれていました。ルイージは一度に4発までしかできないと言ってましたけど、ある程度の期間明るい所に置いておけば勝手に充電されて、また使えるようになると思います」
ディクシャールさんをチラリと睨みつけてから、私は気づいたことを話した。
「どういうわけか分からんが、アメリスタに異界の技術が伝わり、今日までに進化していたということか」
コートルさんの顔が険しくなってきた。ぽっちゃり大臣とバリオスさんは、さっきから黙り込んで何か考えている。ぽっちゃり大臣はさておき、バリオスさんが考え込むと、純粋すぎてロクなことにならない予感がする。
「バリオスさん、さっきから黙ってますけど、まさか異界の技術を知りたくて、アメリスタ行ってみてー!なんて思ってませんよね?」
「ふんっ、何をおっしゃいますかサヤさん。私はあなたと約束したはずです。安心して元の世界に帰る方法を探せるよう、この国を守ると。私は約束は違えませぬ。戦が終わってあなたが帰った後に、ゆっくり観光がてら行ってみたいと思っていただけです」
「どっちにしろ行きたいんじゃない……」
やっぱりバリオスさんは犯人がどうこうより、未知の魔術と技術の方が興味あるようだ。戦が終わってからゆっくりって、勝てるつもりなのだろうか。このヤバイ状況で。隣で話を聞いていたコートルさんの顔が一瞬引きつったぞ。
「まあいいです、バリオスさんの性格は分かってましたから。それと、ルイージが私に近づいたのは、フォンスさんの情報を聞き出すためらしいです。他の4人のことは分かりませんが、トニーが狙われたのは私に近づくのに邪魔だったからだと言っていました」
皆の視線がトニーへ向かう。一国の上層部に一斉に見つめられて、文献を読み終わったトニーは座ったまま硬直した。
「…サヤ、さっきからルイージと呼んでいるが…、キートのことか?」
フォンスさんが尋ねた。
「ええ、本人にはルイがいいって言われましたけど、敵だしムカつくから、私の世界で有名な配管工の名前をあだ名にしました。バリオスさんより存在感がなくて、ダサい緑のつなぎのズボンを履いた、ちょび髭のオッサンです」
「ちょび髭……」
「私の存在感って……」
髭の話には敏感なのか、コートルさんは自分の口髭を触りながら、軽くショックを受けたように呟いた。
「あ、コートルさんのはちょび髭じゃないですよ!艶々に手入れされてるから、カイゼル髭って言うんです!」
泣きそうなバリオスさんをスルーして、慌ててコートルさんをフォローした。危ない危ない、実際ゲームのルイージもちょびよりカイゼルに近いが。「そうか…」と少し持ち直したように頷いたナイスミドルを見て、今後不用意に髭を馬鹿にする発言はやめておこうと思った。
事件報告の終盤で、やっと私はいつもの調子が戻ってきたのだった。