馴れ馴れしい奴ほど怪しいもの(8)
昨夜はフォンスさんの帰りを待っていようと、1階のリビングで睡魔と戦っていたのだが、何故か朝には2階にある自分の寝室で目が覚めた。
首を捻りながら下へ降りるとフォンスさんが台所にいた。
「おはようございます。帰ってたんですね」
「おはよう。昨日は大分遅くなってしまったんだ。君はちゃんとベッドで寝ないと風邪を引くぞ?」
朝食用の食材を出しながらフォンスさんは苦笑した。
「…えーっと、もしかして寝込んでるのを運んでくれたりなんかしちゃいました…?」
「ああ、ぐっすり眠っていたからな。起こすのも気の毒だと思って、そのまま運んだ」
フォンスさんはフライパンを熱し、そこへバターと溶いた卵を入れた。
運んだって…まさか王道のお姫様抱っこですか!?聞きたいけど、そんなの恥ずかし過ぎる。何か手伝ってないと、妄想が勝手に独り歩きして、身もだえしそうだ。
「すみません。重かったでしょう?」
言いながら私はフライ返しを渡した。
「まさか。訓練や戦地ではサヤの倍以上ある男を運ぶことだってあるんだ。君が重いわけがない」
私が台所に出した皿の上に、フォンスさんが器用に巻いたオムレツを乗せた。
「そういえば、今日は早いんですね?フォンスさんの作った料理、初めてです」
「君の料理には及ばないが、これくらいはできるさ。今日は早く行かねばならないんだ。トリード殿に聞いたのだが、やはり大臣の甥は貴族ということで、他の3人より優先的に家族へ返されたそうだ。まだ葬儀は行われていない。朝一番でトリード殿が説得に行かれる。私はそれに付き添うんだ」
私がテーブルに作り置きしたパンと牛乳もどきを並べている間に、フォンスさんはオレンジもどきの果物を切り分けた。
「フォンスさんも一緒に行くんですか?家族に何か言われそう……」
「貴族だから取り乱しはしないだろうが、任務の責任者である私が行けば、嫌味くらいは言われるだろうな。さて、食べるとするか」
「いただきまーす」
オムレツにフォークを入れると、卵が良い具合に半熟だった。口に入れると調度良い塩加減。
「このオムレツ最高!」
私がにんまりしながら味わって言うと、フォンスさんもオムレツを食べた。
「今日は成功したな。君の口に合って良かった」
「フォンスさんって何でもできるんですね?本当にこのままお嫁さんが来ないんだったら、私が居座りたいくらい」
「…サヤ?」
さりげなく本音を言ったら、フォンスさんの手元でフォークがガチャリと音を立てた。
「ホント、このオムレツ美味しい」
「…フフッ、オムレツが目当てかい?」
顔を見なくても、唖然としていたのが分かって、すぐに冗談っぽくしてしまった。
私だけ先走ったみたいで、恥ずかしい。一緒に住んでいる分距離が近すぎて、自分の期待しているような反応が来ないと、どうしようもなく虚しい気持ちになる。でもそれを表に出す訳にもいかなくて、無理な作り笑いをしてしまう。フォンスさんの前では自然に笑っていたいのに。恋愛は、いくつになっても難しい。
「やっと手に入れたわよ」
久しぶりにリリーが来た。今朝はいつもより早くフォンスさんが出たため、彼女は入れ違いになってしまった。予想通り大袈裟に残念がった後、「そうそう、忘れるところだった」と言い、手提げから瓶を取り出した。
「あなたの言ってた変な液体よ」
「わあ!ありがとう!」
瓶を受け取ろうとすると、リリーはさっと避けてニヤリと笑った。
「お礼はあのタレのレシピでいいわ」
「あのタレ?」
どのタレだ?フォンスさんのために、日々色んなタレを研究しているから、たくさんありすぎてわからない。
「ほら、こないだナットーに混ぜたやつ」
「…ああ、塩ダレのこと?別に構わないわよ。気に入ったの?」
了承して、今度こそリリーからにがりの瓶を受け取った。
「ええ、あの濃いけど甘いようなしょっぱいような、パンチが効いてるけど香りが爽やかっていう複雑な味が気に入ったわ。店のサラダに使おうと思ってるの」
「へえ、そうなんだ。野菜に合いそうね。リリーのお店って、色々野菜を使ってて美味しかったわ。あれに使ってもらえるなんて光栄だわ」
「あら、褒めてもダントールさんのことは譲らないわよ」
リリーはちょっぴり照れ臭そうにそっぽを向いた。
タレのレシピを教えて、豆腐ができたら食べさせる約束をし、リリーが帰った後、早速豆腐作りに取り掛かった。まず、納豆を作ろうと思って水で戻しておいたタリを、戻した水ごと全部鍋に入れ、ひたすら木ベラですり潰す。ミキサーが恋しい。クリーム状にはならなかったが、あらかた潰れたところで諦めて、鍋を火にかけ、焦げないようにひたすら煮込んだ。納豆の時同様、これにけっこう時間がかかった。煮終わったら温かい内にふきんで濾し、ふきんに残ったタリを揉み潰すように搾った。これで豆乳とオカラが出来上がり。
豆乳をカップに入れてにがりを混ぜ、小皿を被せて蓋をしたら、カップが少し浸る程度の水を入れた鍋で、温度が上がりすぎないよう気をつけながらゆっくり蒸した。恐る恐る蓋を取る頃には、昼を完全に回っていた。
「わあ、プルプルの絹ごしだ!」
蒸し器がなくて不安だったけど、焦らず丁寧に時間をかければ、何とかなるもんだ。出来立てに塩を振って一口。
「濃厚お!これよ、これ」
ひとしきり感動した後、オカラを野菜スープの残りで煮て洋風卯の花を作って豆腐と共にバスケットに入れ、私はリリーの店へ向かった。