矛盾したら開き直るもの(5)
ルイジエール・キートという男は、私の経験から見るに、友人にとっては良い人でも、恋人にとっては必ずしも良い人というわけではない、というタイプだ。
昔友達に、「気さくですごく良い奴だから……」と紹介された男と付き合ったことがある。最初こそ、誰とでも打ち解けられる良い人だと思ったが、何のことは無い、ただの八方美人、もしくは気が多いだけだった。そのことで友達を「良い人じゃなかった!」と責めることはしない。友達にとっては本当に"良い人"だったのだろうから。
誰とでも打ち解けられるというのは、一つの才能だ。ただそれは、仕事や友人関係においてはプラスになっても、嫉妬のような大きな感情の絡む恋愛においては、プラスになるとは限らない。"誰とでも打ち解けられること"と"八方美人で気が多いこと"は、背中合わせだと思う。そして、広い交友関係を持ちながらも限度を知り、恋人を不安にさせるような言動を取らない人が、本当に友人にも恋人にも"気さくで良い人"なのだろう。
「ま、そんな理想的な男、29年間お目にかかったことなかったけどね」
王宮からの帰り道、ひとりごちた。因みに私は、人によって態度は変えるし、打算的で捻くれてるし、八方美人ではなくとも、気さくで良い人の部類には全く入らないと自分で思う。
そういえばフォンスさんはどうなんだろう?ルイのように分かりやすい行動を取る人は少ない。でもフォンスさんとは一緒に暮らしてるのに、彼の交友関係はディクシャールさんくらいしか知らない。
「それってちょっと寂しいかな……」
またひとりごちた。
今日の夕食は煮込みハンバーグだ。未だ何の動物か知らない肉を叩いてこねて、刻んだ玉ねぎもどきの香味野菜を入れて混ぜ、平たい楕円形にして両面を軽く焼いたら、こないだフォンスさんがいたくお気に召した、黄色いトマトもどきのスパイシーソースで煮込んだ。
焦げないように見張っていると、フォンスさんが帰ってきた。しかしその表情は浮かない。
「どうしたんですか?」
「…出兵が決まった」
「え?」
出兵という言葉を聞いて、この国は戦争中で、この人は軍人で、軍人は戦争に行かなきゃいけないのだということを、今更思い出した。
「いつ、行くんですか?」
「明後日には」
「そんな急に?」
私は鍋の火を止めた。ハンバーグを煮込んでる場合じゃない。
「ああ、今まではバリオス殿を初めとする宮廷術師達が、防御壁を何重にも張っていたから、この国にそんな甚大な被害はなかったが…。それでは何も進展しない。国境付近は地の力が弱い。それ故に強度な壁を張り続けるには、バリオス殿であってもの魔力の消耗は相当激しい。もし術師達の魔力が尽き、壁が壊れるようなことがあれば、そこからアメリスタは一気に攻めてくるだろう」
そうか。今までバリオスさんたちが防御壁を張っていたから、戦争中ということを忘れるくらいネスルズは平和だったのか。リリーは戦争の"せ"の字も出さないし、街の人も何も知らずにのんびり暮らしているように感じた。それは下手に劣勢が知れ渡って一般国民が不安がることのないよう、国の上層部がやっていたのだから仕方ないことだろう。
「いつ、帰って来れるんですか?」
「今回は一時的に壁を解いて、国境を見張るアメリスタ兵士に奇襲をかけるだけだから、死にさえしなければ3、4日で戻れる」
「死にさえって、そんな縁起でもない事言わないでください」
戦争中なら当たり前のことだが、フォンスさんが死ぬなんて私には受け入れがたい言葉で、思わず言ってしまった。
「不安がらせたなら、すまない」
「いえ…、こっちこそ。戦争のこと何も知らないのに、口を挟んだりして……」
「いや、私がいなくなれば、君は頼るところを失う。軽率に死を口にすべきじゃなかった」
違う、そうじゃない。そんな理由で受け入れがたかったんじゃない。
「生活の損得勘定じゃなくて、ただあなたの身が心配なんです、って言ったら迷惑ですか…?」
「サヤ?」
少し声が掠れた。心臓がドクドクと鳴るのが分かる。だけど伝えたいと思った。
「色々取り計らってもらって、一緒に暮らして、もうフォンスさんっていう存在は、私の中に取り込まれてしまってるんです。あなたがいなくなったら、悲しいんです」
初めてフォンスさんに自分の気持ちをぶつけた。燃え上がるような恋じゃない。もっと穏やかで温かい気持ちだ。恋だけど、それは家族に対する愛情に近いのかもしれない。
「迷惑なものか。私を心配してくれる人がいるとは、嬉しいよ」
いつものように微笑むフォンスさんから、私の告白をどう捕らえたのか、窺うことはできなかった。ただ、大人の態度でかわされたかも、という感じはした。
「では、心配してくれる君に、一つ相談事をしてもいいかい?」
「ええ…、私で良ければ」
不意にフォンスさんが予想外のことを言った。大人で頼りになるフォンスさんが、私に相談なんて何だろう。想像もつかない。
「迷っているんだ」
「迷う?」
「この前君が調べた、異界人の知識によって作られた兵器。あれは一瞬で敵国の兵士を殺してしまったのだろう?」
「ええ、ショックで心臓が止まるでしょうね」
どの程度の電気なのか分からないが、専門家が兵器に応用したというレベルなら、多分死ぬ可能性が高いだろう。
「覚えているかい?前に私が、"欠けていい人生なんかない"、"君の人生を、君の世界から欠けさせてしまった"と言ったのを」
まだ私が王宮にいた時の会話のことだ。あれでフォンスさんのことを、仙人並の人格者だと思ったんだ。
「はい。私が"誰にでも心配する人がいるに決まってる"ってバリオスさんに言ったのを、ずっと考えてくれてたんですよね?」
「ああ。そのことだ。一瞬で人を殺してしまう兵器を恐ろしく思った時、自分が君に言ったことを思い出したんだ。私は今まで戦地でたくさんの兵士の命を奪ってきた。敵国の者であっても、心配する人がいて当たり前なのにな。欠けていい人生なんかないと、よく言えたものだと思う。ただの偽善に過ぎない」
「あの日悩んでいる感じだったのは、それを考えていたからだったんですね」
「自分の中で矛盾が生じたんだ。他国の兵士達の人生を奪ってきたのに、君の人生を君の世界から欠けさせて悔やんでいる。欠けていい人生などないと思っているのに、また私は兵士達の人生を奪いに行こうとしている。しかし行かなければ、この国は着実に滅びへと向かうことになる。堂々巡りなんだ」
フォンスさんは眉間に皺を寄せ、目を閉じて息を吐いた。
考え方が優しすぎると思った。多分フォンスさんに司令官と言う立場は、性格的に合わないのかもしれない。
人には大抵何かしらの矛盾がある。私も例外ではない。早く帰りたいのに、フォンスさんに平気で恋しちゃってるし、人間関係がややこしくなるのは勘弁して欲しいと思っているのに、自分を取り繕うためにトニーやリリーに結婚のことを隠している。そんなの全部気にしてたらやっていけない。
「フォンスさん、自分が正しいと思うことをやっていって、それで矛盾が生じたら、どうしたらいいと思いますか?」
「…どうすればいい?」
「開き直るんですよ。」
聞いた途端、しかめっ面で下を向いていたフォンスさんは、目を見開いて私の方を向いた。
「人って毎日色んなことを思って生きて行くでしょう?たくさんの感情が絡むんだから、どこかに矛盾が生じて当たり前なんです。それが人間なんだから仕方ないですよ。矛盾が全く許されないなんて、そんなの機械じゃないんですから。人間の感情を否定することになっちゃう」
「人間の感情、か……」
「そう。ま、開き直るっていうのは極論ですけどね。それに争いの中でなら尚更矛盾が出てきますよ。自分にも相手にも言い分があるから、絶対的な正義も悪も有り得ません。なら、自分が幸せになれる方を取って行動するしかないと思います」
戦争の真っ只中にいる人に、戦争を知らない私の考え方がどこまで理解してもらえるのか、正直ちょっと自信が無い。でも優しいこの人が、矛盾なんて答えの出ないことでずっと悩み続けるのは嫌だと思った。
「…サヤにも矛盾はあるかい?」
「私は…そうですね。戦争でたくさんの兵士が死ぬのは、敵味方関係なく可哀想だと思いますけど、敵兵士を殺してもフォンスさんが無事に帰ってきたら、きっと嬉しいと思っちゃいます。自分勝手で矛盾してるでしょ?」
捨てられた子犬が縋るような顔で尋ねたフォンスさんは、私の答えを聞いて泣きそうな笑顔になった。
「私は、一体何故こんなに迷っていたのだろうな。帰りを待ってくれる人が喜ぶ行動を取れば良いだけだったのに。余計な気を回していたのだろうか」
「完璧にしようと、色んなことを考えすぎなんですよ。でも、フォンスさんがそんな性格のおかげで、私は路頭に迷わずに済んでますけどね。これからは開き直りましょうよ」
最後は茶化した。シリアスな雰囲気で終わらせるには、この話題は重過ぎる。またフォンスさんが迷わないよう、笑って終わらせたい。目がまだ泣きそうな彼を見て思った。