矛盾したら開き直るもの(1)
この世界の魔術は基本的に、音の力が地の力に干渉して起きる現象である。音とは魔力を伴った言葉、則ち呪文。地とはある一定の地域を指す。
魔術は一見万能そうだが、完成された音でなければ発動せず、地が一定範囲を越えた場所だと著しく劣化した術にしかならない。
魔術に適した地域は世界各地に点在する。エンダストリアが魔術に長けているのは、首都ネスルズ周辺がその地域に該当するからである。
魔術は治療魔術、防御魔術、攻撃魔術の3つに分けることができ、現在主に使われているのは、治療魔術と防御魔術である。
治療魔術は生物の持つ自然治癒力を高めるもので、地域が合っていれば、怪我には絶大な効果がある。病は種類によりある程度治りが早まるが、自然治癒力で治らないものには効かない。
防御魔術は術師の指定した範囲に防御壁を張るもので、あらゆる物質を跳ね返す。その強度は術師の魔力と精神集中力に比例する。
攻撃魔術は、生活上の火を起こすための焜炉と、家や街灯の明かりに、極めて弱くかけられている程度で、他国を攻撃しようにもネスルズ周辺の地域を越えると、紅蓮の炎がロウソク程度の火に、目を焼く灼光がぼんやりとした明かりに変わってしまうため、戦争では意味を成さず、現在使える術師はごくわずかである。
これが教本におおよそ書かれていた内容で、後は初歩的な治療魔術と防御魔術の呪文がいくつか載っていた。
夕食後にフォンスさん監視の下、早速私の魔術の才能を試してみることにした。
「ええと…巡る赤水、白き守護神、我を形勢し無数の粒子、神の糸、他の時を止め、此の時を進め、母なる大地の力を以て、苦痛を退け、癒しを与えよー。……ってやっぱダメか」
書庫で本のページをめくる時紙で浅く切ってしまった指に、治療魔術をかけてみようと呪文を唱えたが、何も起こらなかった。教本によると、発動すると淡いオレンジの光が出るらしいが、そんな兆しは一切ない。
「サヤ、気にするな。魔力は誰にでもあるわけじゃない。ない者の方が多いくらいだ。それに例え魔力があっても、一度でできるものじゃないんだ。集中力も要る」
フォンスさんが励ましてくれるが、私に魔力がない、もしくは初歩的な魔術ごときを発動させるのに時間がかかるとなると、召喚術を見つけたらバリオスさんの部下を拉致ること決定なのだ。かなりめんどくさい。
それにしてもこの呪文…、巡る赤水は血でしょ、じゃあ白き守護神は白血球かな。無数の粒子が細胞で、神の糸は神経だとすると……
「フォンスさん、この呪文って、"血液さん、白血球さん、細胞さん、神経さん、どうか周りの時間を止めて私の時間だけ進めて下さいな。お母さーん、痛いの痛いの飛んでけーしてえ!"って言ってるだけのような気がするんですけど。しかも集中してってことは、本気でこんなこと考えながら唱えるってことでしょ?うわあ、要約すると幼稚な上に現実的過ぎて引くわあ…」
「…最初の方によく解らない言葉があったが…、最後の部分は極端に言えばそういうことなのかもしれないな」
つまんないの。もっとこう、"神よ!我に力を!"的なファンタジックな呪文を期待してたんだけど。
「まさか、フォンスさんもこういうこと考えながら魔術使ってるんですか?」
「いや、私に魔力はないんだ。それに元々この地の者ではないからな。地の恩恵は全く受けていないのだろう」
良かった。フォンスさんが"お母さーん、痛いの痛いの飛んでけーしてえ!"なんて思ってるとこなんて想像もしたくない。
「そうですか、何だか安心しました、精神的に」
「ハハハッ、そんなことを言うと、バリオス殿が怒るぞ?筆頭術師は魔術全ての分野に長けていなければならないからな。当然治療魔術も本気で唱える」
フォンスさんがやっと笑ってくれた。昨日の夜から難しい顔ばかりしていたから、少しホッとした。
「…まあ、あの人の場合、脳味噌は大人でも中身は子供ですから。お母さーんって思ってても不思議じゃないかな」
「そうか、サヤはバリオス殿の本質をよく分かっているのだな」
私が分かりたいのはバリオスさんじゃなくて、あなたなのに。
言いたくて言えない言葉が喉の奥でつっかえる。どうして私はこんな攻略の難しい人に惹かれちゃったんだろう?