喧嘩するほど仲が良いもの(1)
次の日、猪女は来た。というか見ていた。
宮廷書庫への立入許可証を受け取りに行ってくる、と言って出かけるフォンスさんを玄関先で見送っていると、庭に生えている木の後ろに隠れ、門を出て行く彼をじっと見つめるリリーの姿があった。
勝手に入ったのか。日本なら不法侵入で訴えられるぞ。
完全にフォンスさんが見えなくなってから、猪女リリーはこっちに駆け寄ってきた。
「今日は間に合ったんだから、話しかけたら良かったのに」
キューピッド役にはならないが、彼女の恋路を邪魔までする理由はないので言ってあげた。
「何てこと言うのよ!手紙を渡してもらうだけで胸がいっぱいだって昨日言ったじゃない!」
私の知ったことか。勝手に庭をウロつかれる身にもなってほしい。
「でもさっきみたいに隠れて見てたら、変質者みたいよ?」
「変…な、何よ!そんな言い方ないでしょ!」
めんどくさい女だと思ってから、私の中で彼女に対する"遠慮"の文字が無くなった。自分で言っててキツイなあとは思うが、この手のタイプはハッキリ言わないと分からないし、このくらいではめげないだろう。
「で?フォンスさんは行っちゃったけど、まだ何かご用なの?」
「あなた、トニーと店に来た時とは全然態度が違うのね……」
「そう?で、ご用は……」
「あ、そうだわ!昨日気付いてたんでしょ?寄ってってちょうだいー!って思いを込めて見つめたのに、あなた目が合ったけど素通りしたわよね」
当たり前じゃないか。歩き疲れてるところに、あんな怨念のごとき視線を感じて、寄ってあげようだなんて誰が思うか。
「だって…、大荷物だったし、疲れてて早く帰りたかったし…」
「気の利かない人ね。次はお願いよ?」
「えー……」
正直なところすっごい嫌だ。ストーカーみたいに家まで押しかけて見つめるくらいの行動力があるなら、何もそこまでお膳立てしてあげなくても、自分で話しかけたら済むことだろうに。
「えーって…まさかあなた私の想いを邪魔する気?」
「邪魔はしないけど、協力もしない」
「何で?!」
「何でって…。そりゃあ私はここでお世話になってるのよ?もし協力してあなたとフォンスさんが結ばれるようなことがあったら、私は出て行かなきゃなんないじゃない。調べ物が終わるまで、自分が路頭に迷うような事はしたくないわ」
私もフォンスさんに惹かれ始めているなんて言ったら、もっとめんどくさいことになりそうだから、そこははしょっておいた。
「結ばれ…?えっ!そんなこと考えただけで気絶しそう!」
リリーは私の思惑とは別の所で反応し、真っ赤になって跳びはねた。全く、猪女は人の話を最後まで聞かないんだな。
「それより、今日もお店の仕込みは大丈夫なの?」
「あ、そうだったわ!じゃあまたね!」
駆けて行った彼女を見送って、思わずため息が出た。
"またね"だって。いい加減迷惑がられていることに気付いてくれないだろうか。まさかわざとか?わざとウザイことやってるのか?疑いたくなるほどだ。ここまでくると、安いコントをしている気分になる。私はそんなキャラじゃないのだけど……。
私はもう一度大きくため息をついて、玄関の扉を閉めた。
宮廷書庫の立入許可証を持ち帰ったフォンスさんに連れられて、私は王宮の中を歩いていた。いつも行き帰りを案内できるか分からないから、道順を覚えておいてほしい、とフォンスさんに言われ、キョロキョロ目印を探しつつ進んで行くと、私の敵に出くわした。
「よお、小娘。そんなにキョロキョロしてると、田舎者のお上りさんみたいだぞ」
「あーら、ご機嫌よう、うさぎさん。別にあなたに田舎者と思われようが、痛くも痒くもないのでどうぞお気になさらず」
「小娘…!」
「何よ!」
ディクシャールさんを見た瞬間に、私の中でスイッチが切り替わった。
今のところ、私のスイッチは4種類に切り替わる。フォンスさん仕様はぶりっ子気味、トニー仕様は一番素に近い、リリー仕様は適当にあしらう、そしてディクシャールさん仕様は喧嘩上等、である。このスイッチ切り替えは、私がOLやってて身につけた技だ。別に多重人格ではない。腰掛けOLも色々大変なのだ。性格が良いだけでは世の中渡っていけない。
「…ラビート、相手は女性だぞ?ムキになって突っ掛かってどうする」
フォンスさんが呆れながら言い、ディクシャールさんの隣を通り抜けた。
「これが男の器の差ってやつね……」
私は続いて通り抜けたすれ違いざまに、ディクシャールさんだけに聞こえるような小声で囁いた。
「フォンス!本当に正気なのか?!何故こいつのために!」
当然ながら怒ったディクシャールさんは、私の前を歩くフォンスさんに怒鳴った。そしてこちらを振り返ったフォンスさんは、無表情のまま答えた。
「俺は…帰りたくても帰れない、その苦しさともどかしさを知っている。今サヤの気持ちを理解してやれるのは、俺しかいないと思っているからだ」
「フォンス…。それは…っ!おい、聞け!」
フォンスさんはそれだけ言い放つと、ディクシャールさんの言葉を待たずに行ってしまった。見失わないよう、私も急いでついていく。
「フォンスさん」
呼ぶと彼は歩む速さを緩めた。
「サヤ、すまない」
「ディクシャールさんのことですか?大丈夫ですよ、私も彼にけっこう言い返してますから」
「だが…ラビートは元々女性に辛辣な言葉を放つ男じゃないんだ。何故君にあそこまで言うのか…、今の奴がわからない」
私は、どうせすぐには帰れないのなら、結婚生活シミュレーションを楽しもう、なんて気楽に思い始めていたのだが、どうやらフォンスさんは、私が考えてる以上に思い詰めているようだった。
「まあ、私の言い方にも問題はあると思いますよ。こっちもそれが分かってて言ってますからね。それに、一人くらい喧嘩相手がいる方が、気が紛れると思いませんか?」
「そう…か?」
窺うように聞いたフォンスさんに、私は大きく頷いた。
「逆に私の存在が原因で、二人が気まずくなる方が嫌ですよ。でも、庇ってくれて、ありがとうございます」
フォンスさんに悲しい顔をさせてしまうなら、今後ディクシャールさんと言い合う時は、やり方を考えなきゃいけないな、と思った。