君の心、雨夜の月(13)
フォンスは心臓が高鳴ったが、努めて冷静を装い、老婆に聞いた。
「彼にとても世話になったんです。今、どこにいますか? 会いたいのですが……」
「そうですか。私も会いたいです」
「え?」
返ってきた言葉の意味が分からず、フォンスが聞き返すと、老婆は再びアメリスタ公の屋敷へ向き直り、ゆっくりと口を開いた。
「あの子は10年程前から、全く帰郷しなくなったんです。手紙を出して催促したら、弟子が出来たと。その弟子がなかなか帰郷許可を取れないから、自分だけ帰ることはしたくないという返事が来ました。それから1年前くらいでしょうか。家に兵士達が訪ねてきて、リュードは最近帰郷したかと聞かれました。正直に随分前から帰るつもりが無さそうだと答えると、私も夫も、末の娘も、公爵様の屋敷へ連れて行かれました。そして夫は手紙を書かされたのです。"アメリスタ軍より用件あり。次の上弦の月夜に、ネスルズ出口の街道まで来られたし"と……」
「その用件が、アメリスタへ戻れというものだったんですね?」
「そうなんでしょうねぇ……私達はただリュードがアメリスタへ戻るまでは帰せないと言われ、屋敷の部屋に監禁されていましたから……何も聞かされていないのです。扱いは丁寧でしたが。でもリュードにとって、農夫である私の夫が軍の用件を手紙に書くということは、家族が人質として軍の手の内にあると言っているようなものだったでしょう」
フォンスはやっとクレストが脱走せざるを得なかった理由を知った。彼が最後に"俺も家族に会いたい"と言ったのは、人質に取られた家族を心配していたからだったのだろう。
「それで……帰ってきた彼と、会いましたか?」
フォンスが尋ねると、老婆は首を横に振った。
「いいえ、私達はいきなり解放されただけで、リュードとは会っていません。戻って来たというのは聞きましたが。何でも特殊な仕事を任せる為に引き抜いたから、一般の部外者とは当分接触させられないとか……」
長く平和が続いているというのに、アメリスタ軍がそこまでロズアークの視察を警戒することを、フォンスは不思議に思った。だがクレストの母親にこれ以上聞いたところで、何も分からないだろう。
「もうすぐ会えるんじゃないですか? 確かに以前、エンダストリア軍にアメリスタを警戒させるような視察を行った者がいましたが、結局単独の行動で、もう引退しています。誤解が解ければきっと……息子さんを見送った時、家族に会いたいと言ってましたから、彼も帰ろうと頑張っているはずです。俺も今から12年ぶりに帰るんです。何年経とうと、絆は変わらない。息子さんも同じですよ」
フォンスはそう気休めを言うことしか出来なかった。
すると老婆はもう1度顔をフォンスの方へぼんやり向けると、少しだけ微笑んだ。
「あなたが、リュードの弟子なのね? 早く帰っておあげなさい。こんな所で道草を食っていては駄目。我が子の元気な顔を見るだけで、親はとても幸せになれるのよ。あなたのご両親も、心待ちにしていることでしょう。私にはもう叶いませんが……」
老婆は諦めたように言った。
これ以上良い慰めの言葉が浮かばなかったフォンスが、お礼を言って発とうとすると、屋敷の方がにわかに騒がしくなった。
「何だ? 兵士が出てきたぞ」
目を凝らしたフォンスが呟くと、老婆は急に彼の袖を引っ張った。
「早くお行きなさい。でもこのまままっすぐではなく、途中の茂みにしばらく身を隠して」
「な、何を言っ……」
「早く!」
老婆の尋常でない様子に、フォンスは言われた通り道を少し進んだ所にある茂みに隠れた。
それでも老婆が気になり、茂みの後ろの森をつたって、彼女の見える位置まで引き返すと、丁度屋敷から出てきたと思われる兵士が数人集まっていた。
「こんにちは、クレストさん。ちょっとお尋ねしたいのですが、スカル人と会っていたでしょう?」
「はえ? スカル?」
「いやいや、あなたまだボケてないでしょう? さっきあなたの方へスカル人が近づくのを見た人がいるんですよ。彼は息子さんのお友達なんです。是非屋敷にお招きしたいと思いまして」
「ごめんなさいねぇ、私はもう目がほとんど見えないのでねぇ。話し掛けてきた人がスカル人かどうかは、分からないんですよ」
「あー、そうでしたね……」
隠れながら話を聞いていたフォンスは息を飲んだ。どうりで、目が見えないからずっとぼんやり焦点が合っていなかったのだ。きっと話の内容で、フォンスがクレストの手紙にあった弟子だと判断したに違いない。そしてフォンスがクレストの二の舞にならないよう、逃がしてくれたのだ。
見えない目で、息子のいる屋敷を眺めていた彼女の気持ちを考えると、フォンスの胸はしくしく痛んだ。
アメリスタ兵はスカルの方へフォンスを探しに行ったが、程なくして諦めたように戻ってきた。
「クレストさん、どうもお騒がせしました。息子さんのお友達はもう行ってしまわれたようです。次に会うことがあれば、屋敷へ寄ってほしいとお伝えください」
「はいはい、ご苦労様です」
兵士達が屋敷に帰っていった後も、フォンスは再び老婆に話し掛けることは出来なかった。関所で"俺を探すな"と伝言を頼んだクレストの意図がようやく分かったのだ。老婆とフォンスの安全の為にも、もう関わってはいけないということだ。
フォンスは、クレストの言うことは正しいと、頑なに信じていたバリオスの気持ちが、今なら理解出来た。
「ずっとクレストさんの背中を追って鍛練していたのに、俺は一体あなたの何を見ていたんだろうか……」
冷たくなってきた風に懐かしい故郷を感じたフォンスは、スカルの森へ急いだ。
悔しさと申し訳なさと、少しの未練を胸の奥に仕舞い込んで……
次話はあとがきです