君の心、雨夜の月(8)
「魔術のランプをバリオス殿に作らせたのは、ここから先の暗闇を進む為でしょう?」
「……」
フォンスは視線の指すものを悟って言った。しかしクレストはそれには答えずに、荷物からランプを取り出した。
「あいつはな、一度友人と決めたら、そいつのことを純粋に信じてしまうんだ。本当、餓鬼みてぇに……」
ランプを見つめながらクレストは更に続けた。
「俺はそれを受け止め切れるほど出来た人間じゃない。バリオスもお前も、そしてディクシャールも、美化して慕ってくれたみたいだけどな、所詮は狼に衣、俺は一匹狼さ」
クレストの表情は依然無のまま変わらない。
もう何を言っても無駄なのか? 理由も告げずに黙って行くのか?
そう考えた瞬間、フォンスは感情的になって説得をするのが空しくなった。クレストは脱走することに、弁解も言い訳もするつもりはないのだ、と感じられたからだ。そうすることで残されたバリオスや、責任を取らされるであろうコートルに、恨みを抱かせる余地を作って去ろうとしているのだ。
「で、どうする? お前も脱走するか?」
フォンスが思った通り、クレストは出て行く理由には一切触れず、選択を迫った。
「あなたとは、行けません」
今すぐ帰れるという甘美で魅力的な考えを振り払い、フォンスはそう告げた。
「お前は真面目過ぎるからな。そう言うと思ったぜ。誘ったのは魔が差しただけだ」
「クレストさん、俺は……」
「気にすんな。ダントールは正攻法で帰れ。それが一番良いんだ。その"時"はもうすぐ来る」
予言のような言葉を残し、クレストは魔術のランプを付けた。
さようならさえ言わないのか。
背を向け闇へと去って行く姿と見送りながら、フォンスは独り呆然と立っていた。
クレストの姿が完全に見えなくなり、フォンスが街へ引き返そうとした瞬間、横手から影が飛び出した。
「くっ……!」
胸を目がけて襲いかかるショートソードを、フォンスは身を捻ってどうにか避けた。
しまった、別れに気を取られて、狙われていることを失念していた。
フォンスは油断した無様な自分に苛立った。
ショートソードの主はエミューンだ。一撃目失敗した彼は、すぐさま構え直し、再び切りかかってくる。それをフォンスは避けざまにエミューンの手首ごと掴み、動きを封じた。
「お前は……! どこまで卑怯なんだ!」
フォンスが怒鳴りつけると、エミューンはそれを鼻で笑った。
「ふん、一緒に行けば良いものを。邪魔なんだよ、ダントール。お前がいる限り、俺は隊長どころか副隊長にも昇格出来ない」
「何だと?」
「昔ディクシャールに言っただろ? 帰郷しても戻ってくるって。廊下で偶然聞いたんだ。コートル隊長は知らなかったみたいだがな」
「それがどうした?」
「お前がそうやって3隊居座ることが分かれば、隊長はお前を優先して副隊長にするだろうよ。司令官の甥を差し置いてでも、だ。実力はお前ばかり評価されているからな。それに、大臣にまで取り入りやがって……俺も叔父さんもそれが我慢ならないんだ。スカル人が先に出世するなんて!」
エミューンは吐き捨てるように言って手首を捻り、フォンスを振り払った。
僅かによろめいたフォンスの背後に、もう1人気配が現れた。
「オリト、今だ殺れ!」
エミューンが叫ぶと同時に、オリトはショートソードを水平に構えて突進した。
この距離は避け切れない!
フォンスが歯を食いしばった刹那、オリトの剣はフォンスのすぐ横を風のように擦り抜けた。
「ぐぅっ!」
呻き声を上げたのは、その先にいたエミューンだった。彼の服の左腹を覆っている部分には、血が滲んでいる。それでも致命傷ではなかったようで、間を空けたオリトを苦しそうに睨み付けていた。
「どういうことだ、オリト」
「言っただろう? 俺も"覚悟"を決めたって。お前の呪縛から解き放たれる"覚悟"をな」
どうやら本当にオリトはエミューンを裏切るつもりだったようだ。そうフォンスが安堵したのも束の間、オリトはもう一度エミューンに向かってショートソードを構えた。
「おい、エミューンを捕まえるんじゃないのか? これだけ負傷していれば十分押さえられるだろう」
フォンスはオリトの様子が普通でないと感じ取り、少し焦った。
オリトはゆっくりフォンスを振り返る。
「甘いな、ダントールは。司令官の甥を捕まえて突き出したところでどうなるって言うんだ? 俺達が無事に戻り、コートル隊長がクレストさんの脱走による処分から免れる方法は、第3隊に平穏が訪れる方法は、たった1つしかない」
「アッハッハッハ! 何だよオリト、平穏ってさ。波風の根元は、ダントールだ」
馬鹿にしたように笑い飛ばすエミューンを、オリトは冷めた目で見た。
「否、根元はお前と、司令官だ。ダントールとコートル隊長に固執しているのはお前達だけなんだ。出世は実力の順にすればいい。出来なかった俺は、それだけの実力なのさ」
「俺を裏切って、叔父さんが黙ってると思うなよ……」
オリトとエミューンが再び臨戦体勢に入った時、闇の方から僅かに気配が動いた。