君の心、雨夜の月(6)
次の朝、ダントールはクレストには内緒で、ワイスにバリオスを呼んでもらった。長い付き合いの彼なら、何か聞いているかもしれないと思ったからだ。
フォンスは待ち合わせの場所である術師の棟の前に着き、バリオスを探したが、見つからなかった為、近くの木陰に移動した。
「お待ちしていましたよ。ダントール君」
いきなり後ろから声をかけられたフォンスは、危うく声を上げそうになった。
「……バ、バリオス殿。何故気配を消して近づくのですか?」
「おや? そんなことはしていません」
「そうですか。クレストさんよりも完全に気配を感じなかったものですから……」
恐ろしい程に存在感が無い、と言いたいのをフォンスはぐっと堪えた。
「それで、何の御用でしょう? 緊急とお聞きしましたが」
「バリオス殿は、クレストさんから何か相談等はされていませんか?」
聞くとバリオスは首を傾げて少し考えた。
「うーん……特に相談を受けた記憶はありません」
「そう、ですか……」
「ああ、相談ではありませんが、4日ほど前に、魔術の街灯を手持ちのランプにしてくれと頼まれたので、魔力を持った鉱石に術をかけて、昨日お渡ししました。」
「そ、それを作る理由は聞いていませんか!?」
その話に食い付いたフォンスは、バリオスの肩を掴んだ。
「いえ、クレスト君にしては珍しく便利な物を思い付くのだなぁと感心して、商品化の方法を考えていました。」
「は、はあ……聞かなかったんですね」
フォンスは肩を掴んだ手の力を抜き、項垂れた。バリオスはこういう性格なのだ。そんなフォンスを見て、バリオスは不思議そうに瞬きをした。
「何かあったのですか?」
「いえ、お時間を取らせてすみません」
何も知らなさそうな様子なのでフォンスが帰ろうとすると、バリオスは彼の腕を掴んで引き留めた。
「何か気になることがあったのたら、教えてください。クレスト君は容易に私の思考を読めますが、私はクレスト君の何も読めないのです。でも知りたいとは思っているのです」
珍しく食い下がるバリオスに、フォンスは一瞬迷った。バリオスはたまに突拍子も無い行動に出る。オリトの話が本当だとすると、エミューンはフォンスを追い出すために、手段を選ばなくなっている。バリオスが下手に騒ぐと、彼の身や立場も危うくなるかもしれない。
しかしバリオスはフォンスの腕を離さない。クレストに対する思いは同じなのだ。
「まだ不確かな話なので、決して口外しないと約束できますか?」
フォンスがバリオスを強く見詰めて訊ねると、彼はいつもと違って瞳を逸らさずに頷いた。
「……クレストさんが、アメリスタへ脱走するかもしれないと……」
「はい? 帰郷ではなく、ですか?」
「そうです。俺もクレストさん本人からは何も聞いていないのですが……オリトから聞かされて初めて知りました」
「オリトとは、エミューンとやらと一緒にダントール君を監視していた? それは何やらキナ臭い話ですね」
エミューンに一時期探られていたバリオスは、オリトの存在も知っていて、不審そうな顔をした。
「だからバリオス殿がクレストさんから何か聞いていないかと思ったんですが……こうなったら奴らの作戦に敢えて乗る覚悟で、クレストさんを付けてみます」
「私も……」
「駄目です。エミューンはクレストさんの脱走に乗じて、俺を消すつもりらしい。オリトはそれを利用してエミューンを捕まえるつもりだと言っています。それが嘘でも本当でも、バリオス殿が来れば必ず危険に巻き込まれる」
「私は……クレスト君の為にも、ダントール君の為にも、何も出来ないのですか? 紅蓮の炎も目を焼く灼光も使ってはいけないと、ダントール君も言うのですか?」
フォンスはそこでようやくバリオスの瞳が悲しげに揺れているのに気づいた。しかし、バリオスは既に筆頭術師という重要な立場がある。関わって妙な噂や不評を買うなど、あってはならないのだ。
「ワイスの為にも、危険は冒さないでください」
フォンスは後ろ髪を引かれる思いを振り切ってバリオスに背を向けた。
その日の昼間も、クレストは脱走の話が嘘だと思えるほど、いつもと変わらなかった。
ただ1つだけ、彼は自分の勤務時間が終わるとフォンスの所へやって来て、ポツリと「お前も、家族に会いたいよな?」と聞いてきた。今まで事情は知れど、クレストがそんな同情的なことを言ったことは無かった為、フォンスは「そうですね」と答えるだけで精一杯だった。
「何故あそこで、クレストさんも故郷に帰りたくなったのかと聞けなかったんだろう……何か話してくれたかもしれないというのに」
日勤の少年と交代し、門を閉めたフォンスは1人悔しがった。
今日のフォンスは夜勤の門番だ。元は日勤だったのだが、今朝急に変更になったのだ。これでクレストを自由に追える。こんな不審な変更をしたのはオリトだ。昨晩そう言っていた。
オリトがエミューンを裏切ることを信じる材料があるとすれば、こういった行動の変化である。今まで根回しや工作は全て、エミューンが自ら行っていたのだ。この変化に鬼が出るか蛇が出るか。
フォンスはその時を待った。