君の心、雨夜の月(5)
ネスルズの北端。ここを出るとアメリスタへ続く太い街道が延々と通っている。途中村がいくつかあるが、ネスルズから一歩出ると、夜は魔術の街灯も全く無い暗闇だ。その闇の向こうに、アメリスタが関所を構える森がある。
雲が流れ、不気味に光る上弦の月が顔を出すと、1人の男が街の方からやって来て、ネスルズの出口にある街灯に寄りかかった。程無くして、そこへもう1人男が、今度は逆のアメリスタ側から歩いてきた。
「お手紙をどうも。夜の誘いは女からしか受けたくないんだが。しっかしこんな街外れの何も無い所に呼び出すなんざぁ、やっぱりセンスが欠けてるな、田舎のアメリスタは」
街灯の下にいた男が、面倒臭そうに言った。
「そっちの街灯は魔術の灯か。洒落ているな」
アメリスタの私軍兵の姿をしたもう1人の男は、気分を特に害したわけでもなくそう返した。
「手紙に書いてあった用件とは何なんだ? わざわざ差出人に俺の家族の名前なんか使いやがって。筆跡まで真似たか?」
「隠密の用件だ。筆跡は真似たのではない。実際に書かせた」
「あ? わざわざ妙なことをするんだな。それで?」
「アメリスタに戻り、私軍に入れ」
アメリスタ兵の言葉に男は一瞬呆けたが、すぐにクスクスと笑い始めた。
「クックッ……俺はもう随分前からエンダストリア兵だぜ? 今更戻る気はねぇよ」
「交渉をする気はない。10日後までに公爵の屋敷へ来い」
「だから、エンダストリア兵の俺が田舎の私軍に命令される筋合いは無い」
「呼び出しの手紙を、何故お前の家族が書いたのか、よく考えるんだな……リュード・クレスト」
アメリスタ兵はそれだけ言うと闇に消えた。
やがて街灯の下から誰もいなくなると、少し離れた木の陰から2人の男が出てきた。
「面白いことになったな、オリト」
「……」
「何だよ、毎回ノリが悪いなぁ。ダントールはなかなかボロを出さなかったが、クレストさんの方を張ってて当たりだったな」
「……追い出したいのはダントールだけだろ? 今のがどう繋がるんだよ」
「いいか、さっき10日後までにアメリスタへ戻れと言っていたんだ。帰郷許可の申請がそんなに早く通るわけがない。ということは、クレストさんは戻るなら脱走しかないんだ。アメリスタ側からの誘いなんだから、関所に話は付いてるだろうし、戸籍証明なんか無くても抜けられるはずだ。そこでクレストさんがダントールも一緒に出ようと誘えば万々歳、もし誘わなくても、付いていったってことにすれば……な? 真実を証明するクレストさんはいないし」
オリトは恐ろしい予感に息を飲んだ。
「エミューン……まさか!」
「しぃ、騒ぐなよ。これが上手くいけば、長かった戦いがやっと終わるんだ。裏切るなよ? お前の今後だって、俺の叔父さん次第なんだぜ」
不敵に笑ったエミューンを、オリトはまともに見ることは出来なかった。
夜中の不穏な密会から6日が経っても、クレストがフォンスを誘う素振りは無かった。明日の夜にはネスルズを発たねば、10日後のアメリスタ公爵の屋敷到着に間に合わない。
「そろそろ時間切れだな。仲良く逃避行はしないみたいだ。さて、野生の獣並みと言われているあいつを、どう始末するか。手強いが、2人がかりなら何とかなるだろう」
エミューンが言うと、オリトは首を振った。
「王宮内では難しい。こっそり殺れるほど相手は甘くない。それに運良く殺れたとしても、遺体はどうする? クレストさんに誘われてなくても、街外れまではダントールに行くよう仕向けた方が良い」
「……何だ、とうとうやる気になったか?」
今まで付き従っていただけのオリトが、急に意見を言い出すものだから、エミューンは少し驚いた。
「覚悟を決めたってことさ。お前は怪しまれるから、俺がダントールをけしかける。待ってろ」
オリトはエミューンを見ずに言い、フォンスの部屋へ向かった。
「お前は……いや、まぁ入るか?」
自室のドアを開けたフォンスは、突然の訪問者に戸惑っていた。
オリトは遠慮なく中へ入り、手近な椅子に座った。そしてフォンスがベッドへ腰を下ろすと、単刀直入に切り出した。
「クレストさんが、脱走する」
「……な、何の話だ?」
寝耳に水のフォンスは、オリトの発した言葉の意味が理解できなかった。
「そのままの意味だ。6日前にクレストさんとアメリスタ兵が話しているのを見たんだ。明日の夜には発つだろう」
「……何故お前が親切にそれを俺に知らせるんだ?」
フォンスが訝むと、オリトは自嘲気味に笑った。
「怪しいか? だろうな。今まで俺はエミューンとつるんでたから。だがな、もうずっとうんざりだったんだ。正直ダントールがどうなろうと、俺は構いやしない。俺が嫌なのは、これから一生エミューンに従う羽目になることだ」
「どういうことだ?」
「エミューンと共犯になるってことさ。お前を殺すことでな」
フォンスは開いた口が塞がらなかった。混乱し過ぎて言葉が出てこない。
「クレストさんが脱走するどさくさに紛れてお前を殺し、一緒に行ったってことにするんだ。俺を信じられないってのは承知の上さ。エミューンにも調子の良いこと言って来たし。だがエミューンは最後のチャンスだと、今回に懸けている。そして俺も、自由になるチャンスはこれが最後だと思ってる」
オリトの目は真剣だ。だがフォンスはどこまで信用できるのか判断しかねていた。
そもそも、クレストはずっと普段通りだった。しかし今、話はクレストの脱走ありきで進んでいる。
「俺に……どうしろと?」
フォンスは渇いた口でそう聞くしかなかった。