君の心、雨夜の月(4)
エミューンとフォンスの静かな攻防戦は、約1年にも及んだ。フォンスには周りを納得させるだけの実力があり、立場上では優位なエミューンも、迂闊に手は出せず、揚げ足を取ることさえ困難だった。
そんな甥の一進一退な状況に、ロズアークは苛々していた。実力第一の軍において、フォンスの昇格を拒否し続けることに、だんだんと無理が出始めたのだ。
そんな中、コートルがロズアークの執務室を訪ねた。
「何の用だ」
コートルを迎え入れて早々、ロズアークはつっけんどんに言った。
2人は昔からそりが合わなかった。コートルは貴族だ。故にロズアークとは考え方が根本的に違う。庶民から実力で成り上がったロズアークが、自分の周りから遠ざけようにも、コートルは国立学院を出、幹部候補として軍に入っている為、余計に近くなってしまった。そういったロズアークの長年蓄積された不満が、爆発寸前にまで膨れ上がるきっかけとなったのが、フォンスの存在だった。
ロズアークはスカル人も貴族も嫌いなのだ。彼の曽祖父は小さな商店を営んでいたが、その地域にスカル人が多数住み着き、スカル人同士だけで商売をし出した為、店をたたむ事を余儀なくされた。ほぼ無一文で引越し、店を再開させた曽祖父の苦労は相当なものだったと、ロズアークは聞かされて育った。そして毛皮や剥製目当てに、スカル人の店へばかり金を落としていく貴族も恨めしかったと。
フォンスが入隊したことを、当時ロズアークは知らなかった。基本、試験は隊長格が管理し、司令官は滅多に口を出さないからだ。ところが合格の翌日からフォンスの周りで事件が起こった。そこでやっと軍にスカル人が入ったことを知る。最初は様子を見ていたロズアークだったが、問題を起こした下級兵士の処分に財務大臣、トリードが圧力をかけたのが爆発の決定打だった。コートルがフォンスを拾い、軍に入れたことも調べればすぐに分かった。
フォンスの昇格妨害は、単純な問題ではなかったのだ。こういった過去の私怨が絡む事情を、独自で調べていたクレストが掴めるはずもなく、フォンスはただ自分の問題だと思い、悶々とし続けていた。
「昨日まで、アメリスタを視察されていたとお聞きしました」
コートルがさりげなく聞くと、途端にロズアークは眉をひそめた。
「だから何だ?」
「……いいえ。今日は読んで頂きたい物がございまして」
そう言ってコートルは幾枚かの書面を出した。
「嘆願書……?」
「はい。ダントールの昇格の件です。2隊と5隊、それと6隊8隊の隊長も連名ですよ。彼の実力はご存知のはずでしょう?」
ロズアークは、忌々しげに鼻を鳴らし、嘆願書を執務机に投げ置いた。
フォンスは入隊時こそラビートと共に問題を起こし、目立っていたが、その後は何年実力を認められなくても、愚痴1つ言わず真面目に勤務していた。そしてだんだんと理解者を増やしていったのだ。昇格出来ないことなど関係なくフォンスを慕う年下の下級兵士も何人かいた。
最初はトリードがフォンスを特別扱いしたことに反感を抱いた上層部も、次第に過ぎたこととして流し、今や固執しているのはロズアーク含め、一部のみとなっていた。
「何をしにアメリスタへ行かれたのかは存じませんが、公国より自国の兵士を気にかけてやっては頂けませんか?」
「スカル人を国民とは認めん!」
「そんなに追い出したいのなら、さっさと昇格させて、帰郷許可で帰らせては? そのまま戻らない可能性もあります」
「いや、ダントールは一時帰郷の後戻ってくるそうだ。エミューンが言っていた」
「……それは知りませんでした。ダントールがお嫌いな割にはよくご存知なようで」
「話が済んだならもう出てゆけ」
ロズアークの執務室を出たコートルは複雑な思いだった。今までフォンスは一度帰ったら戻って来ないと思っていたのだ。そして戻ってくると言った理由を考えた。思い当たる事といえば……
「クレストやディクシャール達友人と……儂の為か……? 隊から脱走者が出れば儂が処分されると……」
コートルは髭を引っ張り、目を固く閉じて思った。戻らない可能性があるなど、自分の方がフォンスを甘く見ていたのではないか。"スカルの狩人は恩を忘れない"と、少年だった彼は頭を下げて言っていた。彼を帰してやりたい。だが居る時間が長すぎた。帰って当たり前の存在では既に無くなってしまっていたのだ。
「今は余計なことを考えてはいかん。とにかく、あいつの帰郷許可を取ることに専念せねば」
コートルは自分に言い聞かせるように、独りごちた。
ややこしいですが、冒頭のところで青年編1話目より1年進んでます。