金の狐と黒い熊(13)
ワイスはしばらくクレストの腕の中で目を回していたが、やがて気がつくと、自分を無言で見つめてくる男の視線にたじろいだ。だがそれがかの有名な天才術師、ルーゼン・バリオスだとクレストから知らされると、興奮したように頬を紅潮させて擦り寄った。人見知りのバリオスは視線はそのままに、寄られた分だけ遠退いたが、ワイスは更に詰め寄る。青年と少年が互いに見つめ合いながら、同極の磁石のように反発し移動するという、この奇妙な構図を皆唖然と眺めていたが、クレストによると、これがバリオス流の誘導らしい。どうやらワイスの才能を本気で気に入ったようで、この調子で術師の詰所まで連れて行き、上級術師に与えられた権限のひとつである推薦で宮廷に入れるつもりだという。
「クレスト、お前は彼の頭の中が読めるのか? そんなに仲が良かったとは知らなかったぞ」
コートルが感心して言うと、クレストは困ったように頭を掻いた。
「5年前の入隊試験で攻撃魔術を使おうとしたのを殴って止めてから、妙になつかれてしまいまして……」
「攻撃魔術? はて、そうだったかな」
「ええ、奴はワイスと違い、呼ばれるまでに時間がありましたから、その間に辞退の申告をするよう言ったんです。ですから隊長達はご存知ないでしょう」
クレストは自らの入隊試験での出来事を思い出した。
――――5年前――――
15歳になったクレストは、エンダストリア軍に入隊する為、アメリスタの北部からはるばるネスルズまでやって来た。アメリスタにも私軍はあったが、規模は小さく、血気盛んな年頃の少年達は己の才能を試す為に、わざわざエンダストリア軍を希望する者も少なくなかった。クレストもその一人である。
彼は生まれつき色素が少し薄かった。スカルとの境が近いアメリスタ北部にある彼の実家は、何代か前にスカル人の血が混じったことがある。その先祖返りだと言われて育った。
アメリスタにとってスカル人とは、ネスルズのそれほど悪い印象ではなかった。積極的な交流があったわけではないが。
クレストがネスルズへ行くと決めた時、周囲は反対した。アメリスタ北部だからこそ、そのヘーゼルグリーンの瞳はただの先祖返りで済んだ。だがスカルへの警戒が強いネスルズへ行けば、蔑みの対象にされるかもしれないのだ。
それでも若いクレストは街に憧れた。人と活気に溢れる市場や、夜でも魔術の灯りで照らされる街に、優美な王宮に。
結局反対を押し切ってやって来たクレストは、最初こそ容姿を訝しがられたが、アメリスタの戸籍と持ち前の口の上手さで何とか無事に試験会場へ入ることができた。
訓練場まで移動すると、そこで異様な存在に気づいたのだ。否、存在感が無さすぎるが故の異様さと言おうか。とにかく、他の少年達は全く気づかない様子でいるのに、クレストは一度それを見てしまったが為に気になって仕方がない。
「なぁ、お前って亡霊なのか?」
怖いもの見たさでクレストが話しかけると、それは不機嫌そうに口を曲げた。
「失礼な方ですね。私は生きています」
「じゃあ生き霊なのか?」
「生きて、ここに存在しています!」
それは声を荒げて憤慨したようだが、存在感の無さで相殺されてしまっている。
「ってか何でそんな喋り方なんだ? 同い年だろ。そんなんじゃ友達できねぇぞ」
「人見知りなんです。放っておいて下さい。それに私は魔術が友達なので……」
「魔術? へぇ、俺見たことねぇや。どんなやつなんだ?」
クレストが興味を示したことに気を良くしたそれは、得意気に鼻を鳴らした。
「ふんっ、では少しだけ、あそこにいる私の足を踏んでも気づかなかった彼を使って見せてあげます」
それはそう言うと、クレストにも聞こえないほどの声で呪文を呟き、人差し指の先を標的の少年に向けた。
ボフンッ
少年の尻から小さな爆発音がした途端、煙が出た。
「うわあちっ! 何だ何だ!?」
「何か尻が燃えてねぇか?」
「おい早く消してやれよ!」
少年が熱がると、突如燃え出した尻に驚いた周りがすぐに火を消しにかかった。
「どうです? これが攻撃魔術です。今は廃れてしまいましたが」
「……すっげぇ。でも試験は剣だぞ? 魔術関係ねぇんじゃ……?」
どう見ても剣など使えなさそうなそれにふと疑問を感じたクレストは尋ねた。試験は始まっていて、何人かは既に終えて休んでいる。
「私は好きで来たわけではありません。引き篭り癖を叩き直すとか何とか、両親が勝手に申し込んだだけです。さっきは手加減しましたが、攻撃魔術とは本来、戦で使うほどの規模なんです。それを披露して落ちれば、両親も諦めるでしょう。後は宮廷術師の試験を受けます」
それの話を聞いてクレストは一瞬「そうか、頑張れ」と言いそうになって止めた。
つらつらと理屈を最もらしく言ってはいるが、それの思考回路はどこか繋ぎ間違えている。よく考えたらとんでもないことをやろうとしているのだ。
「おいおい、辞退しますって口で言やぁ良いんじゃ……」
「まさか、私は人見知りだと言ったでしょう? 恥ずかしくて話せません」
「その割に俺にはペラペラ喋ってるだろ」
「あなたはあなたの方から話しかけて来ましたし、魔術にも興味を持っていただいたようなので、特別です」
「そんな特別、全然嬉しくねぇ……」
クレストは頭を抱えた。戦で使うような魔術を、この訓練場で放つなと言いたいのだ。なのにわざとか無意識か、それの屁理屈で話が逸れていく。
「大丈夫です。廃れて久しいとは言え、ご先祖様が編み出した紅蓮の炎はきっと発動します!」
「ちょ、ちょっと待て! 不味いだろそれは!」
「いいえ、古書店から取り寄せた伝承を片っ端から読破し、研究したんです。理論上は発動するはずなんです! ご心配なく、炎が発動しなければ、目を焼く灼光があります! 私は負けません!」
「そういう問題じゃねえぇぇ!!」
クレストはそれの頭を殴り付けた。もう、説得だのなだめるだの、色々と面倒臭くなったのだ。
地面に倒れ込んだそれは、おずおずと顔を上げた。
「分かりました。誇り高き古の魔術を、おいそれと簡単に人目に触れさせるなということですね。あなたはなかなか魔術に対して敬意を持っているようです」
「あー、もうそれで良いから、さっさと隊長達の所まで行って辞退の申告をして来い」
「あなたとは初めてのお友達になれそうです。お友達の助言には従い、今回だけは頑張って話しかけてきます。」
「はいはい、頑張れ」
クレストが面倒臭そうに返事をすると、それが右手を差し出して来た。
「ルーゼン・バリオスです」
「……へ?」
「あなたは?」
「あ、あぁ。リュード・クレストだ」
戸惑いつつも、クレストもそれ、バリオスの右手を握り返した。
クレストが何だかバリオスに妙な勘違いをされたのではないかと気付いた頃には、もう彼の姿は遠く離れていた。
時系列がややこしくなってきました。
本編をじっくり読み返すと分かると思いますが、100話を超える長編なので、ここで解説します。
フォンスが行き倒れ、アメリスタが公国となったのは、本編より20年前です。
今回のクレストの回想は、それよりさらに5年前で、まだネスルズがアメリスタを疑いもせず、暢気にしていた頃で、一般国民同士は普通に地方と首都といった感覚でした。
アメリスタが公国になってからも、平和ボケしていたネスルズは、後のスパイであるルイージも簡単に入隊させてしまいますし、独立戦争を起こされるまでは、ネスルズは一方的に門を開いていた、という設定です。