金の狐と黒い熊(12)
軍の入隊試験で魔術、しかも上級術師が使うような防御魔術が発動した為、試験は一時休止された。ワイスが自らの周りを防御壁で覆って縮こまったまま、動こうとしないのだ。
彼の説得には、隊長の中で最も見た目に灰汁のないコートルが選ばれた。
「ワイス、もうマグワイル殿は近づいて来ない。儂と少し話をしよう」
コートルが出来る限り優しく語りかけるが、ワイスが顔を上げる気配はない。
「ううむ、声は中に届いているはずなのだがなぁ……おいおい、ちょっとこの壁を開けてくれんかな?」
「あの、宮廷術師になりたいと言っていたから、そっちに説得させれば……」
フォンスが困り果てたコートルに言った。
「そうか、無理矢理試験に送り込まれたクチか……時々こういう子が紛れ込むのだ。可哀想に。となると誰が適任だろうか」
コートルが見守っていた他の隊長達に問いかけると、1人が手を打った。
「それならこの間、最年少で筆頭術師候補になった者がいたぞ。街でも一躍有名になった彼なら、ワイスも知っていて心を開くやもしれん」
その案には皆頷いた。
最近行われた筆頭術師の候補を決める試験で、上級術師になって間もないにもかかわらず、前代未聞の満点で合格した者がいたのだ。筆頭術師候補第一位の期待株となった彼の噂は、王宮の壁を越えて市井を駆け巡った。しかし本人は自室に篭り研究に明け暮れるばかりで、人前には滅多に姿を見せず、それが逆にミステリアスだと、術師を目指す子供達には人気だった。
「ではクレスト、術師の詰所へ行って、早急にルーゼン・バリオスを貸して貰えるよう伝えてくれ」
「はい」
コートルの指示に返事をしたのは、案内の青年だった。
間もなくしてクレストが戻って来た。大きな革袋を担いで。中身がゴソゴソと蠢いているあたり、生き物が入っているのは一目瞭然だ。
「……クレスト、まさかとは思うが、それは……」
「そのまさかです。詰所で許可を貰って研究室へ迎えに行ったら、人見知りだから嫌だなどと言い出しやがりましてね。ドアを蹴破って連行したまでです。何か問題でも?」
冷や汗をかくコートルにしれっと答えたクレストは、蠢く革袋を地面に下ろした。
「あいたたた!」
袋の中から若い男の声がし、コートルはそれを聞いて頭を抱えた。
「ああああ! ただでさえ気難しい術師達なのに、強制連行など、いざこざを起こさんでくれ!」
「大丈夫です。バリオスとは同い年で、入隊試験で一緒でした。彼も今回のように無理矢理軍に入れられそうになった、云わばワイスの先輩ですから、話し合えるはずですよっ……と!」
クレストはそう言って革袋をひっくり返した。
ドサッという音と共に出て来たのは、20歳そこそこと見られる青年だった。見た目にこれと言った特徴はなく、敢えて言えば期待の人材には全く見えないような存在感の無さが特徴か。下ろされた時に打ったであろう腰をさすっている。
「クレスト君、私が人見知りで研究室に篭っているのはご存知でしょう? 特に子供は苦手なのです」
「可愛い女の子なら優しくしてやるがな、大の男に懇願されたところで殴りたくなるだけだ。つべこべ言わずにさっさと説得しろ。試験が中断して時間がないん……っだ!」
クレストにワイスの壁の手前まで蹴り出されたバリオスは、恨めしそうに振り返ったが、すぐに諦めて向き直った。
「ほぉ、荒削りですが、専門の教育を受けていない子供が自己流でこれだけの防御壁を……なかなか大したものです」
一通り壁を見たバリオスはしゃがみこんで語りかけた。
「もしもーし、あのですねぇ、なんと言いましょうかー、そのぉ……」
バリオスは本当に人見知りのようで、きっかけを掴みあぐねていた。
「うーん、やはり子供は苦手ですね。どうしましょうかねぇ。取り敢えずこの壁がなければ何とかなる……ということで……大地の天鵞絨、全てを退け!」
ゴヴヴゥヴゥゥヴヴ!
しゃがみながら言ったバリオスの前に緑の壁が現れ、それがワイスのものと触れ合うと、今までとは違った音が鳴り響いた。壁と壁が反発し、軋み、せめぎ合う。得体の知れない何かを削ぐような耳障りな音に、バリオスとワイス以外は顔をしかめた。
やがて、パンッという軽い音と共に、ワイスの壁がバリオスのそれに押し潰される形で弾け、同時にワイスがぶっ飛んだ。
「あ……っぶねぇ!」
高々と舞い上がったワイスを、地面激突直前にクレストが受け止めた。
「こらバリオス! お前、説得しろっつったのに、あのその呻いただけで無理矢理潰してんじゃねぇか! 有名人になったお前を連れて来た意味がねぇだろうがっ!」
相当焦ったらのか、今まで飄々としていたクレストが、声を荒げて叫んだ。
「私は自分が有名とか、そんなのどうでもいいです。人見知りなので、筆頭術師になるべくただ静かに引き篭ってたいだけです。ですが、この少年はかなり筋がいい。何とか仲良くなって部下にしたいものです。クレスト君、彼に私のことを良いように紹介しておいて下さいね」
「自分でやれよ……」
クレストは力なく呟いた。