金の狐と黒い熊(11)
受験者達が痺れを切らしてイライラし出した頃、ようやくマグワイルは訓練場へとやって来た。今回は特に遅かったようで、別の隊長の中にも非難がましい視線を投げかける者もいた。
「……えー、時間が少し押してしまっているので、挨拶等は省いて今から入隊試験を執り行う」
コートルが困ったように髭を擦りながら言った。いよいよ試験が始まるのである。受験者全員の表情が引き締まる。
「では最初の受験者は……アレクグレイヤー・ワイス!」
「ひょっ、ひょえぇ!?」
まさか一番に呼ばれるとは思っていなかったワイスは、素っ頓狂な声を上げた。
「お前の両親、かなり気合入れて申し込んだんだな……」
フォンスが気の毒そうに言ったが、当のワイスはワナワナ震えながら指をいじっているだけで動こうとしない。
「ん? アレクグレイヤー・ワイス! 中央へ出なさい」
コートルが首を傾げて再度呼んだ。同時にマグワイルが一歩踏み出す。
「おい、やばいぞ。早くしないとあのでかい隊長が出てくるんじゃなかったか?」
フォンスがワイスの背中を叩いた。そう、ちゃんと希望を伝えないと、強制的にマグワイルと戦わせられるのだ。
「はっ、はいぃ!」
ワイスは裏返った声で返事をし、転がるように中央へ出た。だがマグワイルはもう一歩踏み出した。
「ア、アアアアアレクグレイヤー・ワワワイス……ですぅっ! 希望は……希望は……ひいぃ!!」
マグワイルの足は止まらない。彼にとっては、ワイスの声はまだまだ小さいのだ。
「き、希望はき、宮廷術師なんです! だ、だ、だから戦えません!」
ワイスは両手の指を高速でいじり、しかしマグワイルの顔を直視することができず、キョロキョロしながら訴えた。
「何を言っているのかよく聞こえんぞ!? 」
「きひぃ!」
耳の穴をかっぽじって、尚もマグワイルは止まらない。怒鳴っていなくても十分威圧感のあるその声に、ワイスは頭を抱えて地面に縮こまった。
ワイスの声は通りにくかったのだ。掠れている上にか細い。そしてどもる。マグワイルでなくても、入口付近にいたフォンス達も同様に、何を言っているのか耳を澄まさなければ聞き取れなかった。
次第に他の受験者達がざわつき始めた。皆既にマグワイルの鉄拳がどれ程のものなのか目の当たりにしている。あれをワイスのような小柄な少年が食らったらどんな惨事になるのか。口々にそんなことを呟きだした。
「ワイス……っ!?」
堪りかねて駆け寄ろうとしたフォンスの腕を、誰かが掴んで止めた。振り返ると、そこにいたのはいつの間にか隣に移動していた案内の青年。
「出て行ったら、お前も即失格だぞ」
「でもあれじゃ……」
「ここで庇うのは、あの坊主がろくに意思表示もできない人間だと言ってるのと同じになる。そういうレッテルを貼られてしまうんだ。それでもお前が自己満足で助けに行くと言うなら止めんがな」
さっきまで飄々(ひょうひょう)としていた青年の視線が打って変わって真剣だった為、フォンスは何も言えずに唇を噛んだ。
一方、ワイスとマグワイルの距離は、着実に縮まっていた。
「戦えません…戦えません……」
「さっきより声が小さくなっているぞ!」
「戦えません……戦えません…戦えませ……戦えま……たかえ……か…」
言われれば言われるほどワイスの声は小さくなり、やがて本当にを言っているのか、誰にも聞こえなくなった。
「餓鬼が声くらいろくに出せんでどうするんだ!!」
忍耐の切れたマグワイルが至近距離で怒鳴りつけた。すると突然、ワイスが顔を勢いよく上げた。彼の目は見開かれ、白目は充血し、瞳孔も開いている。そして口だけがパクパクと動いていた。
「時間切れだ!」
マグワイルがワイスを掴み上げようと、その小さな胸ぐらへ手を伸ばした瞬間……
「……の……ード、全てを退け!」
悲鳴に近い最後の言葉だけが訓練場に響き、ワイスとマグワイルの手の間に突如、緑色の壁が現れた。
ゴウゥゥゥン……
不思議な音が鳴った刹那、マグワイルの巨体が宙を舞い、地面を転がって壁に激突した。
「マグワイル殿!」
それまで静観していた他の隊長達が駆け寄る。マグワイルはすぐに起き上がったが、自分の状況を飲み込みかねていた。
試験官達が混乱している隙に、未だ目を見開いたまま固まっているワイスの所へ、黒熊の少年が近づいた。
「おい、これって何なんだ?」
黒熊が話しかけると、ワイスは一瞬ビクリと震え、緑の壁の中で再び頭を覆い縮こまった。
「おーい、触るぞー」
そう言って黒熊は拳を振り上げた。
ゴウゥゥゥゥゥン……
拳が当たると同時に、マグワイル同様、黒熊も吹っ飛んだ。転がって起き上がった彼は、興味深そうに己の拳を眺めた。
すると、他の少年達もわらわらとワイスの周りに集まりだした。
「もうやめてやれよ!」
今度こそ我慢できないと、フォンスも駆け寄る。少年達の手を遮ろうとした時、フォンスの身体が壁に触れた。
ゴウゥゥゥゥゥン……
「ぐっ!」
三たびの不思議な音と同時に、フォンスの身体に壁の外側へ向かって、強い力がかかった。そして他の少年たちも巻き込み、皆一斉に吹き飛んだ。
「おお、よく飛んだなぁ」
少年達の行動を黙って見ていた案内の青年は、暢気に呟いた。
黒熊さん、それは触るんじゃなくて、殴ってるんですけど…というツッコミが聞こえます。