金の狐と黒い熊(7)
試験の前日。
フォンスはコートルに連れられ、豪華絢爛な屋敷に来ていた。戸籍を用意したカルル・トリードの屋敷である。
「戸籍は試験の申請時に使うだけで、儂がトリード殿から受け取るだけでも良かったのだがな。彼は大臣の中でも力がある。お前が知り合っておいて、損はないだろう」
執事の案内で通された客室で、コートルは言った。この部屋も、外観と同じく立派な造りだ。フォンスは未知の手触りのソファに面食らい、所狭しと飾られている美しい置物達に気を取られ、コートルの話など全く頭に入ってこなかった。
しばらくして入ってきたのは、やけに腹の突き出た男。栗色の癖毛を綺麗に刈り揃えているが、つむじの辺りがやや心寂しい。目も鼻も口も、嫌味なく上品な形で、良くも悪くも「貴族です」「良いもの食べてます」と顔に書いてあるかのようだ。
「待たせたな、コートル殿。貴殿が我が屋敷に来るのは何年ぶりであるか」
「学院時代以来だ。相変わらずの趣味だな。だがその話は後だ。今日は例の少年も連れてきたのだ」
ソファから立ち上がってトリードを迎えたコートルは、同時に立ち上がったフォンスを紹介した。
「彼がフォンス・ダントー……」
「おおおおおっ! なんと……なんと愛らしい!」
コートルの話を皆まで聞かず、トリードはフォンスに駆け寄った。刹那、フォンスの目つきが鋭く光る。興奮したトリードはそれに気付かず、両手を差し伸ばし……
「やめろフォンス!!」
間を入れずコートルが叫ぶと、フォンスは憮然とした顔で動きを止めた。
トリードの腕は、不自然な形に捻り上げられようとする、まさに直前だった。捻られそうになっているトリード本人は、一瞬の出来事に目をしばしば瞬かせ、ポカンとしていた。
「な、なんだ? 何がどうなった?」
「トリード殿……いい加減好みのものに飛びつく癖は治していただきたい。人形ならまだしも、人間相手ではいつかそのうち犯罪者にされてしまうぞ」
自分の状況を理解しあぐねているトリードに、コートルは呆れ顔で言った。
「とりあえずコートル殿、この体勢はちぃときつい。何とかしてくれんか」
「自業自得だ。……だがそれでは話しにくいか。フォンス、彼は愛玩癖が多少人より変態傾向にあるだけだ。攻撃したわけじゃない」
「誤解を招く言い方はやめてくれ。私は変態ではない。好意表現が大きすぎて抑えられない、ただの不器用な男だ」
「貴族的にはそうでも、世間一般ではそれを変態と呼ぶ。フォンス、いいから離してやりなさい。戸籍を取ってくれたのは彼だぞ」
コートルに言われ、フォンスは渋々トリードを開放した。
「納得してない顔だな、フォンス」
「……いえ、恩人とは知らず、失礼しました」
いきなり腹を揺らした男に飛びつかれ、挙句に愛らしいとまで言われたフォンスは、狩人としての自尊心を傷付けられた気分だったが、戸籍を取った人物となれば、下手なことは言えないと唇を噛んだ。
「よいよい、私が不躾だった。ちゃんと前置きをするべきだったのだ。その金に輝く髪を触らせてくれぬか?」
冷や汗をかきながらも、全く堪えていない様子のトリードが言った。あくまでも自分の趣味を変態的だとは思わないらしい。
「髪を?」
フォンスが聞くと、トリードはにんまりと笑って大きく頷いた。
「そうだ。白く透ける肌、輝く髪、空を映したような瞳、まるで天使のようではないか。私は非公式団体"愛らしいものを愛でる会"通称"愛愛会"の会長なのだ。因みに副会長は妻とコートル夫人なのだよ」
それを聞いてフォンスは、以前ライラが白熊の敷物が可愛くて気に入っていると話していたのを思い出し、うんざりした。
「フォンス、言いたいことがあるなら言っておけ」
「いえでも……」
コートルが助け舟を出したが、トリードは一応恩人の一人であり、これからも世話になることがあるかもしれない人物だ。フォンスは言うのをためらった。
するとコートルは、真面目な顔でフォンスの肩に手を置いた。
「あのなフォンス、前も言ったが、お前の立場はなめられたら終いなのだ。恩のために萎縮して下手に遜ると、一生這い上がれなくなる。礼儀と隷属を間違えるな。まずこのトリード殿で練習してみろ。なに、彼はこう見えても理解のある人間だ。振られたところで敵に回るような小さい器ではない」
「……随分な言い方ではないか、コートル殿。遠まわしに貶されているようにしか聞こえんが」
トリードが横から文句を言っていたが、コートルの言葉はフォンスの心にスッと染み入った。そして色々言いたいことはたくさんあったが、最小限にまとめ、口を開いた。
「トリード様」
「な、なんだ、トリード様なんて照れるではないか」
「戸籍を取っていただき、ありがとうございました。ですが……愛らしいという言葉、次言ったら折る」
「お、折る!? 何を折るのだ!?」
後半の殺気を帯びたセリフに怯えだしたトリードを見て、コートルは笑い出した。
「はーっはっはっは! むやみに触ろうとするその手を折るに決まっているだろう!」
「そ……そんなぁ!」
豪華絢爛な屋敷に、コートルの大きな笑い声はしばらくこだまし続けた。
コートルの「恩のために萎縮して下手に遜ると、一生這い上がれなくなる」という言葉は、「馴れ馴れしい奴ほど怪しいもの(5)」に出てきます。この時のことをフォンスはずっと胸に留めていたのです。