金の狐と黒い熊(4)
財務大臣の執務室にて。この部屋の主は、代々エンダストリアの財務大臣を務めるトリード家の出世頭、カルル・トリードである。いかにも甘やかされた貴族の長男坊といった見た目に反して、仕事では有能だった彼は、瞬く間に昇進し、異例の若さで父親から大臣の座を譲り受けた。
そんな彼は今、軍の第3隊隊長コートルと向かい合い、ピカピカに磨かれた執務机の上で頭を抱えていた。
「……これはまたとんでもない話を持ち込んでくれたな、コートル殿」
「そう言うな。見捨てるわけにはいかんだろう。戸籍に手の出せる地位があり、尚且つスカルを悪く思っておらん貴族の中で、儂に伝手があるのは貴殿だけなのだ」
しかめっ面のトリードの睨みなどどこ吹く風、コートルは口髭を一撫でして飄々と言ってのけた。
彼らは国立学院時代からの仲だった。年はコートルが上だが身分はトリードの方が上である。一見関わることもないまま卒院しそうだが、ペンとフォークより重い物を持ったことのない政務科のトリードが、街で年端も行かない子供に恐喝されそうになっていたところを、軍務科のコートルがたまたま見かけて助けたことをきっかけに、親しく話すようになったのだ。正反対の二人だったが、お互いに欠けている部分を補い合い、良い友人関係は今も続いている。
「しかしだな、ただ戸籍を出す、というわけにはいかんのだ。婚姻や就労等、ネスルズが発行する何かしらの目的が要る。婚姻はネスルズに相手がおらねば無理だ。残るは就労だが……仮に私の許可で戸籍を出すことはできても、後になって申請通りかどうか監査員が調査に来る。そこまでは私も手が回せん。実際に就労先を見つけて働かねばならん」
「ならどこか貴殿の息のかかっている所を紹介してくれ」
さも涼しげに言うコートルに、トリードは彼ご自慢の口髭を引っこ抜いてやるために、この筋肉のない腕を日々鍛えておけば良かったと、初めて後悔した。
「私の管轄を舐めてはおらんか? 就労試験には政務科で学ぶ知識が要るのだぞ。学院に通っておらんスカルの少年が、一朝一夕で合格できるものではない。私の采配で合格させても、逆に言えばそれだけ不正が行い易く、実力が周りに見えにくいのだ。正規で受かった者達から反感を買って、居づらくなるだろう。それを言うなら合否を剣の腕で決める貴殿の管轄の方が良いではないか」
「うむ……確かに学院卒以外の者が入隊するには丁度良い年齢だ。しかし軍にはスカルを快く思っていない庶民出身が多くいる。貴族より素直に感情を態度へ出す。うちの小間使いなど、朝食を運んでおけと指示したら、顔をへし曲げて嫌がったぞ。問題が起こる可能性が高いのはこちらも同じだ」
するとトリードはそれまで頭を抱えていた手を解くと、胸の前でポンと打った。
「おおそうだ! 貴殿の小間使いに雇えば良いではないか」
名案とばかりに言うトリードを、コートルは目を細めて鼻を鳴らした。
「ふんっ……、話をちゃんと聞いておられたか? トリード殿。食事を運んでやるのでさえ盛大に渋ったうちの小間使いが、監査員が来るまで先輩として、まともに館のことをフォンスに教えてやるとは到底思えん」
「そ、そうであるな……庶民の偏見は未だ根強かったな」
結局その日は、就労目的で戸籍を取得させるということ以外は何も決まらず、お互いフォンスの働き口を探すということで解散と相成った。
帰宅したコートルは、休む間もなく女中のアリーヤから苦情を申し立てられていた。
「旦那様、困りますよ! 奥様がスカル人に大事な大事なお坊ちゃまの世話を任せようとされてるんです!」
「そうなのか?」
意外な展開にコートルが驚いて聞き返すと、アリーヤは更に息巻いてまくし立てた。
「そうでございますよ! 私めが買出しに行っている隙に、一体どうやって奥様に取り入ったんだか。とにかく、帰った時にお坊ちゃまのオムツを取り替えていて、危うく悲鳴を上げそうになりましたわ! 聞けば奥様に頼まれたと言うから確認に上がりましたら、奥様も確かに頼んだと……ああもう何てこと! 旦那様から説得していただけませんか!?」
「そう言うがな、お前も以前女中の仕事と乳母の仕事の兼任は、腰にくるとこぼしていただろう? あの子が子守をするなら、助かるんじゃないのか」
「問題はそこではありませんわ! コートル家のご長男がスカル人に世話をされるなんて……私は恥ずかしくて街を歩けません! あぁ本当に、何てことでしょう……」
アリーヤはモルドランの母親だ。親子そろってスカル人が気に入らないらしい。この分だと庭師である父親も同じだろう。普段は気の利く優秀な一家だ。しかし人間、どうしても譲れないこともあるのか。根強い不信感は、雇い主が強制したところで拭えるものではない。アリーヤ達は"嫌なスカル人"の噂は聞いても、"良いスカル人"というものを見たことも聞いたこともないからだ。これは彼らにとってスカル人第一号であるフォンスが、地道に信頼を得ていかなければ解決しない問題なのだ。またその逆も然り。
顔を覆ってうな垂れるアリーヤを尻目に、コートルはそっとため息をついた。
「まあまあ落ち着け、アリーヤ。ライラが彼と話して任せようと思ったのなら、少し様子を見てもいいではないか。あれもぼんやりした性格だが、一応人を見る目もある。儂もフォンスと会話したが、親思いの普通の少年だったぞ」
「……様子見、でございますか。旦那様がおっしゃるならこれ以上何も申し上げません。でも様子を見るだけでございますからね。スカル人に任せるくらいなら、このアリーヤが腰が砕けようともお坊ちゃまをお育ていたしますわ!」
「腰が砕ける……大袈裟な」
コートルが先程懸念した通り、フォンスを小間使いとして雇うには、分厚い壁が立ちはだかっていたのだった。
※国立学院は18歳で卒院です。主に貴族や金持ちの一般市民が通うものです。軍務科は将来の幹部候補として卒院後入隊します。
ただし軍隊は実力で成り上がることもできるので、学院に通っていない庶民が入隊する場合は15歳から入隊試験が受けられます。最初のうちは余程のことがない限り先に入った者から順に階級が上がるため、入隊希望の庶民は大抵15歳になった時点ですぐに試験を受けます。