人とは矛盾するもの(1)
結婚か…。
長い人生で一度くらいはしときなさいよ、と半ば諦め気味に母親が言ったのは耳に新しい。
向こうの世界じゃ親が呆れるくらいご縁がなかったのに、うるさい親のいないこの世界ではたった一日でできてしまうのだから、人生は何とも皮肉なものである。
確か10人以上はいたはずの独身飲み仲間は、年々一人減り二人減り、今じゃ私を含めて3人…いや、こないだまた一人減ったから2人か。こっちで結婚したって誰も祝ってくれない。まあ、ダントールさんの言い方からして、完璧な偽装結婚だから、祝われても困るけど。
エンダストリアって偽装結婚はOKなのだろうか。国王様の前で堂々と「紙面上のこと」って言ってしまってたけど、それで良いのか?日本じゃこの手の外国人がけっこう捕まってるぞ。書庫に入るのには身分だの戸籍だのうるさかったくせに、変なとこで緩いんだな。
トニーに何て説明しよう。結婚とか愛とかについてあんなに語ってくれたのに、それを聞いて賞賛した二人がそのあとすぐに偽装結婚したなんて。純粋な男の子の気持ちを傷つけてしまわないか、お姉さんとても心配だよ。召喚のことは言ってないから、今回は特殊なケースなんだって説明もできやしないし、ダントールさんとは恋仲じゃないって最初に言っちゃったから、愛し合って結婚しますなんて嘘も付けない。下手に事情を知らない友達を作るんじゃなかったかな。こればっかりはダントールさんと相談しなきゃ。トニーは彼の部下なんだから。
その日の夕食もトニーが運んでくれたが、結婚のことは言わなかった。
トニーが帰った後、ダントールさんがやって来て、明日には必要書類が整うと言った。本当に仕事が速い。謁見の間でぽっちゃり大臣が一瞬渋った気持ちも分かる。はっきり言って、私とダントールさんじゃ吊り合わない。地位が高くて仕事ができて、誠実で優しくて頼りになる。向こうの世界ではお目にかかったことのない超優良物件だ。もっと若い内に私よりイイ女に捕まっててもおかしくない。
「本当に良いんですか?」
確かめずにはいられない。
「何がだ?」
本人は全く気にしていない様子。少しは気にして欲しい。
「私が帰る方法を探している間…どれくらいの期間になるかわかりませんけど、その間もしダントールさんに好きな人ができても結婚できないんですよ?まさか重婚OKとかじゃないですよね?」
「エンダストリアで重婚は認められていないよ」
ダントールさんは苦笑しながら言った。
「それにな、サヤ。私は元々一生結婚する気はなかったんだ」
「何故…と聞いてもいいですか?」
「…そうだな。妻となる君には話しておこうか。エンダストリアの北端にはスカルという地方がある。」
「はい、トニーが言ってました。ダントールさんみたいな容姿の人がいるって」
「そうか。トニーは何故ここネスルズにスカルの者がいないか言っていたか?」
もしかして、ちょっとだけ気になってたダントールさんの容姿のことが聞けるのだろうか。
「ええと、気温が合わないとか言ってたと思います」
「ああ、そうだ。表向きはな」
「本当は違うんですか?」
ややこしい話になりそうだ。ラテン系と北欧系。民族的に違うのは明らかだ。なのに今は同じ国。スカルは昔違う国だったのだろうか。
「エンダストリアが建国された時、スカルは国の中には入っておらず、北端で狩猟をする少数民族だった。勢いに乗っていたエンダストリアは、領地を増やすためにスカル地方を取り込んだ。まあ、狩猟用の武器しか持たない民族に抵抗などできなかったから、当時のスカルの族長は戦わず降伏し、話し合いでエンダストリア領になることを了承した。元々雪と獣以外何も無い土地だったため、エンダストリアがスカルから略奪行為を行うことはなかった。だから関係はそう悪いものではなかったんだ。そして、発展しているエンダストリアの文明に興味を持った一部のスカル人は、ネスルズまでやってきた。しかし、容姿が違うことと、無知な田舎者だったことが災いして、差別を受けてしまったんだ。暮らしにくくなったネスルズから次第に引き上げていき、とうとう一人もいなくなった」
そうだったのか。よく考えりゃ、暑いからとか、そんな理由だけでダントールさん以外一人もいないなんておかしな話だ。
「ここから何故私だけがネスルズにいるのかという話になるのだが、20年前、私がまだスカルにいた頃、母親が風邪をこじらせた。薬は以前ネスルズから引き上げてきた者が持ち帰った予備を集落皆で分け合っていたのだが、ちょうど在庫が切れてしまったんだ。15だった私は、薬を買いにネスルズへ行った。何とか薬を手に入れ、帰ろうと言う時に、アメリスタが公国となった。途端にスカルへの道が簡単には通れなくなり、おまけにスカル人はエンダストリアに戸籍の届出など行ってなかったために、身元の証明できない私は帰れなくなってしまったんだ」
「通してもらえなかったんですか?」
「ああ、運が悪かった。それに今もスカルの者は戸籍が無いから通れないんだ。私は生活のため軍に入り、その時に戸籍を取ったが、かなり苦労したよ。戸籍を取ってからも下級兵士はすぐには帰郷できない。一時帰郷するのに12年かかった。風邪をこじらせていた母親は既に亡くなっていた」
「そんな…」
ダントールさんはそこで一端話を区切り、思わず眉を歪ませた私を見て、ふっと笑った。
「そんな顔をしないでくれ。同情してほしくて話したんじゃない。私はいつまでも昔の不遇を悲しんだり文句を言ったりするつもりはない。運が悪かった、と言っただろう?母親が風邪をこじらせたのも、薬の在庫が切れたのも、アメリスタが公国となったのも、私が帰れなくなったのも。全て偶然が重なったんだ。誰が悪いわけでもない」
「それで全て納得、できてるんですか?」
ダントールさんの話を聞く前までは、彼はもう少し熱血というか、正義感が強く熱い人だと思っていた。勿論、真面目だし正義感は強いのだろうけど、今は何と言うか、人生悟って自分のことを諦めた感が垣間見える。
「納得か…。そうだな。納得しないと生きていけない。君にはまだそういう経験はないかい?」
「…どんなに努力しても何をしても、どうにもならないことがある、というのは分かります。でも私はそれが分かっても…納得できなくて、今悪あがきしてるんです」
この世界に来て、訳分かんなくて、とりあえず必死になってみて、まだ人生を諦めたくないと思った。現実逃避したがってた元の世界では、きっと味わえなかった気持ちだ。
「そうか、悪あがきか…。私は随分とあがいていないな。…話がそれてしまった。私が一生結婚しないつもりだった理由、だな」
「はい……」
「軍である程度の地位を得てから、上層部では私がスカル出身であることをとやかく言う者は少なくなった。だが、他はそうでないことが多い。特に結婚となると、女性は尻込みしてしまうようだ。例え女性本人が気にしなくても、家が反対する。この歳になると、そんなことが何度かあってな。君の言う"悪あがき"をする気も起こらなくなったんだ。こんなことなら結婚自体しないと思った方が楽だ、とな」
ダントールさんは遠い目をして言った。ご縁はあがきようがない。努力して地位を得ても、何度も出身のことで破談になれば諦めたくもなるか。
「長い話になってしまったが、そういう訳だから、サヤは私の結婚の心配をする必要はないし、戸籍を利用してくれて構わない。君はまだ悪あがきするんだろう?」
「ええ、そうです。あがきますよ。それからダントールさん」
出身で損をしてきた彼に、これだけは言っておかなきゃ。
「上層部以外は出身のこと気にする人が多いって思ってるようですけど、トニーはダントールさんのこと大好きなんですって」
「そ、そうなのか?ハッハッハッ!変わってるな、彼は」
「変わってませんよ。出身じゃなく、ちゃんとあなたの人柄を見て憧れてるって言ってましたから」
「そうか…そう言ってくれる部下がいるとは。何だか照れ臭いな」
ダントールさんはそれからしばらく嬉しそうに笑っていた。