I'm not a mountain hermit!!(2)
トリード殿の話を聞いてから、俺は迷いを持ったまま、王宮では努めて普段通りに振る舞い、家に帰ると抜け殻のような毎日を送った。朝食は動くために詰め込むが、晩は静まり返った家で食欲が湧く訳もなく、食べずに寝ることの方が多かった。
そんなある日、いつものように居間でぼうっとしていると、玄関扉がノックされた。一体誰だろう。ラビートはあの日から話し掛けて来ないし、他に訪ねて来るような者は思い当たらない。
首を傾げながら扉を開けると、よく見知った部下がいた。
「ヴァーレイ……」
「司令官、夕食…一緒にいかがですか?姉さんの店で、たくさん持たされたんです」
そう言った彼は、布巾をかぶせた大きな籠を抱えていた。
「夕食…私とか?」
「ええ、そうです。失礼します」
ヴァーレイは俺の返事を待たずに家の中へ入って行った。
勝手知ったるかのように台所に入り、彼が籠から出した鍋に入っていたのは、見たことはないが、どこか懐かしいと思わせる料理だった。
「これは?」
「姉さんの店の新メニューです。今一番注文が出るらしいですよ」
それは何か白いものを、潰した黄色いカットラで煮たものだった。よく見ると細かくした肉も入っている。他にもサラダやパン等、一通り入っていて、テーブルには久しぶりにまともな食事が並んだ。
「その白いやつ、トーフっていうニホンの食べ物らしいです。普通は生で食べるカットラを潰して一緒に煮たら、けっこう美味いでしょう?」
「…ああ、そうだな」
サヤはカットラとスパイスで、タリや肉を煮込んだりソースにしたり、色々試していた。トーフというものは初めてだが、味付けは口に馴染んだものだ。
「……、懐かしいですか?司令官」
「何だ?」
「新メニューは、アメリスタに行く途中、姉さんがサヤに聞いた味付けをヒントに作ったものです。サラダのドレッシングだって、ナットーに絡めて食べたことあるでしょう?」
そういうことだったのか。何故サヤがいないのに、彼女の独特な味付けがここにあるのか不思議だったのだ。
「そうか、道理で……。彼女の味によく似ている」
思わず顔が綻んで、もう一口大きく頬張ると、ヴァーレイが食事の手を止めた。
「コートル司令官長が、心配していましたよ。あなたが痩せたって」
「…痩せたか?」
自分では気付かなかった。食べる量は減ったかもしれないが、以前と同じように体は動くから、変わっていないと思っていた。
「痩せましたよ。皆言ってます。司令官長なんて、わざとらしくぼ…、私のところをウロウロして"また痩せた。ちゃんと食っているのか…"って呟いてるくらいです」
「君に迷惑をかけてしまったか?すまない」
「迷惑なら、ここに食事を運んだりしません」
彼は止めていた手を再び動かし始めた。
黙々と続けた食事を終えた時、ヴァーレイはぽつりと言った。
「司令官、変わりましたね。」
「変わった?普段と変わらんと思うが…」
「変わったというか、戻ったって感じですね。サヤが来る前みたいに、近寄り難くなりました」
元より人が自然と寄ってくるような性格ではないことは自覚しているが、サヤがいた頃はそうではなかったと言いたいのだろうか。
「そうか?自分ではずっと同じ態度で皆と接してきたと思うが…」
「司令官が仕事をする上で態度を変えるとは思ってませんよ。雰囲気の話です。サヤがいた時は、何となく穏やかで、こうやって部下の私が一緒に食事をしたいと思える雰囲気がありました」
「今は違うのか?」
聞くとヴァーレイは苦笑して首を傾げた。
「……今日誘うのは、ちょっと勇気が要りました。夜、急に家まで押しかけて、こんな砕けた話し方をするなんて、以前はとてもできなかった。その頃の雰囲気に、戻ってしまったように思えます」
「それで、またサヤがいた頃のようになって欲しいと?悪いが無理だな。無意識の変化だったし、変えてくれたサヤはもういない」
すると急にヴァーレイが真顔になって、睨み付けてきた。良い目だ、と思った。彼は普段は人の良い、優しい少年だが、任務や訓練になると豹変する。俺は彼のそういうところを高く評価していた。
「そこが解せない。私は、あなたに憧れて軍に入り、今も尊敬しています。だけど…、サヤを追い返すように手放したことだけは、どうしても理解できないんです」
「彼女は元々この世界にいるはずのない人間だ。元の世界に帰った方が幸せだろう」
「サヤの幸せを、何で司令官が決めるんですか!」
ヴァーレイは声を荒げた後、はっと我に返り、「申し訳ありません…」と小さく謝った。
「いや、…そうだな。サヤにも同じようなことを言われたよ」
苦笑するしかなかった。ヴァーレイとサヤは気が合うようで、仲が良かった。結局一緒に暮らしていた俺より、彼の方がサヤを理解していたのかもしれない。
「司令官は…、いえ、司令官もサヤのこと、好きだったんですよね?」
「……」
「私に遠慮する必要はありませんよ。実は、とっくに振られてますから」
ヴァーレイはテーブルの上で組んだ指を固く握りしめた。それを見て、若い彼が羨ましいと思った。もし俺が彼と同じくらいの年の時にサヤと出会っていれば、何も迷わず気持ちをぶつけられていたかもしれない。
「サヤは、あなたのために向こうの世界を捨てる覚悟で、命を懸けてアメリスタに行った。それなのにあなたは、彼女を受け入れる覚悟を放棄した。私は覚悟を決めていましたよ。サヤのためならどんな苦しい戦地に行こうが絶対に死なない、絶対に幸せにしてみせるって、神の前で誓う覚悟を。それでもサヤは、あなたがいいって言ったんだ…。悔しい…、悔しいですよ。振られても、サヤが好きな人と幸せになるのならまだ納得できるけど、向こうにいた方が幸せになれるって、勝手に決められて追い返されるなんて…!」
堪えるように体を震わせながら俯く彼は、今にも泣き出しそうな声をしていた。
「幸せを決めつけたつもりじゃない。幸せになれる可能性が高いと思ったんだ。サヤはまだ若い。こんな年の離れた男にこだわらずとも、今後良い相手はいくらでも見つけられるだろう」
半ば自嘲するように言うと、ヴァーレイは呆れたような表情で顔を上げた。
*カットラはサヤが黄色のトマトもどきと言っていた野菜です。リリーの新メニューは、豆腐とミンチをカットラで煮てスパイシーにした、変わり麻婆豆腐みたいな感じの料理です。