I'm not a mountain hermit!!(1)
番外編第2弾は、一人称フォンス視点です。
サヤのいない1ヶ月間の葛藤のお話です。
始まりは、「難関な過程でも結果は単純なもの(8)」の後からです。
サヤが異界へ帰ったその日、俺は誰もいない居間で独り、明かりも点けずに、ただただ何もせず座っていた。食欲は、全くない。
彼女と共に住むようになってから、この家の中は随分賑やかで、温かくなった。置いてあっただけのテーブルには小花柄のクロスが敷かれ、窓際にある花瓶には、まるで彼女の笑顔を思わせるように可憐な花が、いつも活けられていた。
台所には調理器具や食材、スパイス類がきちんと仕舞われ、目を閉じると、今もそこで彼女が夕食を作っているかのような錯覚に捕われる。コートル殿には以前、「太ったか?」と言われたくらいだ。もう、彼女にすっかり餌付けられたようなものだ。
「サヤ……」
名前を呟くと、あの鈴のような声で返事が来やしないかと耳を澄ませては、そんな情けない自分に失笑した。
ふと居間の隅に置かれた、馬鹿でかいうさぎが目に入った。サヤはあれを"ディクうさ"と名付けて、たまに八つ当たっていた。たいていはラビートに何か気に食わないことを言われた時だ。
「あいつは一体どういうつもりなんだ」
声に出すと、余計に腹が立った。普段からサヤのことを"小娘、小娘"と言って突っ掛かっていたくせに、今日のラビートは少しおかしかった。気安く彼女の頬に触れ、俺に喧嘩を売る時は雄の目をしていた。
「添え膳も食えんだと…!食いたくても食うわけにはいかん俺の葛藤など、知りもしないくせにっ…」
うさぎの胸倉を掴んで持ち上げると、その間抜けな顔をした頭がクテン、と傾いた。物言わぬ人形にまで馬鹿にされた気分になり、俺はうさぎを乱暴に元の位置に戻すと、込み上げる空しさを堪えて、2階の寝室に移動した。
2つ並んだベッド。サヤがキートの怖い夢を見て眠れないからと、一緒に寝るようになった。
この世界に召喚されてから、最初の内こそ王宮で涙を少し見せたが、この家に移ってからは、努めて明るく振る舞い、逆に俺が悩んだ時は励ましてくれた。そんな彼女が泣いて震えて俺を頼った時、不謹慎ながらも嬉しいと思ったものだ。
俺が理性と戦っている隣で、何も知らずに眠る愛しい唇に、そっと口づけたことが何度かあった。そうすることで、束の間だけ満たされ、だがすぐに己の弱さを恥じた。
そして今日、彼女が初めて自分から唇を寄せてくれた。これほど官能的で悲しい口づけなどないだろう。彼女は「酷い人ね」と言って走り去った。とうとう本当に、愛想を尽かしたのかもしれない。そう思うと、心臓が締め付けられた。こんな経験は、初めてだ。
手前にある自分のベッドに腰掛け、俺はサヤの痕跡を探そうと、彼女のベッドに手を伸ばした。
「…何か、入っているのか?」
サヤのベッドの枕が、異様に膨らんでいることに気付き、毛布をめくる。
「これ、は…っ!」
現れたのは、くすんだ紺色の、暖かそうな上着だった。中に綿が入っているのだろう、フワフワしている。袖がないから、部屋で寒い時にさっと着れそうだ。スカルのことを考えて作ったのだろうか。
手に取って広げると、カードがヒラリと落ちた。そこに書かれた文字を見て、俺は目眩を覚えた。
"チャンスは一度だけ"
サヤは俺がこんなになることを予想していたのか?
「サヤ…!サヤ、サヤ!」
何度も名前を呼んで、上着を抱きしめた。少しだけ、彼女の匂いがしたような気がした。
碌に眠れず、重い身体を引きずって王宮へ行くと、トリード殿に呼ばれた。彼が最近スカルへよく行き、友好関係を結ぶため、観光地の開発をしているらしい、という噂は耳にしていた。
「寝ておらんのか?」
開口一番、そう言われた。俺の目の下に隈でも出来ているのだろうか。何もする気が起きなくて、鏡も見ずに来たからな。
「いえ、まあ……少しは」
「嘘をつくな。私は貴殿のことを20年も前から観察しておるのだぞ。下手な隠し立てなどすぐ見抜けるわ」
「……」
"観察"していたのか。見守るのではなく……。
「ふんっ、まあいい。昨日スカルのことを話すと言ったからな。かの地は貴殿の故郷でもある。いずれ詳しく説明せねばならんとは思っていた」
そうして聞いた、スカル観光地計画の経緯には、至る所にサヤの痕跡があった。あの頑固な父の心までも動かすとは、やはり彼女は人を惹きつけて止まない女性なのだろう。いつの間にか彼女を中心に、いがみ合っていた者達が集まって、心を開き出すのだ。無理矢理ではなく、ごく自然に。本人にその意思は全くないのだろうが、逆にそれこそが彼女の最大の魅力だと思っている。
「先日行って来た時に、アルトス殿からこれを預かった」
トリード殿は鞄から手紙を出した。彼の鞄には、サヤが作ったうさぎの毛玉が付いていた。よっぽど気に入ったのか、夫人には「取られるから」と言って見せず、代わりに他の大臣や、幼い王太子殿下に自慢しているらしい。
「書いてあることは大体想像がつくが、まあ読みなさい」
そう言われて目を通した文面。ほとんどが向こうの様子と俺の健康を気遣う内容だった。そして追伸を見た時、思わず立ち上がりそうになった。
「孫は…まだか、だと…?」
「ふんっ、やはりそう書いてあったか」
トリード殿は予想が当たったかのように鼻を鳴らして言った。
「ダントール殿、アルトス殿はな、貴殿の結婚をそれはそれは喜んでおられた。嫌なことの方が多かったであろうネスルズで、やっと幸せを掴んだのかと」
「父が……、そんなことを…」
「アルトス殿は、サヤを見て、サヤの話を聞いて、貴殿が幸せなのだと思ったのだ。貴殿には貴殿の考えがあるのだろうが、自分の幸せを考えることが、時として他も幸せに出来ることもあると、私は言いたいのだ。親になれば、嫌でも子の幸せを優先しなくてはならん。今の内に、自分の幸せを求めておいた方がいいぞ」
トリード殿は私の肩を叩き、部屋を出て行った。
「俺の幸せを考える?…しかし、サヤは向こうに家族が……。離れ離れになる辛さは、俺が一番よく分かっているはずなんだ…!」
トリード殿の話を理解しようとすればするほど、突然帰れなくなった時の絶望を思い出し、答えが出ることはなかった。
いやいや、フォンスってばサヤを美化し過ぎですね。恋愛フィルターかかりまくってます。